新潟・北陸地区の路線

上越線 (1956-1978)

上越線は、高崎線高崎から信越本線宮内までを結ぶ路線で、宮内〜長岡間は信越本線に乗り入れますが、すべての列車が長岡まで運転されることから、高崎〜長岡間を上越線として記述します。
列車の運転形態は、上野から高崎線を経由して上越線に乗り入れ、宮内から新潟までは信越本線に乗り入れるという東京〜新潟間を短絡する幹線としての役割を持っています。
上越線の名称は、旧国名の上野(こうづけ)と越後の頭文字をとったもので、新潟県の地域区分である上越地方とは関係ありません。


路線
1956(昭和31)年 高崎線乗り入れ
上越線

上越線は1931(昭和6)年9月には全通しており、同時に水上〜石打間が電化されています。戦後の1947(昭和22)年に全線が電化されています。
電車の運転は、高崎線に80系が投入された1956(昭和31)年からで、上野から新前橋まで直通運転が始まり、一部列車が水上、越後湯沢まで乗り入れました。1958(昭和33)年には準急「奥利根」が上野〜越後湯沢間で運行開始しました。
(文献Z0501-1)

1959(昭和34)年 全線電車運転開始
上越線

1959(昭和34)年4月からは、上野〜長岡間に準急「ゆきぐに」が新設され、上越線全線が電車運転区間となりました。
(文献Z0501-1)

1962(昭和37)年 新潟電化、1965(昭和40)年 80系運行終了
上越線

1962(昭和37)年5月に信越本線長岡〜新潟間が電化されたことで、新潟地区ローカルに70系が転入し、電車化が始まります。1964(昭和39)年3月には上越線越後湯沢まで70系の運行区間を延長しています。
80系による準急電車は、1962年の新潟電化に伴い急行「弥彦・佐渡」として上野〜新潟間に延長されました。(翌1963年に165系に置き換え)
1965年に高崎線から直通の80系が運行を終了したことで、一旦、越後湯沢以南の旧型国電の運行はなくなりました。
(文献P0202-3)(文献Z0501-1)

1966(昭和41)年 70系高崎まで延長
上越線

1966(昭和41)年には70系の運用範囲が高崎まで延長され、再び上越線全線に旧型国電が運行されることになります。
また、1967年に長野原線電化により高崎〜渋川間に戦前型国電が直通、1968年に両毛線電化により高崎〜新前橋間に70系が直通運転を開始しています。
1978(昭和53)年までに、115系の投入により、上越線の70系だけでなく、吾妻線、両毛線からの直通電車も新性能化され、旧型国電の運行は終了しました。
(文献P0202-3)(文献Z0501-1)

車両
70系
上越線

画像:所蔵写真(高崎駅 1970.4.10)

寒冷地対策を施し、赤と黄色の新潟色のツートンカラーをまとった6両編成の70系。

(新性能化後)115系1000番代
上越線

撮影:八色−浦佐(1985.3.4)

1978年に長岡運転所に投入された115系1000番代は、寒冷地対策を強化した車両で、松本運転所に投入された同型車とともに、上越線、信越線などの70系・80系をすべて置き換えました。これまでの高崎線などに比べると、115系が実力を発揮できる働き場所だったように思います。
しかしながら、新潟色やスカ色が継承されず、湘南色が蔓延してゆくのは個人的には残念でした。

(新性能化後)165系急行「佐渡」
上越線

撮影:小出−八色(1985.3.4)

今さらではありますが、急行「佐渡」もかつては80系が使用された列車です。
すでに20年以上の活躍となる165系ですが、今度はこれが特急列車に追われて姿を消す立場になりつつあります。

主な参考文献
  • P0202-3 瀬古龍雄(2002)「新潟地区で活躍したモハ70系電車の思い出」(鉄道ピクトリアルNo.713)
  • Z0501-1 三宅俊彦ほか(2005)「湘南電車80系」(Jtrain Vol.19)
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“ゲタ電”の頃