旧型国電のカラー色々

旧型国電の塗色はぶどう色を基本にしており、旅客用、営業用問わずぶどう色を採用しています。戦前に特種用途でツートンカラーを採用した事例があり、戦後には80系が採用した「湘南色」と呼ばれるツートンカラーが契機となり、明るい色を組み合わせたツートンカラーが増加します。さらにオレンジ色単色で塗装した101系に続き、鮮やかな色を使った「国電5色」が登場。特に地方の旧型国電は、それらの塗色を組み合わせて、イメージアップを図るようになります。ここではそんな旧型国電のカラーの生い立ちについて、その概略を眺めてみます。
イラストはあくまでもイメージですので、実際の塗色や車型とは異なる場合があります。
各車両の下の( )内に示した年代は、その塗色を採用した期間を表します。後継塗色採用後に走行した期間は含まれません。

旧型国電の基本塗装

ぶどう色

最初の鋼製国電
ぶどう色
モハ30(1926年〜)

最後の旧型国電
ぶどう色
クハ79920番代(1956〜57年)

最後の車体新造車
ぶどう色
クモヤ90103(1979年)

戦前の電車の色は「ぶどう色」単色が標準でしたが、カラー化が進む戦後になっても、東京周辺の旧型国電や事業用車などでは、最後までぶどう色を貫いた地域も珍しくありません。
新造車では、1957年の72系全金属車までこの色を採用しました。改造車で車体を新造した車両では、1979年のクモヤ90103が警戒色なしのぶどう色単色で出場しています。
この色は、戦後に「ぶどう色2号」と名付けられた色で、客車の「ぶどう色1号」より明るい色になりました。蒸気機関車の煤煙で汚れる客車と差別化を図ったものです。客車の「ぶどう色1号」も1955年に軽量客車の登場を機に「ぶどう色2号」に変更されています(J8503-1)。

戦前のカラー

流電

1次形流電
旧流
モハ52(1936年)

2次形流電
新流
モハ52(1937〜40年)

節電編成
流電
モハ52(1940〜43年)

1936年に京阪神間の急行電車に登場した流線形電車、通称“流電”はこれまでにないツートンカラーに塗り分けられました。
狭窓の第1編成は窓枠とスカートがクリーム色に塗られています。
1937年に登場した第2・3編成は広窓となり、クリーム色地に窓まわりとスカートをマルーンに塗り分ける、よりスマートなデザインに変わりました。第1編成もそれに合わせて塗り替えられました。
1940年には、マルーンとクリーム色とを反転させた塗り分けに変わりました。時をほぼ同じくして、中間の付随車を減らした「節電編成」に移行しています。

オリンピック塗装

A案
オリンピック塗装A案
モハ40(1937〜39年)

B案
オリンピック塗装B案
モハ30(1937〜39年)


1940年の東京オリンピック開催が決まったことから、省電の塗装を変えてイメージアップを図るため、2種類の試験塗装が行われました。
A案は赤褐色1色で、B案は赤褐色と淡黄色のツートンカラーとなっています。(注1)
A案は1937年9月から東京で11両、大阪で4両を塗り替え、B案は10月から東京のみで33両を塗り替えました。(文献B6802のP11)(注2)

終戦後のカラー

緑色塗料の活用

ジュラ電
ジュラ電
63系(1947〜50年)

山手線
山手線
モハ30ほか(1948〜50年)

性能試験車
性能試験車
クヤ99(1953年〜)

終戦後の1947年に、京浜東北線にジュラルミン製の63系1編成が登場します。金属地色の銀色ですが、窓下に緑色の帯が入っています。腐食などの影響で1950年にはぶどう色に塗られました。
1948年には、山手線と京浜東北線の色分けをするため、山手線を緑色にする構想から色見本電車1編成が公開されました。この色見本電車は、60006(黒緑)、60023(青緑)、60066(黄緑)、60123(緑褐)、57001(淡黄緑)、65218(赤茶)だとのことです。(文献B6801のP39)
その試案のうちのE案が採用され、1948年4月から深緑色への塗り替えが始まりました。1949年末までに9割が完了したものの、複々線着工により将来の両線の別線運行が可能となるため、1950年から塗り替えは中止されました。(文献B6802のP11)
同じく1948年4月に、流電モハ52と編成を組んで高速度試験に用いられたクヤ16001が同じ緑色に塗られ、その後継車であるクヤ99が先代を踏襲して緑色1号に塗られました。裾にはメッキの飾り帯が入り、車号なども切抜き文字となっていました。後に普通のぶどう色に塗り替えられました。
終戦後のこうした傾向は、軍用の緑色塗料によるものです。ジュラルミン電車も、航空機の材料を活用したもので、終戦後の資材不足の中で、使える物資を有効活用していた実態が想像できます。

関西急電

急電カラー ①
モハ52
モハ52(1949〜50年)

急電カラー ②
モハ52
モハ52(1950年)


終戦後の1949年4月に京阪神間の急行電車が復活し、濃淡ブルーの境界線に赤線が入るという斬新なカラーで流電編成が再登場しました。当時この電車は「アイスキャンデー」と通称されたそうです。
同様のカラーは、阪和線急行電車のモタ300+クタ500の2編成でも採用されています。
なお、狭窓編成は1950年に更新修繕Ⅰを受けた際に、赤線を省略した塗装に変わりました。(文献F9911-1)

戦後のツートンカラー

花形カラーの登場

湘南色
湘南色
80系(1950年〜)

スカ色
スカ色
70系ほか(1950年〜)

関西急電色
関西急電色
80系(1950〜56年)

1950年の湘南電車80系登場と前後して、戦後の国鉄の看板ともなる新しいツートンカラーが誕生します。
湘南色
画期的な長距離電車である80系には、オレンジとグリーンのツートンカラーが採用され、その走行エリアから「湘南色」と呼ばれるようになります。オレンジ色の色調や前面の塗り分けはその後に微修正されますが、新性能電車に至るまで国鉄電車の標準的なカラーとして長く使われます。
スカ色
横須賀線にはクリーム色と青のツートンカラーが採用され、横須賀線の電略から「スカ色」と呼ばれます。まずは32系や42系が塗り替えられ、1951年の新車70系には最初から採用されました。この色も70系だけでなく各地の旧型国電に採用されたほか、70系を引き継いで横須賀線、中央東線などの新性能電車にも継承されました。当初は明るめの青2号とクリーム色2号でしたが、1963年に類似色の統合と廃止が行われた際に、20系客車などと同じ青15号とクリーム色1号に変わりました。
関西急電色
関西には京阪神間の急行電車に80系を投入する際、クリーム色とマルーンのツートンカラーが採用されました。この色は阪和線に転じた流電などにも拡大されました。もっとも電化区間の延伸により湘南色の80系が直通するようになると、湘南色への統一が図られて姿を消しました。

阪和色
阪和色
70系(1955〜67年)

1955年には、流電に代わる阪和線の急行電車用に70系が登場しますが、これにはクリーム色と青緑色のツートンカラーが採用され、「阪和色」などと呼ばれました。クリーム色は、80系の関西急電色と同じで、文献などによるとオレンジ色っぽい色だったようです。
予備車として、モハ61001+クハ6210もこの色に塗られました。(1959年まで)
1967年にスカ色に変更され、姿を消しました。

地方路線のツートンカラー

富山港線
富山港線
買収国電(1951〜60年)

飯田線快速
飯田線
32系ほか(1952〜57年)

仙石線
仙石線
買収国電・旧型国電(1959〜67年)

地方路線でもツートンカラーを採用してイメージアップを図るようになります。
富山港線
富山港線では、クリーム色と青のツートンカラーを採用します。クリーム色は後のスカ色と同じクリーム色1号、青はスカ色より明るい青4号です。1960年頃になると、普通のぶどう色に変更されたようです。
飯田線快速
続いて飯田線では飯田〜辰野間の快速電車の運行を行うに当たり、横須賀線から転入したモハ32などの2扉車を中心に、茶色とクリーム色のツートンカラーを採用しました。このカラーは、20m車の転入により新たな快速色が登場する1957年まで使用されました。
仙石線
仙石線では、1959年より快速運用に気動車色(朱色4号・クリーム色4号)を採用、後にすべての車両に拡大しました。1963年に転入した20mのクモハ41、1966年からの72系も塗り替えられましたが、1967年のウグイス色採用に伴い終了しました。

飯田線快速色(新) ①
飯田線快速色
42系など(1957〜60年)

飯田線快速色(新) ②
飯田線快速色
42系など(1960〜63年)


1957年に飯田線に流電モハ52が転入し、横須賀線から転入した一般形42系などとともに、新しい快速色に塗装されました。これは湘南色の黄かん色と、スカ色(当時)の青2号とを組み合わせた独特のツートンカラーです。
1960年には塗り分けの一部を変更し、幕板にも青が塗装されました。

国電標準カラー

国電5色

オレンジバーミリオン
オレンジバーミリオン
72系など(1958〜77年)

カナリア色
カナリア色
クハ25(1962〜67年)

オレンジバーミリオン
オレンジバーミリオン
モハ72970(1972年)

オレンジバーミリオン
1957年に中央線用に誕生した初めての新性能電車90系(→101系)は、オレンジ色単色という明るいカラーに塗られました。この色はオレンジバーミリオン(朱色1号)と呼ばれます。関西では在来車にも新しい塗色を採用するため、1958年にモニ13形2両に関西急電色(クリーム色と茶色)とオレンジ色の試験塗装を行いました。結果、同年中に城東線・西成線にオレンジバーミリオンを採用しました。続いて片町線、阪和線にも採用されています。(文献B8203のP158)
なお、これとは別に、1972年に103系並の車体に更新したモハ72970がオレンジバーミリオンに塗装され、鶴見線に投入されています。後にぶどう色に塗り替えられました。
カナリア色
1961年には山手線にも101系が配置されますが、これは新たにカナリア色(黄5号)が採用されました。この色はその後、車両とともに総武線に移動しています。旧型国電でのカナリア色の本格採用事例はありませんが、阪和線の塗装変更の試験編成として1962年にクハ25005がこの色に塗られています。(文献B1101のP6)

ウグイス色
ウグイス色
72系など(1967〜77年)

ウグイス色(呉線)
呉線ウグイス色
72系(1970〜84年)

ウグイス色(仙石線)
仙石線ウグイス色
72系(1977〜80年)

1963年に試作車が登場し、1964年から山手線で運行を開始した103系には、ウグイス色(黄緑6号)が採用されました。関西でも1973年に電化された関西線の101系に採用されますが、周辺の風景に溶け込んでしまうため、前面に黄色5号の警戒色が入れられました。
旧型国電で最初にこの色を採用したのは仙石線で、1967年にクモハ54などのセミクロスシート車が転入した際に、快速色として塗り替えを開始、翌1968年からはすべての車両に広げています。(注3)
1970年に全線電化された呉線が、同じウグイス色を採用しました。しかし、関西線同様に警戒色が必要となり、こちらは前面の上下に黄かん色を入れています。1976年に車両ごと可部線に移動し、1984年まで使用されました。
警戒色は1977年に仙石線でも導入されます。複数の色で試験塗装した後、関西線同様の黄5号の帯を前面に入れることで落ち着きました。側面にまで巻かれていない点が関西線と異なります。

スカイブルー
スカイブルー
戦前型・72系(1967〜85年)

スカイブルー(仙石線)
仙石線スカイブルー
72系(1980〜85年)

1965年に京浜東北線に投入された103系がスカイブルー(青22号)に塗られ、関西でも103系導入に伴い、1968年から阪和線、1969年から京阪神緩行線で採用されています。
旧型国電でのスカイブルーの採用は、大糸線が1967年、富山港線が1968年です。また東海道本線の垂井支線、美濃赤坂支線の戦前型もこの色に塗られました。(注4)
また、これらとは別に、仙石線では1980年に103系がスカイブルーで投入されたため、しばらく共通で運用される72系車体更新車が同じ色に塗り替えられました。

ブライトブルー(福塩線)
ブライトブルー
戦前型(1971〜77年)

黄色警戒色(可部線・宇部線)
ぶどう色
戦前型(1966〜81年)


ブライトブルー
国電カラーではありませんが、福塩線では1971年から青20号の単色塗りを採用しました。この色は、新幹線の窓まわりや、1969年から新製が始まった新型客車(12系など)で使用されている塗色です。スカイブルーより濃く、スカ色の青より明るい色です。結果的に福塩線で6年間ほど使用されただけに終わりました。
黄色警戒色
また広島鉄道管理局管内では、通常のぶどう色に黄5号の警戒色を入れています。1966年に可部線の17m車に導入し、1974年には宇部・小野田線の戦前型にも拡大しています。

ツートンカラー

飯田線湘南色
飯田線湘南色
42系など(1963〜68年)

スカ色
スカ色
戦前型(1967〜83年)

新潟色
新潟色
70系(1964〜78年)

1963年に外部塗色の一部統合標準化が実施されたため、これまでの地方色が廃止され、新性能電車に使われている塗色に変更されるようになりました。
飯田線湘南色
1963年に、飯田線快速色は湘南色に変更になります。80系以外への湘南色の展開は珍しかったのですが、5年後の1968年にはすべての車両がスカ色に塗装されることになり、飯田線の湘南色は姿を消しました。なお、幕板の塗り分け線が上の方の位置にありますが、これは流電モハ52の塗り分け線に合わせたものと思われます。(注5)
スカ色
スカ色は統合標準化に際しクリーム色2号が廃止されたことなどから、20系客車や新型電気機関車と同じ青15号とクリーム色1号に変更されました(文献J8503-1)。70系は順次新しいスカ色に塗り替えられましたが、これとは別に戦前型などにもスカ色の導入が始まります。北関東地区(1967年〜)と静岡地区(飯田線・御殿場線1968年〜、身延線1969年〜)が主な導入路線ですが、70系と同じ神領電車区に配置された中央西線の72系(1972年〜)もスカ色になりました。(注6)
新潟色
新潟色は新潟地区に転入した70系に採用した地域色です。1962年に転入した70系はぶどう色どで視認性が悪いことから、1964年に明るい目立つ色ということで特急電車の窓まわりと同じ赤2号と、総武線と同じ黄5号のツートンカラーを採用しました。(文献P0202-3)

その他

交流・交直両用

交流電車
交流電車
クモヤ790(1959年〜)

交直流電車
交直流電車
クヤ490-11(1958年〜)

交直流電車
交直流電車
491系・493系(1960年〜)

交流
交流電車や交流電気機関車は、赤2号に塗られました。交流は高電圧で車両の取り扱いも異なることから、職員の安全対策もあり視覚に訴える必要があったとのことです(文献F7512-1)。警戒色、飾り帯はクリーム色4号です。この組み合わせは特急型と同じです。旧性能電車の改造であるクモヤ790、新造のクモヤ791に採用された後、北海道向けの新性能電車711系も同じ色に塗られています。
交直両用
交直両用電車は、交流の赤と直流のぶどう色の中間を狙ったというオールドローズ(赤13号)を採用しました(文献F7512-1)。警戒色、飾り帯類は交流車と同じクリーム色4号です。クヤ490-11は当初この2色のツートンカラーでしたが、これはその後の急行形451系に近いデザインです。
491系は1960年の旅客化の際に、オールドローズを地色にしたデザインに変わり、前面にはクリーム色の飾り帯を入れました。これは同年に登場した新性能電車の近郊形401系などと同じです。旧性能電車改造の493系も同じデザインを採用しています。

事業用車

架線試験車
架線試験車
クモヤ93(1958〜80年)

コンテナ輸送試作車
コンテナ電車
クモヤ22000〜(1960〜61年)

救援車
救援車
サエ9322・クモエ21009(〜1978年)

旧性能の試験車など事業用車はぶどう色2号が基本ですが、飾り帯や警戒色が加わる場合があります。
教習車のクモヤ92や架線試験車のクモヤ93は、ぶどう色を地色に、クリーム色の飾り帯を入れていました。
1960年に試作されたコンテナ輸送電車のクモヤ22(000〜)は前面にV字形の虎柄の警戒色を入れていました。もっとも、試験が終わると1年で警戒色はなくなり、ぶどう色単色になりました。
また飯田線の伊那松島機関区に配置されている救援車は、片方の妻面に大型扉が取り付けられていますが、そこに大きな三角の警戒色が入れられています。これはサエ9322号からクモエ21009に引き継がれましたが、1978年にぶどう色単色に戻されました。また、サエ9322号にはさらに丸いマークもありましたが、これはクモエ21には引き継がれていません。(注7)

職用車
職用車
クモヤ90(1979年〜)

1979年に新性能電車並みの車体で改造されたクモヤ90(102〜・201〜)はぶどう色地色に黄5号の警戒色を入れています。

郵便・荷物電車

湘南色
湘南色
クモユニ74ほか(1962年〜)

スカ色
スカ色
クモニ83ほか(1966年〜)

スカ色(房総各線)
スカ色
クモユニ74(1972〜76年)

新性能電車と併結する郵便・荷物電車は、併結する新性能電車に合わせて、湘南色をメインに、一部がスカ色に塗装されています。スカ色は、中央東線、横須賀線、房総各線のみです。
塗り分け線も新性能電車の近郊形に合わせていますが、幕板の色が雨樋のみに塗られています。
ただし、房総各線のクモユニ74のスカ色は幕板にも青色が塗られています。前面幕板の青色は1976年頃までになくなりました。(注8)

スカ色
スカ色
クモハユ74(1969〜80年)

1969年に房総各線に投入されたクモハ74(→クモハユ74)は、新性能電車113系に合わせたスカ色になりました。しかし塗り分け線は湘南色と同じで、窓まわりのクリーム色の面積が広くなっています。

主な参考文献
  • B6201 星晃ほか(1962)「電車のアルバム」交友社
  • B6802 沢柳健一ほか(1968)「国鉄電車のあゆみ −30系から80系まで−」交友社
  • F7011-3 安東紘光ほか(1970)「“省線電車”の走るところ(13)垂井・美濃赤坂線 中央西線」(鉄道ファンNo.84)
  • P7205-1 沢柳健一(1972)「ローカル国電のもつ役割と現状」(鉄道ピクトリアルNo.265)
  • F7512-1 黒岩保美(1975)「こくでん・いろいろ噺」(鉄道ファンNo.176)
  • B8203 鉄道史資料保存会(1982)「関西国電50年」
  • J8503-1 星晃(1985)「国鉄車両の色あのころ≠フ話」(鉄道ジャーナルNo.217)
  • J8503-2 「国鉄車両に使われている色彩と用途」(鉄道ジャーナルNo.217)
  • F9911-1 手塚一之(1999)「流電52系姉妹の一代記(そのV)」(鉄道ファンNo.463)
  • B0302 沢柳健一(2003)「旧型国電50年U」
  • B1101 久保敏(2011)「鉄道青春時代−国電(U)」
(注1)
オリンピック塗装の当時のカラー写真はなく、色見本番号もない時代だったため、色の詳細は不明。
文献5901(新出1959)P126では、「屋根を淡青、窓から上を淡黄、腰板を赤褐色」と記載している。
文献F7512-1(黒岩1975)では、「上部淡黄色・下部赤褐色、現代語でいうならクリーム色とワインカラー」と記載している。
沢柳健一(1983)「旧形国電はなやかなりしころ」(鉄道ピクトリアルNo424)では、「A案を赤茶色、B案をクリームと赤茶色」と記載している。「B案はその後西武鉄道で採用したが窓周りのクリームは濃い」とのこと。
同じ著者の文献B0302(沢柳2003)では、「A案は赤茶色(現在の阪急色に近い)、B案は上部がクリーム、下部がエビ茶色。その色合いは15年後から採用の西武鉄道と同じ色」とのこと。

(注2)
オリンピック塗装の車両番号については、不明な部分がある。
文献5901(新出1959)P126では、京浜線3本、横須賀線2本、山手線1本、中央総武線4本とある。
文献B6802(沢柳1968)P11では、A案は東京で11両、大阪で4両、B案は東京のみで33両とある。(つまり合計48両)しかしながら、同書のP11・19・26・39に記載の車番は、上記両数と一致しない。

一方、同じ著者の文献B0302(沢柳2003)P46では上記両数(合計48両)と一致する。
A案
(大阪)41007+55012
(大阪)43030+59018
(京浜)31103+39023+37003+39024+31104
(山手)31031+65024+31022
(中央)31065+39004+31086
B案
(京浜)30069+36024+56004+36025+30070
(京浜)30109+36043+30108
(京浜)31101+39021+37011+39002+31102
(京浜)31095+55052+31094
(山手)31003+75006+31004
(横須賀)32027+48010+66010+32026
(中央)31057+65007+31068
(中央)40045+65019
(総武)40056+55029
(常磐)41015+55040
(予備)40061
以上48両である。
赤文字=B6802とB0302とでの相違点。

ちなみに、相違点についてB6802には下記の車番となっている。
A案
(大阪)40007+55012
B案
(京浜)31101+39021+37011+39022+31102
(横須賀)32025+48009+66009+32024
(総武)40046+55029
(常磐)41019+55040

また同じR8201-1(大那1982)では、
(横須賀)32025+48009+66009+32024
と書かれている。

(注3)
文献P7205-1(沢柳1972)に、1967年5月から快速用にウグイス色採用とあり、文献B6802(沢柳1968)のカラーページに1967年8月撮影のウグイス色の「快速色」というキャプション付の写真がある。一方、同じ著者の文献P7205-2(沢柳1972)では、1968年8月にウグイス色を採用し1970年8月全車完了とある。結論としては、1967年5月に快速色として採用、1968年に全車に採用と解釈した。
(注4)
富山港線は1967年に72系が転入しているが、米田修(1968)「富山港線電車だより」(鉄道ファンNo.88 P118投稿記事)によると、1968年春よりスカイブルーに塗り替えられている。東海道線は文献7011-3(安東1970)の時点でスカイブルー。
(注5)
飯田線の湘南色は快速用の2扉車が基本だが、文献P0304-4(白井2003)によると、1966年に飯田線に転入したクモハ54008、110、123の3両も湘南色となった。
(注6)
戦前型のスカ色は、70系とともに使用される車両を除くと、長野原線など高崎地区の車両は貫通扉をクリーム色にした115系風塗り分け、飯田線など静岡地区の車両は直線塗り分けだった。文献P0304-4(白井2003)によると、1972年から飯田線も115系風塗り分けになった。
(注7)
伊那松島機関区の救援車の警戒色については、カラー写真の記録が少ないため、正確な色は不明。白黒写真からはスカ色と同じクリーム色1号と思われる。サエ9322号の丸の色はそれより濃い。警戒色が入れられた時期は不明。
(注8)
房総各線のクモユニ74の前面幕板の青色については、文献P1705(鉄道ピクトリアルNo.931)のP5に、青色が塗られた車両と塗られていない車両との両方が写った写真(1976年1月5日撮影)が掲載されている。
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“ゲタ電”の頃