買収国電

表紙の1枚

撮影:中部天竜支区(1978.3.26)

戦前に国有化(買収)された路線に所属していた電車のことを「買収国電」と呼びます。一般的に、1936(昭和11)年の広浜鉄道から1944(昭和19)年の宮城電気鉄道までの14社を指します。もう一歩踏み込むと、広浜、信濃、富士身延の3社は「鉄道国有法」によるもので、その他11社は戦争下での軍事上の必要性から強引に国有化されたいわゆる「戦時買収」と呼ばれるものです。
路線の買収とともに使用車両も国鉄所有となりますが、その性能やサイズ、構造などは千差万別で、雑形電車の扱いになりました。結果的に早くに特定の路線に転属したり、廃車になったりして、1960年代までに本線上からは姿を消しました。
なお、本稿では通常買収国電としては語られない甲武鉄道についても、鉄道国有法により国鉄電車になった点で除外する理由が見当たらないため、含めて記載します。
写真は国鉄に最後に残った買収国電であるサエ9320が配属されていた中部天竜支区。

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表5 買収国電の路線一覧表
買収前会社名 買収年月 国鉄の路線名 買収時運行区間 キロ程
甲武鉄道 1906年10月 中央線 御茶ノ水−中野 12.1km
広浜鉄道 1936年9月 可部線 横川−可部 13.7km
信濃鉄道 1937年6月 大糸南線 松本−信濃大町 35.1km
富士身延鉄道 1941年5月 身延線 富士−甲府 88.4km
宇部鉄道 1943年5月 宇部東線
宇部西線
小野田線
小郡−西宇部
宇部港−新沖山
雀田−長門本山
33.2km
8.0km
2.5km
富山地方鉄道
(←富岩鉄道)
1943年6月 富山港線 富山−岩瀬浜 8.0km
鶴見臨港鉄道 1943年7月 鶴見線 鶴見−扇町
浅野−海芝浦
武蔵白石−大川
7.0km
1.7km
1.1km
豊川鉄道 1943年8月 飯田線 豊橋−大海 27.9km
鳳来寺鉄道 1943年8月 飯田線 大海−三河川合 17.6km
三信鉄道 1943年8月 飯田線 三河川合−天竜峡 67.1km
伊那電気鉄道 1943年8月 飯田線 天竜峡−辰野 79.4km
南武鉄道 1944年4月 南武線 川崎−立川
尻手−浜川崎
39.6km
青梅電気鉄道鉄道 1944年4月 青梅線 立川−御嶽 37.2km
南海鉄道
(←阪和電気鉄道)
1944年5月 阪和線 天王寺−東和歌山
鳳−東羽衣
63.0km
宮城電気鉄道 1944年5月 仙石線 仙台−石巻 50.3km
備考 運行区間は、電車の運行区間であり、未電化区間、貨物線などは含みません。

買収国電について

買収国電とは

「買収国電」とは飽くまでも通称であり、定義はありません。一般的には、戦前から戦時中にかけての1936〜44年の間に買収された14私鉄が電車を所有していたことから、この14私鉄を指します。
買収国電以外の呼び方としては、「社形電車」「社形国電」などもあります。

鉄道国有法とは

鉄道国有法は1906(明治39)年に制定され、@全国的な鉄道ネットワークの構築 A公共財産である交通の安定的な運営 B軍事上の輸送手段の確保 C経営不振の私鉄救済 などを目的に私鉄路線の国有化を進めました。
一般的にいう買収国電の中で、初期の3社(広浜、信濃、富士身延)はこれに基づくものですが、1943〜44年の11社は「陸上交通事業調整法」「改正陸運統制令」を根拠にして強制的に買収される「戦時買収」によるものです。

買収国電の形式

初期の3社(広浜、信濃、富士身延)は、買収と同時に国鉄形式を与えられました。木造車はモハ20形など、鋼製車はモハ90形などです。
一方で戦時買収の11社は、私鉄時代の形式番号のままで使用されました。そのため、称号には「デハ」のほか「セミボ」「モタ」などがあったり、モハ100形が複数存在したりというようなことがありました。
1953年の称号改正で、買収国電は雑形国電の4桁形式に整理されることになり、買収順に旧広浜がモハ1000形、旧信濃がモハ1100形、旧富士身延がモハ1200形というように付番されました。
1959年の改正では、標準化改造が行われていた旧阪和の車両だけは標準形国電の2桁形式であるクモハ20形、クハ25形が与えられました。

買収国電のその後

標準形国電に比べて車両サイズ、搭載機器、性能などが異なる買収国電は、旧阪和、旧宮城以外は早めに淘汰されました。地方私鉄に譲渡された車両も多くあります。
富山港線や可部線には、各地から集められた買収国電が比較的遅くまで使用されました。また、阪和線、仙石線では、生え抜きの買収国電がそのまま使用されています。結果的に、国鉄で長く使われた旧阪和、旧宮城の車両は私鉄にはあまり譲渡されていません。

甲武鉄道に関する考え方

上記に記載の通り、通常「買収国電」と呼ばれるのは広浜鉄道以降の14社ですが、ここでは甲武鉄道も追加して記載します。
鉄道国有法によって1906〜07年に買収された私鉄は、日本鉄道や山陽鉄道などの長大幹線を含む17社で、これによって国鉄のネットワークの基本が築かれました。その時点で電車運転を行っていたのは甲武鉄道のみで、自ずとこれが国鉄最初の電車になりました。
鉄道の国有化には時の政治思想も影響し、その後は全国各地で大小幾多もの地方私鉄が誕生しますが、国有化は沙汰やみとなります。しかし、昭和に入り地方私鉄の経営不振が相次ぎ、満州事変による長期的な経済不況下で、1933年の両備鉄道以降、地方私鉄の国有化が増加します。
結果的に、時期に大きく隔たりはあるものの、「鉄道国有法」による買収に変わりはないと考えられます。

主な参考文献
  • P9602-1 中川浩一(1996)「22私鉄「戦時買収」の経緯」(鉄道ピクトリアルNo.617)
  • P0004-1 田尻弘行ほか(2000)「買収国電(社形の電車たち)」(鉄道ピクトリアル No.684)
  • B0201 佐竹保雄ほか(2002)「私鉄買収国電」ネコ・パブリッシング
  • M1901 長谷川明(2019)「私鉄買収国電」(RM LIBRARY 238)
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“ゲタ電”の頃