富士山麓電気鉄道(終戦後の譲渡車)

終戦後にも3両の木造国電が譲渡されています。
1両は、戦前に入ったハニ250形の増備分で、結局鋼体化されずに廃車となりました。
2両は国鉄からの譲受車としてモハ600形にまとめられ、他に元買収国電のモハ603号を含めた3両のグループでした。

木造国電の譲渡車
富士急行 ハニ250形(255号)
富士急行

画像:所蔵写真(富士吉田 1961.7.9)

木造国電サハ19形を譲受し、ハニ250形の追番としたもの。戦前に譲受したハニ250形5両は鋼体化されましたが、この1両は鋼体化されずに1962年頃に廃車となりました。

鋼体化改造後
富士急行 モハ600形(602号)
富士急行

画像:所蔵写真(富士吉田 1961.7.9)

大糸線で使用されていた両運転台化改造車の木造国電モハ10形を譲受し、モハ21号としたもの。
1951年に日車東京で鋼体化され、17m級2扉車モハ602号に生まれ変わりました。翌年から行われたモハ500形(富士山麓オリジナル車)鋼体化のモデルとなりました。
ブルー濃淡の新塗装に塗り替えられたものの、3600系への編入改造は行われず、1968年頃に廃車となりました。

再譲渡車
岳南鉄道 モハ1100形(1102号)
岳南鉄道

画像:吉川文夫(岳南江尾 1961.5.22)(文献P6203-5)

木造国電の配給車モヤ4形を譲受し、1949年にモハ601号としたもの。(注1)
制御方式がマグネット式で総括制御ができず、貨車牽引用として使用されることが多く、木造車のまま残りました。(文献P6101-1)
1957年に系列の岳南鉄道に転じ、1960年に汽車会社で鋼体化されました。しかし事故で大破し、1969年に廃車となりました。
鋼体化後の車体は、よく日車標準車体と呼ばれますが、地方私鉄標準車体で汽車会社でも製造していました。

表6-54-4 富士山麓電気鉄道(木造国電譲渡車)詳細
表6-54-4
主な参考文献
  • P6101-1 益井茂夫(1961)「富士急行」(鉄道ピクトリアルNo.114)
  • P6203-5 吉川文夫(1962)「岳南鉄道」(鉄道ピクトリアルNo.128)
  • C6841 井上幹治ほか(1968)「富士急行」(鉄道ピクトリアルNo.207〜209)
  • P8404-1 吉川文夫(1984)「岳南鉄道を走った電車のすべて」(鉄道ピクトリアルNo.431)
(注1)
文献C6841(井上1968)によると、名義上は国鉄モヤ4002だが、現車の程度によりモヤ4001をモヤ4002と書き換えて譲渡した。またモヤ4001は車体中央部の扉が大型の両開きになっていたが、これを片開きに改造した。そのため、タネ車は 1D123D321D1 の窓配置だったが、1D123D1321D1 に変化した。
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