国鉄の車両工場

日本最初の鉄道である官設の新橋−横浜間の開通は1872(明治5)年のことで、建設に当たって横浜駅と新橋駅構内に客車庫、機関車庫、鍛冶場などが設けられ、イギリス人技術者の指導の下で輸入車両の組立等が行われました。同じく神戸−大阪間(1874年開通)の建設においても神戸に車両の組立工場が置かれました。これが鉄道工場の始まりとなりました。横浜は開業前の組立のみで終わったようです。
ここでは、そんな国鉄車両の工場の歴史を振り返ります。
(国鉄工場は、戦中から戦後の1942〜50年の間、「工機部」に名称変更されましたが、ここでは省略し、すべて「工場」と記載します)

製造銘板・改造銘板
クモハ42013

所蔵写真(牛久保駅)

車両の妻面の下部には、楕円形の銘板が取り付けられており、その車両の所有者及び製造や改造の履歴が分かります。
写真は飯田線のクモハ42013で、右上から時計回りに所有者「日本国有鉄道」、製造銘板「梅鉢鉄工場 昭和8年」、改造銘板「更新修繕-T 吹田工機部 昭和25年」「更新修繕2 豊川分工場 昭和31年」となっています。
いずれも当時の名称です。

工場の内部
鷹取工場

所蔵写真(鷹取工場 1996.11.13)

車両工場では、主に自社車両の点検や修理が行われます。時には大掛かりな改造工事なども行える環境と技術は整っています。
写真は兵庫県のJR西日本鷹取工場で、オハネ25の改造を行っているところです。

国鉄の車両工場の推移

最初期の国鉄工場

新橋の機関車修復所(1872年)、客車修復所(1874年)と神戸工場はその後の二大鉄道工場となりました。
当初の国鉄車両は輸入により行われましたが、国産化を進めるに当たり、1875(明治8)年に神戸工場で初めて四輪客車を製作し、翌1876年には御料車(1号)と100人乗りボギー客車も製作しています。1879(明治12)年には新橋工場で最初の四輪客車を新製しています。
しかし、これらの製作は木造の車体部分だけで、鋼材生産の能力はなく、車輪や車軸、台枠などは輸入品でした。神戸工場で蒸気機関車が製造されたのは1893(明治26)年のことでした。
1885(明治18)年に、中山道鉄道の着工に伴い、直江津駅構内に組立作業場が設けられ、1890(明治23)年に長野駅構内に移転して長野器械場となりました。これが長野工場の前身です。

表8-7-1 初期の鉄道工場
開設年 名称 備考
1871(明治4)年 新橋工場 (1915年)大井工場に統合
1872(明治5)年 神戸工場 (1916年)鷹取工場に統合
1890(明治23)年 長野工場 (1991年)長野総合車両所
(2004年)長野総合車両センター
1898(明治21)年 旭川工場 (2003年)廃止
鉄道国有化による国鉄工場

鉄道国有法により、1906〜07(明治39〜40)年に多くの私鉄が国有化されたことで、各社から引き継いだ工場が国鉄工場となります。

表8-7-2 国有化による鉄道工場(抜粋)
開設年 名称 備考
1891(明治24)年 盛岡工場
(元日本鉄道)
(1985年)廃止
1894(明治27)年 大宮工場
(元日本鉄道)
(1914年)電車製造
(2004年)大宮総合車両センター
1896(明治29)年 湊町工場
(元関西鉄道)
(1921年)吹田に移転
1900(明治33)年 鷹取工場
(元山陽鉄道)
(2000年)廃止
1903(明治36)年 下関工場
(元山陽鉄道)
(1931年)幡生に移転
鷹取駅周辺に残る鷹取工場の遺構
JR鷹取駅
鷹取工場

撮影:鷹取駅(2026.8.23)

鷹取駅地下道
鷹取工場

撮影:鷹取駅(2026.8.23)

鷹取駅周辺には、かつての鷹取工場を偲ぶアイテムが散りばめられています。
鷹取駅正面には、蒸気機関車(1801、39601、C571)の顔が埋め込まれています。
鷹取工場があった北口への地下道には、鷹取工場で製造された蒸気機関車の写真とともに、かつての工場全景の写真が掲示されています。

妙法寺川左岸公園
鷹取工場

撮影:妙法寺川左岸公園(2026.8.23)

鷹取工場

撮影:妙法寺川左岸公園(2026.8.23)

鷹取工場跡地にある妙法寺川左岸公園には、汽車や線路をモチーフにした遊具や遊歩道が整備されているほか、赤レンガの工場建物をイメージした公衆トイレや東屋があります。

ワ10244(大宮工場配給車代用)
ワ10244

撮影:立川駅(1977.5.15)

車体に白い帯をつけた有蓋貨車で、「大宮工場 配給車代用」と書かれています。
国鉄が開設した工場

国電創業時の車体は飯田町工場において製作されていましたが、1910(明治43)年以降の大型ボギー電車は新橋工場(1871年創業)で行われています。
1910年には品川に「新橋工場大井派出所」が建設され、1915(大正4)年に「大井工場」として独立しました。大井工場の開設は、電車の電装部品を輸入品から国産品への切り替える契機となりました。(文献B5901 P10)
国鉄の路線網は全国に広がり、国鉄工場の新設も相次ぎます。

表8-7-3 主な国鉄工場(抜粋)
名称 備考
1908(明治41)年 土崎工場 (2004年)秋田総合車両センター
1910(明治43)年 大井工場 (1915年)新橋工場から独立
(2004年)東京総合車両センター
1910(明治43)年 松任工場(←金沢工場) (1910年)金沢工場開設
(1935年)移転により松任工場
(1943年)富山港線の電車修繕開始
(1997年)金沢総合車両所
(2024年)廃止
1912(大正1)年 浜松工場
1920(大正9)年 郡山工場 (2004年)郡山総合車両センター
1921(大正10)年 吹田工場(湊町より移転) (1933年)電車修繕開始
(2012年)吹田総合車両所
1924(大正13)年 名古屋工場(四日市より移転)
1931(昭和6)年 下関工場 (1942年)幡生工機部
(1950年)幡生工場
(1995年)下関車両センター
1941(昭和16)年 新津工場 (1973年)新津車両管理所
(1985年)新津車両所
(1994年)新津車両製作所
(2014年)総合車両製作所新津事業所に継承
1943(昭和18)年 広島工場 (1985年)広島車両所
(1987年)広島車両所(JR貨物)
1947(昭和22)年 豊川分工場 (1963年)閉鎖、日本車輌に売却
1950(昭和25)年 大船工場(大井工場より独立) (2000年)鎌倉総合車両所
(2004年)鎌倉総合車両センター
(2006年)廃止
鉄道省郡山工場観桜会
鉄道省郡山工場観桜会

画像:絵葉書

ちょうど鉄道省が成立した1920年に開設した郡山工場で、観桜会が行われている光景の絵葉書。
工場の従業員だけでなく、恐らく地域住民も含んだ催しだと思われます。鉄道工場ができることで、地域の雇用や経済に大きな恩恵があり、このような地域に開かれた慰安の会も催されていたのだと思います。

民間の車両メーカー

鉄道国有法によって17私鉄が国有化され、国鉄が全国規模になった明治末期には、日本の重工業も国産化が進んでおり、鉄道車両でも輸入への依存から国産化と標準化を図ることになりました。それらを進めるに当たり、民間の独立メーカーに設計参加させ、国産車両メーカーの育成を図りました。
1909(明治42)年12月には、汽車会社、川崎造船所、日本車輌の3社で共同販売事務所を設け、国鉄からの指定注文の受け皿となりました。
1912(大正1)年からは、国鉄自身の鉄道工場では車両の検査、修理を行うこととし、新製は原則として民間にゆだねることを正式に決定しました。

表8-7-4 主な民間車両メーカー
設立年 名称 備考
1890(明治23)年 平岡工場(東京) (1901年)汽車製造東京支店
(1931年)移転
1896(明治29)年 汽車製造(大阪) (1972年)川崎重工業に合併(大阪製作所)
(1975年)車両製造終了
1896(明治29)年 日本車輌製造(名古屋) (1964年)豊川工場新設
(2008年)JR東海資本に
1896(明治29)年 天野工場(東京) (1920年)日本車輌に合併、東京支店
(1934年)蕨に移転
(1972年)東京支店閉鎖
1896(明治29)年 川崎造船所(1939年に川崎重工業) (1928年)川崎車輌が独立
(1969年)川崎車輌を川崎重工業に合併
(2021年)車両部門を川崎車両として独立
1904(明治37)年 芝浦製作所 (1939年)東京電気と合併して東京芝浦電気
(1940年)府中工場完成
(1945年)東芝車輌設立
(1950年)東芝車輌を本体に合併
(1984年)東芝と改称
1910(明治43)年 新潟鉄工所 (2003年)閉鎖
1920(大正9)年 日立製作所
1936(昭和11)年 田中車輌 (1945年)近畿車輌に改称(近鉄系)
1936(昭和11)年 梅鉢車輌 (1941年)帝国車輌工業と改称
(1968年)東急車輌製造に合併
1945(昭和20)年 富士産業(宇都宮工場) (1950年)宇都宮車輌と改称
(1953年)宇都宮車輌を富士重工業に合併
(2003年)鉄道車両製造終了
1947(昭和22)年 ナニワ工機 (1970年)アルナ工機と改称
(2001年)アルナ車両に事業譲渡
1948(昭和23)年 東急車輌製造
(←東急横浜製作所)
(2012年)総合車両製作所に事業譲渡
東急車輌製造 モニ101
モニ101

画像:所蔵写真(神武寺駅)

東京急行電鉄が戦災復旧車の改造工事を主眼に設立した東急興業は、1948年に東急横浜製作所となり、1949年には国鉄から80系湘南電車を受注するなど、車両メーカーの仲間入りをします。
1950年には入場・出場車両の牽引用に国鉄から木造車1両を譲受しました。工場内から京浜急行金沢八景駅を経て、京急逗子線の神武寺駅を結ぶ専用線で使用されています。

主な参考文献
  • B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
  • 青木栄一(1986)「日本の鉄道車両工場」鉄道ジャーナルNo.238 P.41−48
  • 佐藤芳彦(1986)「国鉄工場の概要」鉄道ジャーナルNo.238 P.52−55
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“ゲタ電”の頃