クモハ53形
42系モハ43形の一部は戦後になって、128kWのMT30型主電動機への交換による強力化が行われました。横須賀線に転じた基本番代は1951〜52年に7両が改造され、一部がモハ43800番代を経て、1953年の称号改正で新形式モハ53形となりました。急行用の半流線形は1949年の急電復活時に改造されています(文献F7807-1による)。
その後、4両は飯田線に転じて山岳路線で性能を発揮、横須賀線に残った車両は3扉化でクモハ50形となりましたが、これも結果的に飯田線に集結しています。
クモハ53001〜006
モハ53000
画像:所蔵写真(田町電車区 1955.6.26)
横須賀線に転じたモハ43の中で7両は、1951〜52年に強力化によりモハ53となりました。5両はモハ43800番代を経て、1953年の称号改正で新形式となっています。
写真は更新修繕Ⅱを受ける前のガーランド型ベンチレーターの時期ですが、客用扉は鋼板プレスドア化されています。
モハ53001
画像:所蔵写真(品川駅 1957.8.30)
モハ43と同様に豊川工場で更新修繕Ⅱを受け、標準化改造を受けました。外観上はグローブ型ベンチレーターや運行灯3桁化が目立ちますが、豊川工場では運転台前面窓上部のヨロイ通風器も撤去しています。
クモハ53001
撮影:川路駅(1982.4.2)
1958年に2両(000・001)は飯田線に転じます。クモハ43と同様に北の伊那松島に配置され、前面の貫通幌は撤去されました。
1978年頃に2両とも運転台前面窓がHゴム支持に改造されました。
クモハ53007・008
クモハ53007
画像:所蔵写真(中部天竜駅 1975頃)
画像:所蔵写真(中部天竜駅 1975頃)
流電モハ52の増備車である半流線形のモハ43は、終戦後に3両が残っており、そのうち2両は主電動機を128kWのMT30に出力アップし、1953年称号改正でモハ53(007・008)に改番されました。
1950年に阪和線に転属し、1958年には飯田線に再転属しました。飯田線では、横須賀線から転じた基本番代とともに伊那松島に配属されました。
写真の007号は更新修繕Ⅱでも張上げ屋根のまま残されています。1974年頃に前面に雨樋縦管が増設され、1976年に運転台前面窓がHゴム支持に改造されました。(注1)
モハ53007(車内)
画像:所蔵写真(伊那松島機関区 1959.7.3)
飯田線転属当時の車内です。連結面方向を見た写真です。車内羽目板などはニス塗りで、貫通扉が木製であることが分かります。
クモハ53007(車内)
撮影:辰野駅(1978.12.31)
こちらは末期の車内写真で、室内灯が白熱灯から蛍光灯に変更されているほか、ニス塗りだった部分が薄緑色に塗装されています。
こちらは運転台方向を見た写真です。運転室仕切り板の窓が大きいのが分かります。
モハ53008
撮影:上原庸行様(伊那松島機関区 1959.7.3)
撮影:上原庸行様(伊那松島機関区 1959.7.3)
こちらの008号は、更新修繕Ⅱで普通屋根に改造されています。
伊那松島配置のため、快速色に塗られることもなく、比較的地味な運用に終始しました。
クモハ53008
撮影:川路駅(1982.4.2)
1977年頃に運転台前面窓がHゴム支持に改造されています。
流電モハ52の陰に隠れて地味な存在でしたが、モハ52なき後もモハ53は全車が残り、1983年のお別れ運転ではこの車両が先頭車を勤めました。
表3-53 クモハ53改番表
主な参考文献
- P7205-1 沢柳健一(1972)「ローカル国電のもつ役割と現状」(鉄道ピクトリアルNo.265)
- F7807-1 奥野利夫(1978)「関西急電ものがたり①」(鉄道ファンNo.207)
- P8305-1 白井良和(1983)「飯田線を走った車両」(鉄道ピクトリアルNo.416)
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール
- B0302 沢柳健一(2003)「旧型国電50年U」