流電のカラー色々
流線形のモハ52形は、その斬新なスタイルをより引き立てるために、マルーンとクリーム色のツートンカラーで登場しました。しかし、間もなく戦争の激化でそのスマートな姿を変化させ、終戦後は一時的な急電への復活後、阪和線に転出、そして飯田線へと再転出しています。
1978年に飯田線での活躍を終えるまで、その人気は衰えることなく、カラーデザインにも工夫が凝らされていました。ここでは、そんな流電モハ52形のカラーの変遷と、その影に隠れがちだった半流線形の通称“合いの子”のカラー変遷を辿ってみます。
戦前のカラー
旧流カラー
モハ52(1936年)
新流カラー
モハ52(1937〜40年)
“合いの子”(ぶどう色)
モハ43(1937年〜)
1936年に京阪神間の急行電車に登場した流線形電車、通称“流電”はこれまでにないツートンカラーに塗り分けられました。
狭窓の第1編成は窓枠とスカートがクリーム色に塗られています。
1937年に登場した第2・3編成は広窓となり、クリーム色地に窓まわりとスカートをマルーンに塗り分ける、よりスマートなデザインに変わりました。第1編成もそれに合わせて塗り替えられました。
しかし、増備車である2編成は、流線形、スカート付をやめ、一般車両と同じ半流線形となりました。側面は広窓流電と共通しているため“合いの子”と通称されます。カラーデザインもぶどう色単色になっています。
旧流カラー
モハ52002+サロハ46018+サハ48029+モハ52001
新流カラー
モハ52004+サハ48030+サロハ66016+モハ52003
モハ52006+サハ48031+サロハ66017+モハ52005
モハ52002+サハ48029+サロハ66020+モハ52001(塗り替え)
ぶどう色
モハ43038+サハ48032+サロハ66018+モハ43039
モハ43040+サハ48033+サロハ66019+モハ43041
節電編成 ①
モハ52(1940〜43年)
節電編成 ②
モハ52(1940〜43年)
ぶどう色
モハ52(1943年〜)
戦争の激化により、花形の急行電車だった流電も中間の付随車を減らした「節電編成」に移行します。
これと前後して、1940年1月に広窓の1編成はこれまでのカラーのマルーンとクリームを反転させたカラーに変わりました。
続いて広窓のもう1編成と狭窓も塗り替えられますが、窓枠がクリーム色のままになっているなど、違いがあります。(文献9909-1による)
1941年から順次スカートを外し(文献F9910-1)、1943年7月には、ぶどう色1色に塗り替えられました。(文献B6201による)
節電編成 ①
モハ52004+サハ48030+サロハ66016+モハ52003
節電編成 ②
モハ52006+サハ48031+サロハ66017+モハ52005
モハ52002+サハ48029+サロハ66020+モハ52001
(節電編成は、1940年に中間車1両または2両を抜いて運転された)
終戦後のカラー
高速度試験
高速度試験
モハ52ほか(1948〜49年)
1948年4月に、2両の流電モハ52が上京し、木造の試験車クヤ16001を挟んで三島−沼津間で高速度試験が行われました。この編成は山手線と同じ緑色に塗られました。(文献F9911-1)
モハ52002+クヤ16001+モハ52005
また、同年10月には、動力車用台車の評価テストのため再度上京したそうです。(文献B9803のP25)
関西急電
急電カラー ①
モハ52(1949〜50年)
急電カラー ②
モハ52(1950年)
ぶどう色
モハ43(1949年〜)
終戦後の1949年4月に京阪神間の急行電車が復活し、5月には流電の広窓編成が濃淡ブルーの境界線に赤線が入るという斬新なカラーで登場しました。当時この電車は「アイスキャンデー」と通称されたそうです。同年8月には狭窓を中心とした編成も登場します。(注1)
なお、狭窓編成は1950年に更新修繕Ⅰを受けた際に、赤線を省略した塗装に変わりました。(文献F9911-1)
半流線形の通称“合いの子”と相棒を戦災でなくしたモハ52005は、「アイスキャンデー」塗装にはならず、ぶどう色のままで急行電車に使用されました。
急電カラー ①
モハ52004+サハ48033+サハ48035+モハ52003
モハ52002+サハ48029+サハ48032+モハ52001
急電カラー ②
モハ52002+サロハ66018+モハ52001(更新修繕Ⅰ)
(上記2編成以外はぶどう色単色)
戦後のカラー
阪和線
関西急電色
モハ52(1951〜53年)
関西急電色
モハ43(1951〜53年)
ぶどう色
モハ52(1953〜57年)
1950年に京阪神間の急電に80系が新製投入されると、流電は阪和線に転じ、特急電車に使用されます。ここでは80系の関西急電色と同じ、マルーンとクリーム色のツートンカラーになりました。塗り分けも80系に準じた“金太郎腹掛け”スタイルですが、なぜか上部の塗り分けは下に下がっています。
また、阪和線では半流線形の通称“合いの子”が初めて流電と同じツートンカラーに塗り分けられました。こちらは上部の塗り分けも80系に準じています。
更新修繕により標準化される前に、全車ともぶどう色単色に戻されてしまいました。
関西急電色
モハ52002+サロハ66018+モハ52001(狭窓)※1
モハ52004+サハ48034+モハ52003(広窓)
モハ43040+サハ48036+モハ43041(合いの子)
サハ48035(予備車)
ぶどう色
モハ43039+サロハ66019+モハ52005
本編成図は、文献P7603-1による。同書では※1は「青色塗装」とあるが、文献F9911-1のP81、文献B6201のP112などにモハ52の写真、文献B1101のP19にサロハ6618の写真があり、関西急電色への塗り替えが確認できる。
飯田線
飯田線快速色(関西急電色)
クハ47021(1951〜52年頃)
ぶどう色
クハ47022(1951〜54年)
通称“合いの子”の中間車であるサロハ66018・019の2両は、1951年11月に阪和線から飯田線に転じ、運転台を増設してクハ47021・022となりました。クハ47021は快速色に、022はぶどう色でした。021も後にぶどう色に塗り替えられています。
なお、021の塗色は飯田線快速色ではなく、関西急電色だった可能性もあります。(注2)
1954年には伊東線に転出し、飯田線から一旦流電系は姿を消しました。(文献P7603-1)
飯田線快速色(新) ①
クモハ52(1957〜60年)
飯田線快速色(新) ②
42系など(1960〜63年)
ぶどう色
モハ43・53ほか
1957年に飯田線に流電モハ52が転入し、横須賀線から転入した一般形42系などとともに、新しい快速色に塗装されました。これは湘南色の黄かん色と、スカ色(当時)の青2号とを組み合わせた独特のツートンカラーです。
1960年には塗り分けの一部を変更し、幕板にも青が塗装されました。ただし流電モハ52は、前面はこれまでと変わりません。
また、通称“合いの子”クモハ43・53は、北部の伊那松島機関区に配置され、快速運用には入らないため、一般車両と同様のぶどう色単色でした。
飯田線湘南色
クモハ52(1963〜68年)
飯田線湘南色
42系など(1963〜68年)
ぶどう色
クモハ43・53ほか
1963年の塗装の統合標準化を受けて、飯田線快速色は湘南色に変更になります。モハ52の前面の塗り分けは、登場時を連想させるものとなりました。これまで張上げ屋根の部分は屋根色の灰色に塗装されていましたが、ボディカラーになっています。
編成を組む一般型についても、幕板の緑色はモハ52に合わせて高い位置にあります。
通称“合いの子”クモハ43・53については、引き続き一般車と同じぶどう色単色です。
スカ色
クモハ52(1968〜78年)
スカ色
クモハ43・53ほか(1968〜83年)
飯田線は、1968年にスカ色に変更になりました。クモハ52の塗り分けは、湘南色の時と同じで、流電登場時を連想させるデザインです。
この時に、快速編成以外の一般車両も全車スカ色を採用したため、通称“合いの子”のクモハ43・53についても晴れてツートンカラーとなりました。なお、湘南色の時と異なり、幕板の塗り分けは流電クモハ52とは合されず、ウィンドヘッダーの上から青色になっています。
主な参考文献
- B6201 星晃ほか(1962)「電車のアルバム」交友社
- B6802 沢柳健一ほか(1968)「国鉄電車のあゆみ −30系から80系まで−」交友社
- P7205-1 沢柳健一(1972)「ローカル国電のもつ役割と現状」(鉄道ピクトリアルNo.265)
- P7603-1 吉田明雄(1976)「戦後のモハ52形」(鉄道ピクトリアルNo.317)
- F7512-1 黒岩保美(1975)「こくでん・いろいろ噺」(鉄道ファンNo.176)
- B8203 鉄道史資料保存会(1982)「関西国電50年」
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」
- B9802 巴川享則(1998)「国鉄電車回想Ⅲ」
- B9803 宮澤孝一(1998)「ジュラ電からSL終焉まで」
- F9911-1 手塚一之(1999)「流電52系姉妹の一代記(そのV)」(鉄道ファンNo.463)
- B0302 沢柳健一(2003)「旧型国電50年U」