二軸車(デ989形)

甲武鉄道の客車を改造し、二軸電車と連結する付随車、制御車としたものが複数あったそうです。このうち電車形式を与えられたのは、国鉄買収後の1911年に改造された4両のみです。

デ989形
デ963形+デ989形(990〜992号)
デ963形+デ989形

画像:絵葉書より拡大(新橋−有楽町 1911〜14年)

先頭はデ963形、2両目は客車改造の制御車デ989形です。
デ989形の側窓の数が13個なので、990〜992号のうちのどれかです。連結面側はオープンデッキ、後位のデッキには扉があり運転台が設置されています(文献B0601)。
屋根上にはポールが上がっているのが見えます。

客車改造付随車
ニデ950形(950〜952号)+客車+デ960形(960〜962号)
デ960形+客車+ニデ950形

画像:絵葉書(呉服橋 1910〜1914年)

先頭(左)は合造車のニデ950形、中間は客車改造の付随車、右は片運転台のデ960形です。
客車は甲武鉄道〜鉄道院時代を通じて電車形式を与えられていない車両があったとのこと(文献C5511)。運転台やポールがなく、側窓の数が9個なので、デ989形ではありません。
(この写真は、ニデ950形のページと重複掲載)

ニデ950形(950〜952号)+客車+デ960形(960〜962号)
デ960形+客車+ニデ950形

画像:絵葉書より拡大(呉服橋 1914年)

先頭は合造車のニデ950形、中間は客車改造の付随車です。
付随車は側窓の数が10個なので、デ989形のうちの1両(989号)かと思いましたが、屋根上にポールがなく、編成の中間に挟まれているので、電車形式を与えられなかった車両のようです。

表1-1-3 二軸車一覧(客車改造車)
表1-1-3

二軸車の編成例

甲武鉄道時代
甲武鉄道

図1-1-1 甲武鉄道 ハ+ハ(付随車)+ロハ(1904〜1906年)

文献P8408-2に記載のある3両編成を再現した図です。

甲武鉄道

図1-1-2 甲武鉄道 ハ+ハ(1904〜1906年)

文献C5511のP179に「ハ1・3・6〜13は製造当初は片運転台であった」とあるので、その編成を再現した図です。

甲武鉄道

図1-1-3 甲武鉄道 ハ(1906年)

文献C5511のP179によると明治39年製(ハ17〜28)は両運転台として落成したとあるので、その編成を再現した図です。また同書では、同時に前の10両(1・3・6〜13号)も両運転台化されたとあります。

国鉄買収後
鉄道院

図1-1-4 ハ、ロハ(1906〜09年)

文献C5901のP25及び文献P8408-2によると買収前後に28両全車が両運転台に統一されたとのことです。また国鉄になってから4両(ハ29〜32)が新造されています。

国鉄買収後(重連復活)
鉄道院

図1-1-5 デ+ニデ(1909〜12年)

文献C5901のP25によると1908(明治41)年の御茶ノ水〜昌平橋間延長などにより再び2両編成を行うことになり、1909年に6両を片運転台に改造しました。文献0601-1によると、同時期に中央線の2等車廃止により、ロハの2等室を荷物室に改造しました。
1911年に称号規程が制定され、その時の形態により上記3形式に分類されます。

鉄道院

図1-1-6 デ+(付随車)+ニデ(1909〜14年)

上記に掲載した絵葉書にもあるように、電車形式を与えられていない客車改造の付随車を中間に連結した3両編成もありました。

国鉄買収後(電装解除の進行)
鉄道院

図1-1-7 デ+ニデ、デ+デ(1909〜15年)

文献B5901のP26によると、1912(明治45)年にデ963形12両の電装を解除し、新造のボギー車に電動機を流用します。このうち3両はニデ、9両はデのままで、いずれも片運転台となった模様です。
文献B0601-1には同時期に8両の電動車が片運転台化されたとのことです。

鉄道院

図1-1-8 デ+デ(1911〜14年)

1911年に客車改造で電車形式を与えられたデ989形4両が登場しました。これらは片運転台の制御車です。

主な参考文献
  • C5511 寺田貞夫(1955)「木造国電略史(1)(2)」(鉄道ピクトリアル)
  • B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
  • P8408-2 高松吉太郎(1984)「甲武鉄道電車運転開始〜甲武電車回想」(鉄道ピクトリアルNo.435)
  • B0601 沢柳健一ほか(2006)「旧型国電車両台帳 院電編」
  • B0601-1 寺田貞夫(2006)「甲武・国有四輪電車について」
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“ゲタ電”の頃