保存車両(碓氷関係)

一時代を築いた碓氷峠越えの苦労を後世に残すため、碓氷峠周辺には複数の保存車が存在します。
(このページに掲載の車両は、旧型国電とは全く関係ありません)

碓氷峠に関する保存車

EC40(鉄道記念物)
EC40

撮影:軽井沢駅(2026.6.21)

1911(明治44)年にドイツAEG社で製作された日本で最初の電気機関車で、アプト式区間の電化用に購入した車両。1941(昭和16)年の廃車後に京福電鉄に譲渡されたものを、1964年に大宮工場で復元し、アプト式線路とともに鉄道記念物に指定しました。
現在、軽井沢駅構内に保存されています。

ED4010
ED4010

撮影:鉄道博物館(2026.5.11)

1919(大正8)年に大宮工場で作られた国鉄最初の国産電気機関車。
廃車後に東武鉄道に引き取られていましたが、東武での廃車後に国鉄に戻り、生まれ故郷の大宮で保存されました。
機関士は必ず麓側に乗務するため、軽井沢側に運転台はありません。さらに発電ブレーキ用の抵抗器があるため、一面がヨロイ式通風器になっています。

ED42 1(準鉄道記念物)
ED421

撮影:碓氷峠鉄道文化むら(2025.6.22)

アプト式で運転される電気機関車であるED42は、1967年に準鉄道記念物に指定されました。
現在は、碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。

キハ57
キハ5726

撮影:横川サービスエリア(2026.6.16)

上信越自動車道の横川サービスエリアに、キハ57を模したカットボディがあります。側面にはキハ5726と書かれていますが、JR九州のキハ58の前頭部を活用し、側面や車内をそれらしく作ったモックアップ風の車両です。
これは横川駅で「峠の釜めし」を販売していた「おぎのや」がこのSAを運営することから、2009年に設置したもの。ホーローの駅名票なども復刻されており、ここで「峠の釜めし」を買って往時の雰囲気を偲ぶことが出来ます。

EF62 54
EF6254

撮影:碓氷峠鉄道文化むら(2025.6.22)

碓氷峠を含む信越本線での強力型牽引機であったEF62ではラストナンバーの1969年製が屋内保存されていました。
屋外には、先行試作の1号機も保存されています。

EF63 1
EF631

撮影:碓氷峠鉄道文化むら(2025.6.22)

碓氷峠で補機として主役級の活躍をしたEF63の先行試作車として1962年に製造されたトップナンバーが、登場時のブドウ色に戻されて保存されています。
量産車とは、前面窓上にヒサシがないほか、スカートの形状も異なります。

EF63 2
EF632

撮影:軽井沢駅(2026.6.21)

EF632

撮影:軽井沢駅(2026.6.21)

軽井沢駅構内には、EF63の2号機が保存されています。
写真は、しなの鉄道の湘南色復刻カラーの115系が到着したところ。かつて連結して走った時代を思い浮かべる場面です。しかし間もなくこの115系も役目を終え、こんな出会いも見られなくなります。

EF63 3
EF633

撮影:横川駅(2025.6.22)

横川駅前には、EF63の動輪が展示されています。説明板によると、所有者は峠の釜めしで知られる荻野屋だそうです。

169系(クモハ169-1+モハ168-1+クハ169-27)
169系

撮影:坂城駅(2026.5.16)

急行「信州」などに使用されていた協調運転のパイオニアである急行形電車が、しなの鉄道(旧信越本線)坂城駅前に保存されています。
急行廃止後の信州エリアでの複数の地域カラーや、移籍後のしなの鉄道カラーなどを経ているものの、現在はオリジナルの湘南色に戻されています。

クハ189-506
クハ189-506

撮影:碓氷峠鉄道文化むら(2025.6.22)

特急「あさま」に使用されていた協調運転用特急形の189系も複数保存されています。
この車両は、登場時の特急色に塗られて、「あさま」の絵入りヘッドマークも表示されています。
クハ189-500番代というのは、横川側の先頭車で、EF63と連結するためのジャンパ栓などが増設されています。
後ろの車掌車はヨ3500形(3961号)です。

碓日嶺鉄道碑
碓日嶺鉄道碑

撮影:軽井沢駅(2026.6.21)

1940(昭和15)年に再建されたものですが、元々は碓氷峠に鉄道が開通した1893(明治26)年に建てられた記念碑です。1923(大正12)年の関東大震災で倒壊し、埋没してしまいましたが、当初の石刷が保存されていたため、それを撮影し、略原形で再建されたのだそうです。

軽井沢駅構内煉瓦サイロの碑
軽井沢駅構内煉瓦サイロの碑

撮影:軽井沢駅(2026.6.21)

JR東日本が1995(平成7)年に建てた碑で、アプト式の蒸気機関車のための給水塔に使用されていた煉瓦の一部を保存したものです。給水塔は、蒸気機関車廃止後は倉庫として使用されていたそうです。また、これらの煉瓦は、アプト式鉄道のトンネルや橋梁、付属建物に相当量が使用され、軽井沢町内に煉瓦工場を新設したほどだったそうです。

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“ゲタ電”の頃