試験塗装と特殊塗装

正式な塗色を決める前の試験塗装や、一時的に存在した塗色など、イレギュラーなものをまとめてみます。

試験塗装

63系ジュラルミン電車

赤帯(落成時)
ジュラ電
モハ63400(1946年)

緑帯
ジュラ電
モハ63900〜(1947〜50年)

ぶどう色2号
ジュラ電
モハ63900〜(1950〜54年)

1946年に製造されたジュラルミン製のモハ63は、納車時には緑色の帯でしたが、川崎車輌での落成間際には前面窓下と車体裾に赤色の帯が巻かれていました。しかし、ジュラルミンは腐食が発生したため、1950年には普通のぶどう色2号に全塗装されました。結果的に1954年には全金属試作車のベース車となり、姿を消しました。(文献R8004-1、B9803)

山手線 色見本電車
(B)青緑+(A)緑褐色+(D)淡黄緑+(E)黄緑+(F)黒緑+(C)赤茶色
山手線

モハ60023+モハ60123+サハ57001+モハ60066+モハ60006+クハ65218(1947)   参考:文献B5901,B6802

1947年頃に、山手線の緑色化を前に色見本電車が走りました。これについては、カラー写真がないのはもちろんのこと、詳しい記述もないため、文献B6802(P39)の記述を元に想像でイラスト化しました。編成とA〜Fの記号は文献B5901(P166)に記載がありました。また文献B6802(P11)には、翌年に山手線が採用した緑色は色見本電車のE案であると書かれており、モハ60066の黄緑色が採用カラーだと分かります。
なお、「黄緑色」といっても当時ぶどう色だけだった時代の表現なので、後の山手線103系の黄緑色(ウグイス色)とは比べものにならない濃い色です。山手線で採用された緑色は、クヤ99と同じ色だと思われることから、イラストの色を割り出しました(文献B6802の巻頭にクヤ99のカラー写真あり)。その他の色は、この緑色をベースに、色相・彩度・明度を調整して割り出しています。どの色も基本的には軍用の飛行機に使われていた色のバリエーションとなります。
また赤茶色については、戦前のオリンピック塗装A案に近いものと想像しました。
1947年1月1日から京浜線、1月15日から山手線、2月には中央線で運転したそうです。(文献B5901)
(注1)

横須賀線 試験塗装車
スカ色(右側面)
横須賀線

モハ32028(1949〜50年)
 参考:文献M2101(上巻P12)

湘南色(左側面)
横須賀線

モハ32028(1949〜50年)
 参考:文献B6802(巻頭)

スカ色(前面)
横須賀線
モハ32028(1949〜50年)

連結面(沢柳健一説)
横須賀線
モハ32028(1949〜50年)

連結面(大那庸之助説)
横須賀線
モハ32028(1949〜50年)

終戦後の1949年12月から1950年5月まで(文献B0202による)、横須賀線の更新修繕を前にしたイメージアップのため、モハ32028を使って、新たな横須賀線の新塗装の試験が行われました。
左側面が湘南色、前面がスカ色の試験塗装で、その角度のカラー写真は複数の文献で公開されている有名な写真です。湘南色の緑色が淡いという特徴はその写真から読み取れます。一方、スカ色は写真では茶色に見えますが、文献によって表現が異なり、茶色、藤色、紺色などの説があります。このイラストは、ぶどう色を青寄りにしたことで、人によって(あるいは角度や光の具合によって)上記のように見えたのだと解釈しました。
連結面については諸説ありますが、具体的に記載している2氏の記述を元にイラスト化してみました。連結面は、一度に全体を見ることは難しく、かつ陰になりがちで正確な色の確認がしにくい場所です。
(注2)

大阪地区塗色試験車

関西急電色
大阪地区塗色試験
クモニ13009(1958年)

オレンジ色
大阪地区塗色試験
クモニ13022(1958年)


大阪地区の国電(城東線・西成線・片町線)の塗色を変更するため、関西急電色とオレンジバーミリオンの2種類をクモニ13を使って比較する塗色試験が行われました。関西急電色は上部のぶどう色が省略されています。(文献B6802)
関西急電色は東海道線全線電化に伴い湘南色に統一されて消える予定のカラー、オレンジ色は東京の中央線で新規に採用されたばかりのカラーでした。結果的にオレンジ色が採用されることになります。

鶴見線警戒色試験塗装車

クモハ11509
警戒色試験
クモハ11509(1959〜66年)


踏切の多い鶴見線の明視塗装試験車として、クモハ11509の前面窓下にオレンジ色の夜光塗料を施し、左右2個の電気照明を取り付けました。1959年2〜3月に夜間試験が行われました。
文献B6802(P57)にオレンジ色との記述があるものの、実際どのような色だったかは白黒写真のみなので不明です。また文献P0209-3に1966年撮影の写真があるため、少なくとも1966年まではそのまま使用されていました。

阪和線試験塗装車

オレンジバーミリオン
オレンジバーミリオン
クモハ20(1962〜67年)

カナリア色
カナリア色
クハ25(1962〜67年)


阪和線では1962年、阪和形の買収国電2両に、オレンジ色とカナリア色の2種類の試験塗装を行いました。この時期既に大阪環状線と片町線の戦前型電車はオレンジ色に塗装されており、結果的に阪和線もオレンジ色が選ばれました。(文献B1101のP6)
なお、カナリア色に塗装されたクハ25005は、そのままの塗装で長く使用されました。

仙石線警戒色試験塗装車

白色
仙石線
クモハ73(1978年)

赤11号
仙石色
クモハ73(1978年)

黄5号
仙石線
72系(1978〜80年)

仙石線では1967年からウグイス色(黄緑6号)を採用していましたが、遠くから列車の接近が見にくいという問題点があり、1978年に警戒色の試験塗装が行われました。前面窓下に、白、赤、黄色の3種類の警戒色が塗装された結果、黄色が採用されました。
警戒色の色は黄5号で、関西線の101系と同じですが、側面まで回されていない点が異なります。1978年夏からすべての車両に入れられました。
(注3)

イレギュラーな塗り分け線

流電クモハ52

湘南色(初号車)
湘南色
クモハ52005(1963年)

スカ色(初号車)
スカ色
クモハ52004(1969〜72年)

本来の塗り分け
湘南色・スカ色
クモハ52

飯田線で見られた2種類の塗装ミス例です。
1963年に、黄かん色と青2号の組合せだった飯田線快速色は、湘南色に変更になります。最初に出場したクモハ52005は、快速色の金太郎腹掛けスタイルのまま湘南色に塗り替えられました。1か月後に通常塗り分けに改められました。(文献F9912-1)
1968年に、飯田線の全車両がスカ色に変更されます。流電クモハ52は湘南色時代と同じ塗り分けの予定でしたが、004号は1969年1月の出場時に上下の青色が一般車両同様に塗り分けられて出場、1972年6月の入場時に塗り直されたそうです。(文献F0001-1)

身延線スカ色

スカ色(幕板直線)
スカ色
クモハ60800

スカ色(腰板直角)
スカ色
クハ68103

スカ色(幕板直線・腰板直角)
スカ色
クモハ60812

飯田線、身延線の戦前型国電のスカ色は、1972年以降、貫通扉をクリーム色とし、腰板の青色の隅にRをつけた115系風の塗り分け線に変わります。(文献P0304-4)
飯田線は統一的なデザインで進められますが、身延線に関してはいくつかのパターンが見られました。
「幕板直線」タイプは、上部の塗り分け線が直線で、貫通扉にかかっています。
「腰板直角」タイプは、貫通幌と接する部分にRがありません。このタイプは、クモハ51、クハ68に多く見られました。
両方を合わせた「幕板直線・腰板直角」も見られました。

新潟地区

新潟色(転入車)
新潟色
クハ68044(1976年)

湘南色(転入車)
湘南色
クモニ83805(1986年〜)

本来の塗り分け
湘南色
クハ68・クモニ83

新潟色のクハ68は、70系に合わせて前面腰板の塗り分け線が曲線になっていますが、1976年に中央西線から転属して来たクハ68044は、新潟色に塗り替える際、スカ色の塗り分け線のままとなりました。(省型旧形国電の残影を求めてによる)
また、1985年に中央東線の荷物輸送廃止に伴い、スカ色のクモニ83が上越線に転属してきました。これは当初はスカ色のまま使用されていましたが、湘南色に塗り替える際、スカ色位置のまま塗り替えられました。従って腰板の塗り分け線が他の湘南色車両より高い位置にあります。(通常の湘南色は、前照灯の中央くらいの位置)

事業用車両

オレンジ色
オレンジ色
クエ28004(1965年〜)

カナリア色
カナリア色
クモニ13011(1971年〜)

スカイブルー
スカイブルー
クモハ40800(1975年〜)


車両基地での入換用などの事業用に使用される車両が、一般車両に近い色に塗装される場合があります。
淀川電車区の救援車クエ28004は、オレンジ色に塗られました。淀川電車区は、大阪環状線の101系と片町線の72系等がオレンジ色に塗られており、これに合わせたものと思われます。 大井工場の入換車として使用されていたクモニ13011は、1971年にカナリア色に塗り替えられました。(文献B9701)その後ぶどう色に戻りますが、雨樋はカナリア色、手すりは白色塗装となりました。
神領電車区の入換用として使用されるクモハ40800は、東海道線(美濃赤坂線)からの転属車で、そのままのスカイブルーで使用されました。この車両より後に神領電車区に配置された103系も同じ色になりました。

主な参考文献
  • B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
  • B6802 沢柳健一ほか(1968)「国鉄電車のあゆみ −30系から80系まで−」交友社
  • F7512-1 黒岩保美(1975)「こくでん・いろいろ噺」(鉄道ファンNo.176)
  • R8201-1 大那庸之助(1982)「横須賀線のスターたち」(季刊レイル1982-秋)
  • J8503-1 星晃(1985)「国鉄車両の色あのころ≠フ話」(鉄道ジャーナルNo.217)
  • F9912-1 手塚一之(1999)「流電52系姉妹の一代記(そのW)」(鉄道ファンNo.464)
  • P0103-1 堀江光雄(2001)「旧形国電時代の横須賀線」(鉄道ピクトリアルNo.698)
  • B0202 沢柳健一(2002)「旧型国電50年T」JTB
(注1)
山手線の色見本電車については、文献F7512-1(黒岩1975)では、「6両1編成でそのうち5両までは緑色で少しずつ変わった色、最後の1両は紫がかったブドー色だったように覚えている」と書かれている。
文献J8503-1(星1985)では、「大井工機部が旧海軍の緑色塗料を若干入手できたので使ってみようということになり、たしか昭和23年ごろに山手線の電車1本(6両編成)を選んで緑色の編成を走らせたことがあった。かなり濃い緑色だったが、車両ごとに少しずつ違っていて、当時「これは色見本電車です、どの緑がよいですが」などという趣旨のことがポスターに書かれていたような記憶もある」とのこと。
(注2)
横須賀線の試験塗装車については、カラー写真は存在するものの、実際の色については諸説ある。
前面・右側面のスカ色については、
文献R8201-1(大那1982)には「藤色とクリーム」と書かれている。
文献P0103-1(堀江2001)には「妻面の窓回りがクリーム色で、その上下がチョコレート色となっていた」と書かれている。さらに「当時筆者は気が付かなかったが、左右側面の色が異なっており、反対側はクリーム色と藤色となっていた」ともある。
文献B0202(沢柳2002)P59には「濃紺とクリーム」と書かれている。
本稿では、茶色と紺色の中間であるため、見え方に個人差があったと解釈している。
左側面の湘南色については、
文献R8201-1(大那1982)には「萌黄色と橙色」と書かれている。
文献P0103-1(堀江2001)には「窓回りが橙色、その上下が薄緑色」と書かれている。
文献B0202(沢柳2002)P59には「淡緑色とオレンジ色」と書かれている。
連結面については、
文献P6609-3(沢柳1966)には「中央から山側スカ線色、海側湘南色」と書かれている。
文献R8201-1(大那1982)には「上下茶色と窓まわりは銀ねず色と黄色を半々」と書かれている。
文献B0202(沢柳2002)P59には左側面と同じ色と書かれている。
本稿では、連結面を左右同時に見ることが難しいことから、1966年の沢柳説を支持する。
呼び方については、
文献P6609-3(沢柳1966)には「ファンはこれを呼んで“お化け電車”といっていた」とあり、非公式な呼び名と思われる。氏はその後も各文献でこの呼び名を記載している。
なお、堀江氏の文献P0103-1は、当時横須賀線に通学乗車しており、その時に記載した日記を元にしており、信ぴょう性が高い。モハ32028は「大井工場昭和24.12一般検査」との記録もそれを裏付ける。
(注3)
仙石線の警戒色試験塗装については、私自身が報道を見た記憶はあるものの、写真や記事などが現認できていない。現時点では、下記Webサイトに文字情報が記載されているのみである。
樋口工業舎(アーカイブ)
ページ上部へ戻る
メニュー

“ゲタ電”の頃