70系客車(20m車)
戦災を受けた客車や電車を復旧した70系客車のうち20m車は250両あり、そのうち61両は国電を復旧した車両です。
オハ71形
オユニ71形
オユニ71形は、オハ71形を改造した郵便荷物合造車で、10両があり、うち末尾3両が元国電です。
オユニ718
画像:所蔵写真(姫路 1959.6.27)
1948年に東洋レーヨンで車体を新造してオハ71形としたもの。窓の縦寸法が小さい客車タイプの車体ですが、半流線形の台枠を使っているため、片方が丸妻になっています。
モハ60041→(東洋レーヨン改造)オハ71128→オユニ718
(注1)
オユニ719
撮影:茂木久雄様(津山 1956.11.19)
1949年に東洋レーヨンで車体を新造してオハ71形としたもの。半流線形の台枠を使っているため、片方が丸妻になっています。
モハ60109→(東洋レーヨン改造)オハ71129→オユニ719
(注1)
オユニ7110
画像:所蔵写真(岡山 1958.10.15)
1949年に東洋レーヨンで車体を新造してオハ71形としたもの。こちらは平妻車のため、前後とも切妻車体となっています。
モハ40005→(東洋レーヨン改造)オハ71130→オユニ7110
(注1)
スユニ72形
スユニ72形は、オハ71形を改造した20mの郵便荷物合造車で、40両がありますが、元国電は50番代のうち5両です。いずれも国電の車体を流用しているため、電車時代の面影があります。
スユニ7251
画像:所蔵写真(京都 1957.4.7)
1946年に多度津工場で車体流用で復旧しオハ71形としたもの。元運転台側が半流線形で、ノーシルノーヘッダーのスタイルが電車時代の面影を残します。
クハ55070→(多度津工場改造)オハ7111→スユニ7251(→スエ7119)
スユニ7252
画像:所蔵写真(新見 1956.10.21)
1946年に多度津工場で車体流用で復旧しオハ71形としたもの。新造時クハ68形だった車両なので元運転台側が半流線形。
クハ55131→(多度津工場改造)オハ7112→スユニ7252
スユニ7253
画像:所蔵写真(新見 1956.10.20)
1947年に多度津工場で車体流用で復旧しオハ71形としたもの。新造時にクロハ59形だった車両なので、側窓の大きさに面影があります。
クハ55114→(多度津工場改造)オハ7113→スユニ7253(→スエ7196)
(参考掲載)スユニ7254
画像:所蔵写真(新見 1956.10.21)
スユニ72の50番代に振り分けられていますが元客車で、木南車輌で新造された車体も客車型です。
オハ35299→(木南車輌改造)オハ7190→スユニ7254(→スエ7129)
マニ74形
マニ74形はオハ71形から改造した荷物車で、1〜14号は元国電です。50番以降は客車由来の車両です。
マニ742
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955.11.2)
1948年に日国工業で車体を新造してオハ71形としたもの。半流線形の台枠がそのまま使われています。
モハ60063→(日国工業改造)オハ71108→マニ742(→スエ712)
マニ746
画像:所蔵写真
1949年に木南車輌で車体を新造してオハ71形としたもの。文献M2301ではクハ55138ですが、文献P5811-1ではUF23台枠からサハ57050と推察しています。
サハ57050→(木南車輌改造)オハ71116→マニ746
マニ748
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955.10)
1949年に木南車輌で車体を新造してオハ71形としたもの。文献によりクハ55135(元クロハ59)という説もありますが、半流線形であることから、文献P5811-1のモハ60042(フックに汽車会社のマークがある)説が有力です。
モハ60042→(木南車輌改造)オハ71118→マニ748
マニ7414
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955)
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955.12.10)
1948年に日国工業で車体を新造してオハ71形としたもの。半流線形の台枠をそのまま流用しています。
クハニ67008→(日国工業改造)オハ71106→マニ7414
マニ76形
マニ76形はオハ71形を改造した荷物車で、車端に出入台がある点がマニ74形と異なります。すべて客車タイプの車体を持つ車両ですが、40番代、90番代の計4両が元国電です。
マニ7641
画像:所蔵写真(京都駅 1957.1.7)
1948年に富士車輌で客車タイプの車体を新造してオハ71形としたもの。
モハ42003→(富士車輌改造)オハ71133→マニ7641
スエ71形
スエ714
画像:所蔵写真(亀山機関区 1986.9)
1948年に木南車輌で車体を新造してオハ71形としたもの。サハ48形の台枠流用なので、四隅の裾にカギ形が残ります。奥の車両は旧42系なのでそれがありません。
サハ48011→(木南車輌改造)オハ71112→マニ743→スエ714
スエ7116
画像:所蔵写真(亀山機関区 1986.8)
1948年に木南車輌で車体を新造してオハ71形としたもの。文献M2301ではクハ55019ですが、文献5811-1で台枠中央部に2・3等仕切痕がありクロハ59由来と推察していることから、文献9701のクハ55137(元クロハ59)説を支持します。
クハ55137→(木南車輌改造)オハ71113→マニ744→スエ714
(参考掲載)スエ7141
画像:所蔵写真(福知山客車区 1983.7.31)
1947年に日本車輌で客車の車体を流用してオハ71形として復旧したもの。500番代は客車の車体流用車のようです。この車両は、小窓が並び、ウィンドヘッダーがないタネ車の特徴を継承しています。
スハ32373→(日本車輌復旧)オハ71509→オハユニ719→スエ7141
(参考掲載)スエ7168
撮影:高岡駅(1982.3.28)
1947年に帝国車輌で客車をタネ車に客車タイプの車体を新造してオハ71形として復旧したもの。
(車番不明客車)→(帝国車輌復旧)オハ7179→マニ7610→スエ7168
オハフ71形
オハフ711
画像:文献Y6201(世界の鉄道'63)P83
オハフ71形は2両しかない20mの緩急車で、いずれも旧40系の半流線形。写真は車番まで見えませんが、水切り付き、側面最後部の戸袋窓がない点などから、1号と推察。
モハ60030→(東洋レーヨン改造)オハフ711(→スユニ7256)
スユニ72
スユニ7256
画像:所蔵写真
1947年に東洋レーヨンで車体流用で復旧しオハフ71形としたもの。側窓に電車時代の面影が残るほか、旧運転台側は半流線形です。写真は旧連結面側で、平妻から切妻に変わっています。
モハ60030→(東洋レーヨン改造)オハフ711→スユニ7256
スユニ7257
画像:文献Y6201(世界の鉄道'63)P87
画像:所蔵写真(新見 1956.2.17)
1948年に東洋レーヨンで車体流用で復旧しオハフ71形としたもの。やはり半流線形が残りますが、連結面側は平妻のままです。オハフ71形は2両のみの存在ですが、2両ともスユニ72形に改造されました。
クハ55083→(東洋レーヨン改造)オハフ712→スユニ7257
スニ71形→マニ71形
スニ71形は最初から荷物車として復旧された車両で、1952年にマニ71形に改番されました。1〜4号の4両が元国電、末尾18号が編入車ですが元国電。
マニ711
画像:所蔵写真
1947年に近畿車輌で車体流用で復旧しスニ71形としたもの。切妻になっていますが、乗務員扉を含む側面の扉が原形を保ちます。旧客用扉の上にはウィンドヘッダーも残ります。
クハ55011→(近畿車輌改造)スニ711→マニ711(→スエ7122)
(注2)
マニ712
画像:所蔵写真(大阪駅 1958.5.24)
画像:所蔵写真(大阪駅 1958.5.24)
やはり1947年に近畿車輌で車体流用で復旧しスニ71形としたもので、外観は上の1号とほとんど同じです。やはりウィンドヘッダーがドア上にも残ります。
クハ55018→(近畿車輌改造)スニ712→マニ712
(注2)
マニ713
画像:所蔵写真
やはり1947年に近畿車輌で車体流用で復旧しスニ71形としたものです。この形式は最初から荷物車なので、扉間の5つの窓のうち2つだけを生かしています。
クハ55002→(近畿車輌改造)スニ713→マニ713(→スエ7123)
(注2)
マニ714
画像:所蔵写真(大阪駅 1958.5.24)
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955.8.11)
上記3両と同じ改造を受けた車両ですが、タネ車が元クロハ59形だったため、側面の窓配置が不規則になっています。
クハ55142→(近畿車輌改造)スニ714→マニ714(→スエ711)
マニ7115
画像:所蔵写真(宮原操車場 1957.6.18)
マニ71形の14〜17号は川崎重工で客車タイプの車体を新製しています。
モハ60096→(川崎重工改造)スニ7115→マニ7115(→マニ712015→スエ7195)
(注3)
マニ712018
画像:所蔵写真(大阪駅 1966.1.30)
画像:所蔵写真(大阪駅 1966.1.30)
この車両は、元クハ55形(車番不明)ですが、本来3軸車であるマニ77形に誤付番され、後にスニ71形に改番されました。車体はスニ71形の1〜3号とほとんど同じで、近畿車輌による車体流用復旧です。
クハ55003→(近畿車両改造)マニ775→スニ7118→マニ7118→マニ712018
(注2)
マニ72形
マニ72形は70系客車では最も新しい1950年製の荷物車で、すべて元国電ですが、台枠を流用して車体は新製しています。いずれも電車タイプの車体で、半流線形の車両も切妻に改造されています。また側窓が1段窓になっているのも特徴。
マニ723
画像:所蔵写真(田町電車区 1955.8.27)
画像:所蔵写真(田町電車区 1955.4.17)
1950年に富士産業宇都宮工場で車体を新造してマニ72形としたもの。
サハ78019→(富士産業改造)マニ723(→マニ722003)
マニ729
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955.12.30)
1950年に汽車支店で車体を新造したもの。文献M2301ではモハ41039ですが、文献P5811-1(江波1958)では、モハ41037と推察されています。
モハ41039→(汽車支店改造)マニ729
マニ7210
画像:所蔵写真(京都駅 1956.6.24)
1950年に汽車支店で車体を新造したもの。文献M2301ではモハ41037ですが、文献P5811-1(江波1958)では台枠がUF34であることとリベット痕の実地調査でモハ41057と推察されています。
モハ41057→(汽車支店改造)マニ7210
マニ7211
画像:所蔵写真(京都駅 1957.1.20)
1950年に新日国工業で車体を新造したもの。やはり車体は他の車両と同じ電車タイプ。
モハ40043→(日国工業改造)マニ7211
マニ7212
画像:所蔵写真(宮原操車場 1957.2.10)
画像:所蔵写真(東京駅 1959.5.9)
1950年に新日国工業で車体を新造したもの。やはり車体は他の車両と同じ電車タイプ。
モハ40032→(日国工業改造)マニ7212
マニ7217
画像:所蔵写真(田町電車区 1955.8.27)
1950年に日本海船で車体を新造したもの。文献P5811-1ではモハ60の下り向き(台枠がUF39)と推察されています。
モハ41048→(日本海船改造)マニ7217(→スエ7165)
マニ7219
画像:所蔵写真(宮原操車場 1955.11.12)
1950年に日本海船で車体を新造したもの。文献M2301ではモハ41057ですが、文献P5811-1では日車以外のモハ40と推察されています。モハ41057はマニ7210のタネ車なので、文献M2301でのマニ7210のタネ車と入れ替えてモハ41037と推察しておきます。
モハ41037→(日本海船改造)マニ7219
スエ71
スエ716
画像:所蔵写真(直方気動車区)
1950年に新日国工業で車体を新造してマニ72形としたもの。
クハ55059→(新日国工業改造)マニ7215→スエ716
スヤ71形
スヤ71形は試験車で1形式1両。特定の機器を積んでいるわけではなく、試験内容ごとに必要な機器を搭載するそうです。出場時はスヤ31と表記されていました。
スヤ711
画像:所蔵写真(品川客車区 1958.7)
1949年に川崎車輌で車体を流用して復旧したもので、張上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダーの車体や窓配置はそのままですが、半流線形は平妻に改められています。
クハ55069→(川崎車輌改造)スヤ311→スヤ711
車両一覧
表3-8-3 70系客車(20m車)概要
| 形式 | 両数 | 両数(元国電) | 改造・改番 | 改造・改番 |
|---|---|---|---|---|
| オハ71 | 155両 | 24両 | オユニ71/スユニ72 マニ74/マニ76 (オハユニ71/オル71) |
スエ71 |
| オハフ71 | 2両 | 2両 | スユニ72 | − |
| スニ71 | 18両 | 9両 | マニ71 | スエ71 |
| マニ72 | 25両 | 25両 | − | スエ71 |
| スヤ71 | 1両 | 1両 | − | − |
| (オハ77→オハ78) | 29両 | 0 | (マユニ78) | (スエ78) |
| (スユ71) | 15両 | 0 | (スユ72) | (スエ71) |
| (マニ77) | 5両 | 0 | (マニ78) | (スエ78) |
| 備考 |
マニ77のうち1両は誤付番でスニ71に改称されているため、本表では当初からスニ71に分類した。 ( )内は客車ベースの車両のみの形式。 |
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主な参考文献
- P5811-1 江波秀雄(1958)「70系客車のいろいろ」(鉄道ピクトリアルNo.88)
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」
- M2301 藤田吾郎(2023)「70系戦災復旧客車」(RM LIBRARY 277〜279)