関西の路線

東海道本線・山陽本線(京阪神緩行線) (1934-1975)

東海道本線は東京〜神戸間、山陽本線は神戸〜下関間を結ぶ日本を代表する幹線ですが、近畿圏の通勤輸送でも、両線が一体的な運行体系になっています。特に京阪神間は競合する私鉄が多く、戦前から所要時間や車両設備において、激しい競争を繰り広げてきました。
1934(昭和9)年に電車の運転が始まり、1975(昭和50)年の完全新性能化まで旧型国電が活躍しました。
この区間では、各駅停車と急行電車(後の快速・新快速)が並走しますが、各駅停車が近距離通勤電車として、急行電車が中距離電車としての性格を持つ側面があり、車両の区別も進むことから、戦後については別ページに記載します。
なお、現在では大阪を境に、JR京都線、JR神戸線と呼ばれています。

路線
1934(昭和9)年 電車運転開始
京阪神緩行線

1934(昭和9)年7月に吹田〜須磨間が電化され、電車運転が開始されました。同年9月には電化区間が明石まで延長されます。
電車運転と同時に急行電車が大阪〜神戸間に設定されました。途中停車駅は三ノ宮のみです。急行電車には、1936(昭和11)年には流電が投入されます。

1937(昭和12)年 京都電化
京阪神緩行線

1937(昭和12)年10月に京都〜吹田間が電化され、電車の運転が京阪神間に延長されます。同時に急行電車も京都〜神戸間に運行区間を延長しました。
なお、これに先立つ同年8月に、明石電車区が開設されています。

1944(昭和19)年 西明石延長 (1942年 急行電車廃止)
京阪神緩行線

1944(昭和19)年4月に明石電車区への回送線を旅客化し、西明石駅を新設し、緩行電車の運転区間が延長されました。
緩行線はこの時点で、戦後にも長く続く京都〜西明石間の運行形態が完成しました。1969年に新性能電車の103系が投入され、1975年に72系が完全引退するまで、旧型国電による運転が続きます。
なお、これより前の1942(昭和17)年11月には、戦局の悪化により、急行電車が廃止されています。(終戦後の1949年に再開)

車両
42系
東海道・山陽線

画像:絵葉書(大阪駅 1934年頃)

本線には20m2扉クロスシートの42系が投入されます。
写真は大阪駅から京都方面を見たところ。左のホームに停車中の車両はモハ43。中線の向こうにいるのはモハ43+クロハ59。

戦前型+72系
東海道・山陽線

画像:所蔵写真

終戦後は2扉車が東京に転出し、3扉車に統一されるとともに、51系ベースのセミクロスシート車に復元、もしくは改造されました。70系の新車も配置されています。
しかし、1960年代に入ると4扉の72系が配置され、しばらくは混結で使用されることになります。
写真は、クハ68に続いて全金属のモハ72が連なる3扉、4扉混成の7両編成。

(新性能化後)103系
東海道・山陽線

撮影:吹田−岸辺(1980.8.3)

1969年に新性能電車の103系が投入され、1975年までに旧型国電は置き換えられます。
103系は京浜東北線と同じスカイブルーで、7両固定編成になっています。写真の編成は、東京ではほとんど見られないシールドビーム2灯の非冷房車。

主な参考文献
  • B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
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“ゲタ電”の頃