関西の路線
阪和線 (1944-1977)
阪和線は天王寺から東和歌山に至る路線で、1930(昭和5)年に阪和電鉄により開通し、並走する南海電鉄と激しい競争を繰り広げてきましたが、1940(昭和15)年にはその南海電鉄に合併され、1944(昭和19)年には国鉄に買収され阪和線となりました。阪和電鉄時代から大出力の大型車両で運転していたこともあり、戦後も流電モハ52型が転入したり、70系が新製投入されたりして、特急・急行電車(後の快速電車)の運転が行われました。阪和電鉄からの引継ぎ車も継続して使用され、1959年にクモハ20などの国鉄形式を与えられて1968年まで使用されました。旧型国電は70系、72系に混じって戦前型もありましたが1977年に運行を終了しました。
路線
1944(昭和19)年 国有化
1944(昭和19)年5月に国有化により阪和線となりました。
天王寺〜和歌山間の運行区間に変更はなく、1977年まで旧型国電は使用されました。
車両
流電モハ52
画像:所蔵写真(1953)
1950年に、京阪神間の急行電車に投入された80系に追われて、流電モハ52などが阪和線に転入し、急行電車、特急電車に使用されました。当初は京阪神の80系と同じマルーンとクリームのツートンカラーに塗られましたが、1953年頃には普通のブドウ色に戻されました。
写真は中間に阪和形を挟んだ急行電車です。70系の投入により、1958年までに飯田線に転出しました。
70系
撮影:野口昭雄様(天王寺駅 1956.1.25)
阪和線の70系の配属は1955年のことで、クリーム色と青緑色の「阪和色」と呼ばれるツートンカラーを採用し、急行電車(後の快速)に使用されました。1967年には普通のスカ色に変わりますが、70系のみの4両編成という構成は最終期まで維持されました。
オレンジ色の戦前型や72系とともに1977年に運行を終了しています。
戦前型国電
画像:所蔵写真(美章園駅 1968.12.1)
終戦後には流電をはじめとした戦前型国電が転入しますが、長く使用されたのは3扉車です。特に高速運転に備えてか、出力強化した車両が目立ちます。写真の車両も、モハ41を強力化したクモハ60153です。
1965年からは4扉の72系も加わり、買収国電を淘汰します。いずれも大阪環状線や片町線と同じオレンジ色に塗られて、1977年まで活躍しました。
(新性能化後)103系
撮影:鳳−富木(1980.8.8)
阪和線の新性能化は1968年で、新車の103系が6両編成で投入され、快速に使用されました。その後は首都圏からの転入車も含めて増備が進み、1977年までに旧型国電を置き換えました。色は京阪神緩行線と同じスカイブルーです。
主な参考文献
- F7511-2 大熊孝夫(1975)「阪和線の電車あれこれ」(鉄道ファンNo.175)
- P0202-4 寺本光照(2002)「阪和快速ものがたり」(鉄道ピクトリアルNo.713)