国鉄の車両基地
国鉄の車両基地には、長らく「電車区」「機関区」などの「区」という文字が使われていました。
これは鉄道省という役所の時代から、日本国有鉄道という公社制の時代を経てきたものです。1987年の分割民営化の後、各社ごとの組織に変更や改称が行われ、車両センターや車両所などの名称に変わった会社もあります。
そんな車両基地の名称の変化について、紐解いてみます。
国鉄の車両基地の推移
1872(明治5)年 機関車庫→機関庫
新橋−横浜間に蒸気機関車の牽引する列車が走り始めた1872年に、「新橋機関車庫」と「横浜機関車庫」が設けられます。名称は間もなく「車」が取れて「機関庫」に変わります。
当時は機関車の運転と検査は外国人が受け持っており、運転と検査の兼務も多かったそうです。運転を担当する「機関方」に日本人が採用されたのは、開業7年後の1879(明治12)年だそうです。(文献J7705-1)
国指定重要文化財 旧手宮鉄道施設
機関庫一号
撮影:小樽市総合博物館(2023.6.9)
機関庫三号
撮影:小樽市総合博物館(2023.6.9)
北海道小樽市の旧手宮機関庫が、日本最古の機関車庫として保存されています。1880(明治13)年に手宮−札幌間を開業した官営幌内鉄道の基地です。
3口ある「機関庫三号」が1885(明治18)年に竣工した最古の機関庫で、鉄道技師平井晴二郎の設計です。煉瓦造りで、機関車の煙を排出する煙突や、屋根上の明り取り窓などが特徴です。
5口ある「機関庫一号」はもっと新しい作りで、1908(明治41)年の竣工です。右の2口が当時のもので、左の3口は1996年に復元されたものです。
手前にある転車台は、1919(大正8)年製です。
(小樽市Webサイトによる)
1900(明治33)年 鉄道営業法公布
1900(明治33)年に鉄道営業法が公布されると、現場の職制も整備され、車両長、機関庫主任、車両検査番などの職名が決められます。
客貨車の検査は、当初は機関庫が担当していましたが、1914(大正3)年に「検車所」を設置して分離しました。後に「検車区」さらに「客貨車区」に変わります。
1921(大正10)年に東海道本線の京都−大津間の新線が開通した機会に、機関車の検査掛が新設されます。
1925(大正14)年には半年ごとに機関車を検修する6か月検査制度が確立しました。(文献J7705-1)
梅小路機関庫
撮影:京都鉄道博物館(2025.1.24)
京都市にある梅小路機関庫は、日本最古の鉄筋コンクリート造りの機関車庫として、2004年に国の重要文化財に指定されました。
転車台を中心にして、東西に20線の引き込み線を収容する扇形の機関庫です。
現在は、京都鉄道博物館の館内の主要施設となっています。
(文化遺産オンラインによる)
1906(明治39)年 電車庫
1906年に甲武鉄道の飯田町−中野間で運行されていた電車を国鉄が買収したことで、国鉄として初めて電車の運転が始まります。この時、初めて「新宿電車庫」が置かれます。
電車の運転が拡大するに伴い、電車庫は各地に増設されます。(文献J7705-1)
表8-6-1 戦前の電車庫の開設時期
| 開設年 | 名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 1904(明治37)年 | 新宿電車庫(1906年国有化) | (1921年)廃止、中野に移管 |
| 1909(明治42)年 | 品川電車庫 (1910年新宿電車庫から独立) |
(1967年)移転 (1985年)山手電車区に改称 (2004年)東京総合車両センター |
| 1914(大正3)年 | 東神奈川電車庫 | (1981年)東神奈川派出所 (2016年)廃止 |
| 1917(大正6)年 | 池袋電車庫 (1925年品川電車庫から独立) |
(1929年)移転 (1986年)池袋運転区に改称 (2008年)廃止 |
| 1921(大正10)年 | 中野電車庫 | (2024年)廃止 |
| 1923(大正12)年 | 蒲田電車庫 (1924年品川電車庫から独立) |
(2016年)大田運輸区 (2025年)廃止 |
| 1929(昭和4)年 | 三鷹電車庫 | (2007年)三鷹車両センター |
| 1930(昭和5)年 | 田町電車庫 | (2004年)田町車両センター (2013年)廃止 |
| 1932(昭和7)年 | 下十条電車庫 | (1986年)下十条運転区に改称 (2016年)廃止 |
| 淀川電車庫 | (1985年)放出に移転 | |
| 1934(昭和9)年 | 宮原電車庫 | (2012年)網干総合車両所宮原支所 |
| 1935(昭和10)年 | 津田沼電車庫 | (1986年)習志野電車区に改称 (2003年)廃止 |
| 1936(昭和11)年 | 松戸電車区 | (2004年)松戸車両センター |
| 1937(昭和12)年 | 明石電車区 | (2000年)網干総合車両所明石支所 |
| 備考 | 1936年9月の機構改正で、すべての電車庫は「電車区」に改称 (それ以降開設の松戸、明石は当初から「電車区」) JR東日本の「車両センター」は2026年に「車両ベース」に改称(本表では省略) |
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1936(昭和11)年 電車区
1936年に、これまでの「庫」を「区」に呼び換えて、「機関区」「電車区」に改められました。
終戦後の1949(昭和24)年に国鉄が公共企業体となった際に、「機関区」「電車区」に加えて、「検車区」「車電区」が設けられます。「客貨車区」「客車区」「貨車区」は北海道、四国に設けられますが、1951年からは本州、九州にも設けられ、それに伴い「検車区」「車電区」が廃止されます。
1954(昭和29)年に関西本線など奈良地区の全面気動車化が進んだことから「気動車区」が新設されました。(文献J7705-1)
表8-6-2 戦後の電車区・機関区の開設時期(旧型国電に関係するもの)
| 開設年 | 名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 1950(昭和25)年 | 田町電車区伊東支区 | (1963年)廃止 |
| 1955(昭和30)年 | 大垣電車区 | (2001年)大垣車両区 |
| 1956(昭和31)年 | 高槻電車区 | (1986年)廃止(京都電車区高槻派出所) |
| 1959(昭和34)年 | 新前橋電車区 (高崎第二機関区より移転) |
(1956年)高崎第二機関区開設 (1958年)新前橋派出所開設 (2005年)高崎車両センター(2代目) |
| 武蔵小金井電車区 | (2007年)豊田車両センター武蔵小金井派出 | |
| 1960(昭和35)年 | 大船電車区 | (2000年)鎌倉総合車両所 (2004年)鎌倉総合車両センター (2006年)鎌倉車両センター |
| 中原電車区 | (2020年)鎌倉車両センター中原支所 | |
| 1961(昭和36)年 | 森ノ宮電車区 | (2012年)吹田総合車両所森ノ宮支所 |
| 1962(昭和37)年 | 浦和電車区 | (2015年)さいたま車両センター |
| 1966(昭和41)年 | 豊田電車区 | (2007年)豊田車両センター |
| 小山電車区 | (2004年)小山車両センター | |
| 1968(昭和43)年 | 神領電車区 | (2001年)神領車両区 |
| 1970(昭和45)年 | 網干電車区 | (2000年)網干総合車両所 |
| 日根野電車区 | (2012年)吹田総合車両所日根野支所 | |
| 1972(昭和47)年 | 幕張電車区 | (2004年)幕張車両センター |
| 備考 | JR東日本の「車両センター」は2026年に「車両ベース」に改称(本表では省略) | |
大垣電車区
撮影:大垣電車区(1980.3.28)
東海道本線の主力車両が配置されている大垣電車区の裏方がいるエリア。入換用のクモヤ22とクモハ40、荷物電車のクモニ83が見えます。
高槻電車区
撮影:高槻電車区(1980.3.28)
大阪地区の本線車両の基地である高槻電車区。113系と入換用のクモニ13です。
私はこういった事業用の旧型国電目的で眺めに行くので、電車区の写真というと、ほとんどがこういう写真です。
中原電車区
撮影:中原電車区(1978.9.10)
電車の本数や編成両数が増えるに伴い、基地は郊外に移転し、大型化する傾向があります。
南武線では、南武鉄道から引き継いだ矢向電車区から、1960年に新設した中原電車区に車両基地を移転しました。
72系が引退し、カナリア色やオレンジバーミリオンの101系が主役になった時期の中原電車区。
1936(昭和11)年〜 買収鉄道の電車区
1936年の広浜鉄道以降、電化路線の買収が続きます。
多くの路線で私鉄時代の施設を引き継いでいます。電車の運転がなかった福塩線は、1939年に府中町電車区を新設します。(文献B5901)
表8-6-3 買収国電の電車区
| 開設年 | 名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 1936(昭和11)年 | 横川電車区 (広浜鉄道より引継) |
(1959年)可部線管理所 (1962年)広島運転所横川派出所 |
| 1937(昭和12)年 | 北松本電車区 (信濃鉄道より引継) |
(1961年)大糸線南部管理所 (1965年)松本運転所北松本支所 (1985年)廃止 |
| 1939(昭和14)年 | 府中町電車区(新設) | (1956年)府中電車区に改称 (1991年)廃止 |
| 1941(昭和16)年 | 富士電車区 (富士身延鉄道より引継) |
(1987年)富士運転区 (1989年)富士運輸区 |
| 1943(昭和18)年 | 宇部新川電車区 (宇部鉄道より引継) |
(1949年)藤曲に移転 (1952年)藤曲−岩鼻間廃止線上に移転 (1954年)宇部・小野田線管理所 (1974年)宇部電車区 |
| 城川原機関区 (富山地方鉄道より引継) |
(1955年)富山運輸区 (1967年)富山第一機関区城川原支所 (1985年)廃止 |
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| 弁天橋電車区 (鶴見臨港鉄道浅野電車区) |
(1989年)弁天橋運輸区 (1990年)鶴見線営業所 (2023年)廃止(中原に統合) |
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| 豊橋機関区 (豊川鉄道より引継) |
(1987年)豊橋電車区 (1989年)豊橋運輸区 |
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| 中部天竜支区 (三信鉄道より引継) |
(1985年)廃止 | |
| 伊那松島機関区 (伊那電気鉄道より引継) |
(1987年)伊那松島運転区 (1989年)伊那松島運輸区 |
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| 1944(昭和19)年 | 矢向電車区 (南武鉄道より引継) |
(1960年)廃止 |
| 青梅電車区 (青梅電気鉄道より引継) |
(1971年)廃止 | |
| 鳳電車区 (南海鉄道より引継) |
(1978年)日根野電車区に車両移動 (1997年)日根野電車区鳳派出所 (2012年)鳳電車区(乗務員区所) |
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| 仙台電車区 (宮城電気鉄道より引継) |
(1956年)仙石線管理所 (1971年)陸前原ノ町電車区 (1991年)廃止(宮城野電車区に移転) |
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| 備考 | 開設年=国有化年だが、府中町は新規開設年 | |
富士電車区
撮影:富士電車区(1980.8.31)
この時は、車体更新車の62系が旧型のクハ47051を牽引しての入換中だったので、慌ててカメラを向けました。
弁天橋電車区
撮影:弁天橋電車区(1978.8.15)
洗車台には、クモハ73629ほか3両編成が待機中です。
伊那松島機関区
撮影:伊那松島機関区(1977.8.16)
矢向電留線
撮影:矢向電留線(1979.1.4)
この時はまだ車庫の建物は残存しており、本線の101系と浜川崎支線の17m国電が昼寝をしていました。
1954(昭和29)年 運輸区・管理所
地方での一元管理の組織として、1954年に千葉県の大原と木更津に「運輸区」が設けられました。これは、赤字線の木原線と久留里線の経営改善を目的とし、旅客、荷物、貨物の輸送、レールバスの保守・管理・運用、乗務員の運用などすべての管理を一元化するものです。翌1955年には富山運輸区が置かれるなど、1963年には17運輸区を数えましたが、1970年までにすべてなくなりました。
1956(昭和31)年には「管理所」が設けられ、宮城県に「仙石線管理所」が新設されました。これは仙石線全線の、駅、車掌区、電車区、客貨車区、保線区、建築区、電力区、変電区、信号通信区に関するすべての業務を処理するものでした(文献J7705-1)。
表8-6-4 管理所の開設時期
| 開設年 | 名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 1956(昭和31)年 | 仙石線管理所 | (1971年)陸前原ノ町電車区 |
| 1959(昭和34)年 | 可部線管理所 | (1962年)広島運転所に移管(横川派出所となる) |
| 1959(昭和34)年 | 宇部・小野田線管理所 | (1974年)宇部電車区 |
| 1961(昭和36)年 | 大糸線南部管理所 | (1965年)松本運転所北松本支所 |
| 備考 |
開設年は、組織名が管理所となった年。元組織の電車区等は表8-6-3に記載。 大糸線南部管理所については、文献B9601の年表による |
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旧可部線管理所
撮影:横川電車区(1980.8.7)
この時は、電車の配置は広島運転所になっていましたが、日中の待機は横川電車区のままでした。最大3編成がここに並びます。
旧高岡管理所
撮影:高岡運転派出(2026.9.19)
分割民営化でJR西日本の所属になった際、高岡機関区から高岡運転区に名称変更し、高岡鉄道部を経て現在は運転派出になっているそうです。
1960(昭和35)年 運転所・運転区
1960年3月に各種車両の基地として、機関区、客貨車区などを統合して「大分運転所」が開設されました。規模の小さな区所は「運転区」と名付けられます。同年10月に京都府に開設された「向日町運転区」が最初です。
これらは、車種が違っても共用できる場所や機器などは多く、事務関係も一本化できるメリットがあり、動力車基地合理化の始まりとなりました。(文献J7705-1)
表8-6-5 運転所と運転区
| 年 | 名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 1961(昭和36)年 | 宇都宮運転所 (宇都宮機関区を改組) |
(2022年)廃止(宇都宮運輸区) |
| 1961(昭和36)年 | 静岡運転所 | (2000年)静岡車両区 |
| 1962(昭和37)年 | 広島運転所 | (2012年)下関総合車両所広島支所 |
| 1964(昭和39)年 | 向日町運転所 (向日町運転区を改称) |
(1996年)京都総合車両所 (2012年)吹田総合車両所京都支所 |
| 1965(昭和40)年 | 松本運転所 | (2002年)松本電車区 (2004年)松本車両センター |
| 岡山運転区 | (1982年)岡山電車区 (1986年)岡山運転区 (1987年)岡山運転所 (1989年)岡山電車区 (2022年)下関総合車両所岡山電車支所 |
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| 1966(昭和41)年 | 長野運転所 | (1991年)長野総合車両所 (2004年)長野総合車両センター |
| 1967(昭和42)年 | 長岡運転所 (長岡第二機関区を統合) |
(1997年)長岡運転区 (2004年)長岡車両センター |
| 1968(昭和43)年 | 青森運転所 (青森運転区を改称) |
(2004年)青森車両センター |
広島運転所
撮影:広島運転所(1980.4.3)
保留車のモハ71001や救援車のクモエ21003が見えないかと、遠目に眺めに行ったときの写真です。
1974(昭和49)年 総合車両部
1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線では、最初から運転所が設けられていましたが、博多開業を控えた1974年に「博多総合車両部」が開設されました。これは国鉄史上初めて運転所と工場を統合した組織で、新幹線総局九州管理部の配下にあります。(文献J7705-1)
1987(昭和62)年 民営化前の名称整理
国鉄の分割民営化を控えた1987年3月1日に、車両基地名称の大幅変更が行われました。
民営化により旅客会社となる基地は、「電車区」「気動車区」「客車区」「運転区」「運転所」の5種類にまとめられました。(貨物は「機関区」「貨車区」の2種類)
これにより、例えば「豊橋機関区」は「豊橋電車区」に、「伊那松島機関区」「沼津機関区」「富士電車区」はそれぞれ「運転区」に変更になりました。
なお、これより前にも、1985年には「品川電車区」を「山手電車区」に、1986年には「津田沼電車区」を「習志野電車区」に名称変更する事例もありました。(鉄道ジャーナルNo.247・252)
橋本電留線
撮影:橋本電留線(1980.1.20)
結果的にここは電車区などに昇格されることはなく、現在も「橋本派出所」という位置づけのようです。
1987(昭和62)年〜 民営化後の名称変更
1987年に国鉄は分割民営化で、旅客会社は6社と貨物会社1社に分かれました。その時点で旧型国電は、ほとんどが事業用車でしたが、現在の名称と過去の名称とのつながりを確認する上で、ここで触れておきます。
JR東日本では、2004(平成16)年に、電車区などの名称を「車両センター」に改称しています。「三鷹車両センター」「松本車両センター」「長岡車両センター」「小山車両センター」などと呼ばれます。また、山手電車区と大井工場が統合により「東京総合車両センター」に、北長野運転所が「長野総合車両センター」に改称されるなど、車両基地と車両工場を統合した組織が「総合車両センター」となるようです。
JR東海では、「車両区」と「運輸区」の名称があり、「静岡車両区」「大垣車両区」「神領車両区」や「豊橋運輸区」などがあります。
JR西日本では、「総合車両所」として「吹田総合車両所」「下関総合車両所」「金沢総合車両所」などがあり、それらの下部組織として「森ノ宮支所」「日根野支所」「明石支所」「広島支所」「岡山電車支所」などがあります。
主な参考文献
- P7205-1 沢柳健一(1972)「ローカル国電のもつ役割と現状」(鉄道ピクトリアルNo.265)
- J7705-1 種村直樹(1977)「車両基地ものがたり」(鉄道ジャーナルNo.123)
- 鉄道ジャーナルNo.247(1987)P144「車両基地の統廃合と名称変更について」
- 鉄道ジャーナルNo.252(1987)P60-63「JR東海の車両基地」
- P0501-4 祖田圭介(2005)「国電電車区ものがたり」(鉄道ピクトリアルNo.756)