関東郊外の電車路線

鶴見線 (1943-1980 / -1996)

鶴見線は、鶴見から扇町に至る本線と、浅野から海芝浦に至る支線、武蔵白石から大川に至る支線から成る路線です。鶴見臨港鉄道が1930(昭和5)年から電車運転を行っていたものを戦時買収した路線です。沿線のほとんどが工業地帯です。
買収国電には17mで4扉という通勤輸送に特化した車両もありましたが、国電としての車両代替順位は低く、17m国電が長く使用され、72系も首都圏では最後の1980年まで運行されました。また、大川支線についてはJR東日本経営となった後の1996(平成8)年まで、クモハ12が残りました。


路線
鶴見線

鶴見線は1943(昭和18)年7月に国有化されました。
旧型国電運行当時は、海芝浦支線は鶴見からの直通運転を、大川支線は武蔵白石〜大川間の区間運転をしていました。大川支線は20m車が入線できなかったため、17mのクモハ12形が1996年まで残りました。

車両
17m国電
鶴見線

撮影:弁天橋電車区(1956.7.29)

買収後には木造国電の転入もありましたが、1948年に750Vから1500Vに昇圧するに当たり、17m国電が転入し、1949年に社形をすべて置き換えました。
カーブの多い鶴見線には17m国電が適していたのか、長く使用されていましたが、1972年に72系が転入し、17m車4両編成を20m車3両編成に置き換えました。
写真はモハ11495ほか。

72系
鶴見線

撮影:鶴見−国道(1979.11.3)

17m国電が長く使用されていた鶴見線ですが、1972年から72系3両編成が転入し、1980年に101系に置き換えられるまで使用されています。

クモハ12
鶴見線

撮影:武蔵白石−大川(1980.11.3)

鶴見線の大川支線(武蔵白石−大川)は武蔵白石駅に急カーブのホームがある関係で、長くクモハ12の単行運転が行われており、20m車の72系投入の際も、新性能電車の101系投入の際も置き換えられずに残されていました。
それにとどまらず、1986年からは閑散時間帯に鶴見までの運行にも入るようになり、運行区間華大きく拡大されました。民営化でJR東日本の所属となった1996年まで運用されました。

主な参考文献
  • P8612-1 滝田光雄(1986)「鶴見線 電車運転の移り変わり」(鉄道ピクトリアルNo472)
  • P8612-3 沢柳健一(1986)「鶴見線で活躍した旧形国電」(鉄道ピクトリアルNo472)
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“ゲタ電”の頃