称号改正
1914(大正3)年
これまで電車は客車の2等車クラスという通念で形式が決められていたため、等級記号や標識(帯色)はありませんでしたが、東京〜横浜間の京浜線の電車運行を前に、電車にも等級を区別する必要が生じました。
そこで、1914(大正3)年8月に形式称号の改正が行われました。
前回の称号制定から3年半程度ですが、電車の運転区間や両数が大きく増加し、客車基準からある程度の独立した形式称号となったのです。
(1)主な変更点
記号は、客車と同じだった重量記号は廃止され、電車を表していた「デ」が電動車を表す記号となりました。等級記号(ロ、ハ)が電車にもつけられるようになりました。
形式番号は、これまで一連番号となっていたものを、相違のある車両は番号を区別することになりました。
表8-2-1 大正3年改正の変更点
| 従来の形式称号 | 新しい形式称号 |
|---|---|
| 記号 | |
| 重量記号あり 例:ホデ・ナデ |
重量記号なし 例:デハ |
| 付随車記号=ト 例:トデ |
付随車記号=ク 例:クハ |
| 電車を表す記号=デ 例:(電動車)ナデ・(付随車)トデ |
電動車を表す記号=デ 例:(電動車)デハ・(付随車)クハ |
| 等級記号なし | 等級記号あり 例:デロハ6130、サロハ6190 |
| 番号 | |
| 一連番号 | 設計上の相違を番号で区分 |
| <例> ナデ6100〜6109 ナデ6110〜6128 ナデ6129〜6132 ナデ6133〜6144 |
<例> デハ6250形 デハ6260形 デハ6280形 デハ6285形 |
(2)記号の変更点
「デ」の記号は、これまでは電車を表していたため、モーターの有無にかかわらず付けられていましたが、モーター付きの電動車を表す記号となりました。等級記号(ロ、ハ)も復活し、「デハ」「デロハ」など後の基本となる付け方の基本が作られました。
表8-2-2 大正3年改正の記号(電車関連)
| 記号 | 車種 | 語源 |
|---|---|---|
| デ | 電動車 | 「でんどうしゃ」のデ |
| ク | 付随車(1917年に制御車に変更) | 「電動車にくっつけて走る」のク |
| サ | 付随車(1917年に追加) | 「さしこまれる」のサ |
| ロ | 2等車 | 「イ、ロ、ハ」のロ |
| ハ | 3等車 | 「イ、ロ、ハ」のハ |
| ユ | 郵便車 | 「ゆうびん」のユ |
| ヤ | 職用車 | 「役所の車両」のヤ |
| ケン | 試験車 | 「しけん」のケン |
| 備考 | この時期の電車に使用されていた記号のみ記載。 語源については諸説あり。 |
|
(3)番号の変更点
割り当てられた範囲は、これまでと変わりません。
その中で、相違のあるものを番号で区別することになりました。そのためホデ6110からの続き番号となっていた形式はデハ6260形、デハ6280形、デハ6285形に分かれました。
また数字が次の形式に追いつくと、頭に1を追加して16000番台になります。(例:デハ6310形は6339号の次はデハ6340形に被らないように、16310号となる)
表8-2-3 大正3年改正の割当番号
| 割当番号 | 車種 |
|---|---|
| 5000〜 | (客車)特別車、寝台車、食堂車、1等車、2等車 |
| 6100〜6399 | (電車)2等車、2・3等車、3等車 |
| 6400〜6499 | (電車)付随車、荷物合造車 |
| 6500〜 | (客車)3等車、郵便車、荷物車 |
| 15000〜 | (客車)5000〜の増加分 |
| 16100〜16499 | (電車)6100〜の増加分 |
| 16500〜 | (客車)6500〜の増加分 |
1919(大正8)年になると、早くも新形式車両が増加し、上記の割当範囲(6100〜、16100〜)は雑形とみなされます。
新たに登場した標準型電車は5桁の形式になり、2万番台は50馬力、3万番台は105馬力(→70kw)、4万番台は150馬力(→100kw)に区分されました。
このうち4万番台は2扉クロスシート車に当てられ、3扉車については6万番台が与えられます。
表8-2-4 大正8年の追加割当番号
| 割当番号 | 車種 |
|---|---|
| 20000〜 | (客車)特別車、寝台車、食堂車、1等車、2等車 |
| 23100〜23599 | (50馬力電車)2等車、2・3等車、3等車 |
| 23600〜23899 | (50馬力電車)付随車、荷物合造車 |
| 23900〜 | (客車)3等車、郵便車、荷物車 |
| 30000〜 | (客車)特別車、寝台車、食堂車、1等車、2等車 |
| 33100〜33599 | (105馬力電車)2等車、2・3等車、3等車 |
| 33600〜33899 | (105馬力電車)付随車、荷物合造車 |
| 33900〜 | (客車)3等車、郵便車、荷物車 |
| 43100〜43599 | (150馬力電車)2等車、2・3等車、3等車 |
| 43600〜43899 | (150馬力電車)付随車、荷物合造車 |
「クハ」の生い立ち
上記のように1914(大正3)年の称号改正で生まれた「ク」の語源は「電動車にくっつけて走る」です(文献B5902による)。これについては、違和感を覚える人が多いと思います。
そこで、「クハ」の生い立ちを見ることで、その違和感を解消してみましょう。これには主に文献C5611を参考にしています。
第1のクハ(大正)
1914年に登場したクハ6400形2両が、国鉄で初めて誕生した「クハ」です。この車両はデハ6300形から電装をなくしたタイプで、両運転台で非電装というのもおかしな話ですが、二軸車から流用の電装品が不足したことが非電装の理由だそうです。(文献B5901のP30)
この当時の重連運転は電動車の2両で行っており、「クハ」は必要とされていませんでした。
翌年のクハ6410形は緩急装置をもっていたものの、事実上の「サハ」で間もなくサハ6410形に改称、その後に増備されたクハ6430形も大正末期に「サハ」化されました。
次に1919(大正8)年にクハ23600形がまとまった数登場しますが、これはポールからパンタグラフへの切換時期の補助運転台としての必要性から「サハ」ではなく「クハ」としたもので(文献C5511による)、やはり大正末期に「サハ」化されました。
結果的にこの時期の「クハ」の存在意義は薄く、一旦姿を消したのです。
図8-2-1 非電装車両という存在だった「第1のクハ」
第2のクハ(昭和)
1927(昭和2)年から、閑散区間で経済的な短編成運転を行うために分割併合が実施されることになり、併結編成側に使用する「クハ」が増備されました。クハ23500形(後のクハ15)やクハ17形がこれに当たります。
この時期の「クハ」は、分割併合や短編成の先頭車として使われたほか、付随車としても兼用できる点が重宝されたようです。
図8-2-2 増結用の付属編成用の「第2のクハ」
第3のクハ(戦後)
1950(昭和25)年に登場した湘南電車80系から、「クハ」の役割が大きく変わります。すなわち、これまでの仮の先頭車(もしくは中間車の兼用)から脱し、編成の先頭に立つ「顔」の役割を与えられたのです。
これは長大な固定編成を組むに当たり、形式数を絞るために、数多い中間車を電動車としたためです。これまでの「電動車=先頭車」という概念からの大きな転換でした。加えて1951年の桜木町事故による編成貫通化の要請も追い風となり、通勤電車にもこの手法が及びます。
結果として、「クハ」は編成の先頭に立つ役割を与えられ、特に長距離電車においてはその流線形の優雅なスタイルを持つ「顔」として重要な存在になりました。
80系の湘南スタイルも、「こだま形」特急のボンネット形も、「東海形」のパノラミックウィンドウも、すべて「クハ」のスタイルです。そしてそれが現在にも続いた編成の常識となっているのです。
図8-2-3 固定編成の先頭車の「第3のクハ」
主な参考文献
- C5611 弓削進(1956)「二百万人の電車」(鉄道ピクトリアルNo.62)
- B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
- B5902 「鉄道用語小辞典 1958年版」鉄道図書刊行会
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール