(南武鉄道)モハ150形→モハ2000形

1941(昭和16)年にまとめて10両が新造された17m3扉車で、扉間に4つの2段窓が並ぶスタイルは、関東私鉄の標準的なスタイルです。戦後は地方の買収路線の体質改善に活用され、宇部線に移動の後、可部線と富山港線に分かれて配置されました。1953年の称号改正でモハ2000形となりました。

モハ2000形(2000号)
モハ2000

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

モハ2000

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

2000号は両運転台のまま全室運転台化され、助士席側にも乗務員扉が新設されました。

モハ2000形(2001号)
モハ2001

画像:所蔵写真(岩瀬浜駅 1958.5.25)

モハ2001

画像:所蔵写真(城川原駅 1957.8.7)

富山港線に移ったモハ2001号は、片運転台化され、残った運転台は全室化されました。原形では、両側とも乗務員扉は運転席側のみでしたが、助士席側にも設置されています。
片運転台になった車両は、1959年の称号改正でクモハ2010形に改称されています。

クモハ2000形(2002号)
モハ2002

撮影:上原庸行様(品川駅 1960.7.28)

モハ2002

撮影:上原庸行様(品川駅 1960.8.18)

このグループの中で唯一グローブ型ベンチレーターに更新されている車両。
さらに豊川分工場の入換用になった際、前後とも貫通式になり、顔つきが変わっています。

モハ2000形(2003号)
モハ2003

画像:所蔵写真(城川原駅 1957.8.7)

モハ2003

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

2003号は富山港線に転じ、両運転台のまま前後とも全室運転台化されました。従って、前後とも助士席側にも乗務員扉が設置されています。

モハ2000形(2003号)
モハ2003

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

モハ2003号の車内を前位側に向かって見たところ。乗務員室への扉は右側にあります。

モハ2000形(2004号)
モハ2004

画像:所蔵写真(大井工場 1957.6.15)

可部線に転属したモハ2004号は、全室運転台化され、助士席側にも乗務員扉が増設されました。
この時は、クエ9424改造用に大井工場に留置されているようです。

モハ2000形(2006号)
モハ2006

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

モハ2006号は、可部線時代には片運転台化されたようですが、富山港線に転属してから両運転台に復元されました。

モハ2000形(2006号)
モハ2006

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

モハ2006号の車内を前位側に向かって見たところ。乗務員室への扉は中央にあり、仕切り板に窓はありません。

モハ2000形(2008号)
モハ2008

画像:所蔵写真(城川原駅 1958.5.25)

モハ2008

画像:所蔵写真(岩瀬浜駅 1958.5.25)

モハ2008号は可部線時代に片運転台化され、残った運転台は全室式に改造され、助士席側にも乗務員扉が新設されました。雨樋縦管は四隅にあります。
片運転台車ということで、1959年の称号改正でクモハ2010形(2011号)に改称されています。

クエ9420形(9424号)
クエ9424

撮影:網干電車区(1980.8.8)

モハ2004号は1960年に救援車に改造されました。車内にクレーンを搭載しているため、側面に大きな扉が新設されています。
電装は解除されましたが、クレーンを作動させる電動発電機を搭載しているため、パンタグラフは残されています。

表5-20-2 モハ2000形詳細
南武鉄道

主な参考文献
  • P9212-2 和久田康雄(1992)「青梅電気鉄道・南武鉄道時代の車両」(鉄道ピクトリアル No.568)
  • B0201 佐竹保雄ほか(2002)「私鉄買収国電」ネコ・パブリッシング
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“ゲタ電”の頃