関東の近郊路線
総武本線ほか房総各線 (1968-1977)
房総方面の鉄道は、御茶ノ水(後東京)と銚子を結ぶ総武本線と、その支線である各線により構成されています。東京方面から千葉までが国電区間で、房総方面に向かう中距離列車は両国発着で運行します。房総地区のローカル列車は千葉から先で運行されます。1972年の東京地下駅開業と快速線開通以降は、東京からの快速が房総各方面に直通するようになりました。総武本線は総武鉄道を1907(明治40)年に国有化、成田線は成田鉄道を1920(大正9)年に国有化、房総東線と東金線は房総鉄道を1907年に国有化しており、その後、国鉄により延伸されて路線網が構築されました。
千葉以東は長らく未電化で、蒸気機関車や気動車が運転されていましたが、1968〜74年の間に急速に電化が進み、旧型国電の72系と新性能電車の113系が投入されました。1977年には113系に統一されています。
なお、電化前の1964(昭和39)年の夏期に、80系による「白浜号」を房総西線の千葉〜館山間はDD13の重連で牽引して運転しています。(文献P7708-1)
路線
1968(昭和43)年 第一次電化
房総の電化が開始されたのは1968(昭和43)年3月で、総武本線と成田線の千葉〜佐倉〜成田間が電化されます。運行上は成田線直通列車が電車化されました。
続いて、同年7月に房総東線と房総西線の千葉〜蘇我〜木更津間がされました。こちらも運行上は房総西線直通列車が電車化されました。
(房総各線の72系は基本的にブドウ色ですが、路線図は路線の区別のため、当時の行き先表示板に使用されていた色を基本にしています)
1969(昭和44)年 房総西線千倉電化、1972(昭和47)年 房総東線電化
その後も少しずつ電化区間が延伸されます。
1969(昭和44)年7月に房総西線の電化が千倉まで延伸、1971(昭和46)年7月に安房鴨川まで延伸されます。
1972(昭和47)年7月に房総東線の蘇我〜安房鴨川間が電化され、房総半島を1周する全区間の電化が完成しました。これと同時に、房総西線は内房線に、房総東線は外房線に改称されました。また、この時総武快速線の東京〜津田沼間が開業し、東京地下駅から房総方面に、特急電車や快速電車が直通運転するようになり、この地区の輸送形態は大きく変わりました。
なお、1970(昭和45)年に鹿島線(香取〜鹿島神宮間)が非電化で開通しています。
1973(昭和48)年 東金線、成田(安孫子)線電化
続いて、それ以外の路線が順次電化されます。
1973(昭和48)年9月に東金線全区間と、成田線の成田〜我孫子間が電化されます。成田線には、常磐線の快速電車が上野から成田までの直通運転を開始します。
1974(昭和49)年 房総完全電化
1974(昭和49)年10月には、総武本線と成田線が銚子までの全区間で電化、同時に鹿島線も電化されます。これにより、房総地区の電化が完成しました。
車両
72系
画像:所蔵写真(原宿駅 1975.5.28)
房総地区の72系は、総武線の国電と同じ津田沼電車区に配置されています。最初こそ101系投入で余剰した国電をそのまま活用していましたが、相次ぐ電化区間の延伸で車両が不足し、関西からの転入車も多く迎えています。
写真は廃車回送で、関西から転入したオレンジ色が混じっていますが、ブドウ色に塗り替える間もなく役目を終えたことが分かります。
(新性能化後)113系
撮影:四街道−物井(1984.3.9)
113系は1969年の房総西線電化時に新製配置され、その後、幕張電車区も含めて、横須賀線などからの転入車を中心に増備されます。この時期は電化区間が順次延伸されていたため、72系とともに両系列合わせての増備となっていました。
1975年から72系の置き換えも始まり、1977年までに72系を淘汰しました。
予定されていた総武快速線と横須賀線の直通運転を前提に、房総地区の113系もスカ色を採用しています。
主な参考文献
- 吉田昭雄(1987)「111・113系電車 運転のあゆみ」(鉄道ピクトリアルNo476)