国鉄の事業体

ここでは、国による官営鉄道の歴史の中で、その事業体がどのように推移してきたかを辿ってみます。

国鉄の事業体の推移

1870(明治3)年 鉄道掛

1870年3月に、民部・大蔵両省管下に「鉄道掛」が置かれました。同年7月には民部・大蔵省を分離し、「鉄道掛」は民部省管下となりました。さらに同年10月には工部省が置かれ、「鉄道掛」はその管下となります。
また、7月に「鉄道掛」の出張所を大阪・神戸に置き、これを関西鉄道局と称しました。
この年、東京−神奈川間の鉄道敷設のための測量が始まり、関西では大阪−神戸間の測量が始まります。

「工」マークのついた境界杭
工マーク

撮影:長野県(2026.3.28)

国鉄を表す「工」マークは、境界杭やマンホール、構内営業票などあらゆる場所に見られました。これは工部省の工を表しています。
「工」マークのついたマンホール
工マーク

撮影:杉並区(2026.4.29)

こちらはマンホールの中心に、「工」マークと「国鉄」の文字が共演しています。「国」の文字はなぜか鏡文字になっています。
1871(明治4)年 鉄道寮

1871年8月に、鉄道掛は「鉄道寮」に変わりました。
翌1872年には、大阪に東・西鉄道寮が置かれます。
新橋−横浜間の鉄道の開業は1872年10月のことでした。
当時の鉄道工事は外国人技術者によっており、また通信設備も十分でなく、関西における鉄道工事が捗らない状況であったため、1874年に「鉄道本寮」を大阪に移すという異例の措置が行われました。

1877(明治10)年 鉄道局

1877年1月に、鉄道寮が廃止され、「鉄道局」が置かれました。
同年の2月に、東海道本線京都−神戸間が開業します。
1881年に「鉄道本局」は大阪から神戸に移されます。翌1882年には鉄道局出張所が東京に置かれます。さらに1886年に「鉄道局」は神戸から東京に戻されました。
なお、1885年に太政官制度の廃止、内閣制度の採用により工部省が廃止され、「鉄道局」は内閣総理大臣の直轄となっています。

正二位勲一等子爵井上勝君像
井上勝

撮影:東京駅(2026.4.29)

東京駅丸の内口に建てられた銅像は、「日本の鉄道の父」と呼ばれた井上勝(いのうえまさる)の像。
工部省官僚で鉄道の開業に寄与し、1877年に初代鉄道局長を勤めました。
銅像は1914(大正3)年に建立され、2017(平成29)年に現在地に移転しました。
1890(明治23)年 鉄道庁

1890年9月に、鉄道局は「鉄道庁」に改組し、内務省の管轄としました。1892年に「鉄道庁」は逓信省の管轄に移されました。

1893(明治26)年 鉄道局

1893年11月に、鉄道庁は再び「鉄道局」と改名し、逓信省の1局となりました。
なお、その前の同年6月に鉄道敷設法が公布されています。同時に鉄道会議官制公布され、この鉄道会議は1949年の日本国有鉄道発足まで存続します。

1897(明治30)年 鉄道作業局

私鉄が増加するに伴い、その監督行政と国鉄の営業という異なる性質の業務を同一機関で管理することが難しくなりました。
そこで、1897年8月に、「鉄道局」は鉄道の監督および私設鉄道の免許についての行政庁となり、別に逓信省の省外作業庁として「鉄道作業局」が置かれ、官設鉄道の建設・保存および運輸の業務を行うこととなりました。つまり、いわゆる“国鉄”の営業主体は「鉄道作業局」ということになります。
私鉄の増加に関しては、1900(明治33)年に私設鉄道法を公布、同年に鉄道営業法も公布されました。

1907(明治40)年 帝国鉄道庁

1906〜07年に私鉄の買収が行われたことで、国鉄の線路網は全国に拡大し、業務量も飛躍的に増加しました。これに対応して、1907年4月に、鉄道作業局を帝国鉄道庁に改組しました。
なお、私鉄の監督免許に関する行政庁である鉄道局は存置されました。

1908(明治41)年 鉄道院

全国規模の国鉄を所管する帝国鉄道庁が逓信省の所管として管理させるのは妥当でないとのことから、1908年12月に、帝国鉄道庁と鉄道局を統合して「鉄道院」が新設され、内閣直属の機関となりました。地方には、東部・中部・西部・九州・北海道の5鉄道管理局が置かれました。
なお、私鉄の国有化により主要な私鉄はほぼ国有化され、小規模な私鉄だけが残されたので、私設鉄道法を私鉄に適用するのは実情に合わないとの判断から、1909年に軽便鉄道法が公布されました。

東京停車場
東京停車場

画像:東京停車場開業記念絵葉書(1914)

1914(大正3)年12月18日に、東京駅が開業し、赤煉瓦のドーム型屋根を持つ大きな駅舎が完成しました。
1920(大正9)年 鉄道省

第一次世界大戦による国内経済の活況の下、輸送量が激増し、従来の機構ではその機能を十分発揮できないことから、鉄道院を独立の一省とすることになり、1920年5月に、鉄道院は「鉄道省」に昇格します。地方には、東京・名古屋・神戸・門司・仙台・札幌の6鉄道局が置かれました。

鉄道博物館
鉄道博物館

画像:鉄道博物館絵葉書(1921)

1921(大正10)年10月14日に、鉄道事業50周年と、鉄道院が鉄道省になったのを記念して、鉄道博物館(初代)が東京駅北側に作られました。
それを記念して、新造車両が並べられました。
省電始元之碑
省電始元之碑

撮影:放出派出所(2026.4.18)

関西での電車運転は1932年に片町線片町−四条畷間で開始されましたが、それを記念した石碑があります。当初は、片町線の車両基地である淀川電車区に建てられましたが、同区の移転に伴い、移転先の放出に石碑も移転しました。
鉄道省の電車である省線電車の略称「省電」が正式に用いられていることが分かります。
現在ここは、JR西日本網干総合車両所明石支所放出派出所となっています。
1943(昭和18)年 運輸通信省鉄道総局

戦争の激化に伴い、海陸運送の一貫的作業の強化を目的に、1943年11月に、運輸通信省が新設されました。鉄道省と通信省の全部、商工省の倉庫営業、内務省の港湾、文部省の気象などを統合したもので、旧鉄道省の所管事項は「鉄道総局」となりました。

1945(昭和20)年 運輸省

運輸通信省は膨大かつ多様であったため、期待された効果が得られず、1945年5月に通信院を分離して逓信省に還元し、運輸部門のみをもって「運輸省」を組織しました。国鉄管理機構は鉄道総局の機構がそのまま承継されました。

1949(昭和24)年 日本国有鉄道

1949年6月に、公共企業体の「日本国有鉄道」(略称:国鉄)が発足、これまでの国の直轄から国の外郭団体へと変わりました。国鉄は国が100%出資する公社制であり、三公社五現業のひとつです。
国鉄の最高責任者は総裁で、内閣から任命されます。任期は4年間です。

東京縦貫(田町田端間)複々線1956.11.19工事完成
東京縦貫線

画像:東京縦貫複々線開通記念絵葉書(1956)

田町〜田端間が複々線となり、これまで同じ線路を走っていた山手線と京浜東北線が分離されました。1949年に工事に着手し、6年後の1956年11月19日完成しました。

東海道新幹線開通
東海道新幹線開通

画像:東海道新幹線開通記念絵葉書(1964)

1964(昭和39)年10月1日に、東京−新大阪間に東海道新幹線が開通しました。終戦から20年と経たない時代に、世界に誇れる高速鉄道の誕生は、日本の技術の急速な伸長を大きく印象づけました。
その一方で、自家用車の普及などモータリゼイションの影響もあり、この年に国鉄は初めての赤字を計上します。
1987(昭和62)年 国鉄の分割民営化

1987年4月に、日本国有鉄道の事業は分割民営化により、地域ごとの旅客鉄道会社6社と貨物鉄道会社1社の計7社に引き継がれました。
これは政府の行政改革の一環として行われたもので、巨額となった国鉄の累積債務の解消や地域密着による旅客サービスの向上などを目的としたものです。
分割後の7社は略称を「JR」とし、東日本旅客鉄道=JR東日本などの通称で呼ばれるようになりました。

JR記念マークを付けた165系
JR発足

撮影:高崎駅(1987.4.6)

1987年4月1日のJR発足を記念して、各地の車両でヘッドマークを掲げました。
写真は高崎地区の165系。「こんにちはJR東日本」と書かれています。車両の側面にも白い大きなJRマークが付けられました。
主な参考文献
  • H5202 「鉄道80年のあゆみ」(1952)日本国有鉄道
  • Y7101 世界の鉄道別冊「日本の鉄道100年」朝日新聞社
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