静岡地区の路線
身延線 (1941-1984)
身延線は、東海道本線の富士から中央東線の甲府に至る路線で、富士身延鉄道により建設されたものを、1941(昭和16)年5月に国有化により身延線としたものです。長距離路線であるため、2扉クロスシート車が多く配置されるほか、低断面トンネルがあるため、低屋根改造された車両に入線が限られるという制約があります。戦前に身延線用のモハ62・クハ77形が鋼体化改造により誕生したり、1970年代になって旧型国電の車体を新性能電車並みに更新したモハ62(2代目)・クハ66形が配置されるなど、個性的な車両が活躍した路線でもあります。
戦前型国電は1981(昭和56)年まで、車体更新のモハ62・クハ66形は1984(昭和59)年までに運用が終了しています。
路線
1941(昭和16)年 国有化
1941(昭和16)年の国有化時点で全線電化されており、1969(昭和44)年9月に富士〜竪堀間の線路付け替えが行われた以外大きな変化はありません。(図は付け替え後)
1964(昭和39)年〜1972(昭和47)年の間、準急(1968年から急行)「富士川」として80系が入線しています。急行「富士川」は東海道本線静岡まで乗り入れたほか、1本は静岡〜島田間を普通列車として運行しました。(文献P9602-6)
車両
戦前型国電
撮影:塩之沢駅(1981.4.9)
長距離路線の性格から、身延線用のモハ62・クハ77形から始まり、横須賀線から転入のモハ32・クハ47形など、2扉クロスシート車が多数配置されています。電動車は、低断面トンネル用に低屋根化改造されてから入線します。
1969(昭和44)年からスカ色に塗装され、富士電車区から沼津機関区に移管されています。1981年に新車の115系投入により運行を終了しました。
車両自体は間合い運用で東海道本線や中央東線のローカル運用も担当していましたが、身延線からの直通列車はありません。
モハ62・クハ66形
撮影:甲斐上野−東花輪(1983.11.23)
1974年に72系を更新し、115系と同等の車体としたモハ62・クハ66形が3編成登場しました。
戦前型国電が運行を終了した後も、115系とともに継続使用されましたが、1984(昭和59)年に追加の115系入線により運行を終了しました。
(新性能化後)115系
撮影:波高島−下部(1984.3.27)
撮影:久那土−市ノ瀬(1984.5.1)
1981年に115系2000番代が新製投入されました。PS23型パンタグラフを装備しながらも、パンタグラフ部分を低くしたモハ114-2600番代や、山梨県の特産品をイメージしたワインレッドの地域カラーなど、身延線に特化した車両です。
これまでクモハユニ44が勤めていた郵便荷物合造車は、客室をもたない1M方式のクモユニ143に置き換えられました。もっとも1985年に身延線の郵便荷物輸送が廃止されてしまいます。
(新性能化後)165系
撮影:波高島−下部(1984.3.27)
80系急行「富士川」は1972年に165系に代わります。5両編成の中間に153系サハ153を挟んでいたり、先頭車が153系改造のクハ164だったりという時期もありましたが、最終期には純粋な165系に統一されています。
主な参考文献
- B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
- P7205-1 沢柳健一(1972)「ローカル国電のもつ役割と現状」(鉄道ピクトリアルNo.265)
- P7205-8 武田彰(1972)「身延線」(鉄道ピクトリアルNo.265)