クハ47形(100〜)

42系クハ58形は、2扉クロスシート車ということで、1953年の称号改正で32系の形式だったクハ47形に改称されました。100番代が与えられました。また、流電系の付随車を先頭車化した車両もあり、これは1959年の番号整理で150番代にまとめられました。
ここでは、42系に属するクハ47形をまとめます。

クハ47100〜116(偶数)
クハ47108
クハ47108

画像:所蔵写真(七久保駅 1957.11.23)

更新修繕Ⅱを受ける前の前面窓木枠の時期の姿です。
1950年に2扉で残ったクハ58は全車とも東京に移り、横須賀線に活躍の場を見出しますが、70系の増備により、静岡地区(飯田・身延線)7両、伊東線2両と再転属します。静岡の7両は転属時の1951年にトイレを設置しました。

クハ47114
クハ47114

撮影:宮松コレクション(伊東支区 1953.9.27)

こちらも更新修繕Ⅱを受ける前で、さらに木製扉の時期です。
クハ58014・016の2両は伊東線に転じたため、トイレの取付が行われず、1953年称号改正では、100番代末尾の114・116号が与えられました。
結果的に1958年に飯田線に転じた際、トイレが取り付けられ、他車と同仕様になりました。

クハ47102
クハ47102

画像:所蔵写真(豊橋機関区 1959.4.21)

飯田線では、流電モハ52の転入に伴い20m車による快速運転が開始され、1958〜59年に身延線、伊東線から5両が転入し、分割併合に使用できるよう、再度貫通幌が整備されました。オレンジ色と青の快速色に塗り替えられた姿です。
伊東線から転じた114・116号は下り向き、102・104・108号は上り向きで使用されました。

クハ47102
クハ47102

画像:所蔵写真

飯田線では、1963年の湘南色、1968年のスカ色と、塗色は頻繁に変わりますが、最終的には1972年以降スカ色の115系風塗り分けに落ち着きます。飯田線では多くが幌付のまま残りました。

クハ47104(車内)
クハ47104

撮影:辰野駅(1978.12.31)

飯田線で使用されていた車両の車内です。ニス塗りで、半室運転台のまま使用されていました。
なお、身延線の100・106・110・112号の4両は、全室運転台に改造されましたが、元々の半室運転台はそのままの奥行きで残されており、窓配置など外観は変わりません。

クハ47112
クハ47112

撮影:富士電車区(1979.4.1)

身延線に移った7両は、全車とも上り向きに方向転換されます。これは当時静鉄局では車両の効率使用のため、電動車を下り向き、制御車を上り向きに統一していたためです。(文献F9811-2)
1957〜58年に豊川工場で更新修繕Ⅱを受けた際、100番代全車とも前面窓がHゴム化されました。
また、3両が飯田線に転出し、身延線には100・106・110・112号の4両が残りました。身延線では前面幌枠が撤去されました。

クハ47110
クハ47110

撮影:富士宮電留線(1981.12.30)

身延線に残った4両のうち、この110号だけは前面の幌枠が残されたままでした。もっともスカ色の塗り分け線は上下とも直線のままで、幌枠内をクリーム色に塗り分けた飯田線の車両とは異なっていました。

クハ47025→151
クハ47151
クハ47151

画像:所蔵写真

1933年に阪和線から飯田線に転じた狭窓流電のサハ48036は、同年中に豊川工場でクハ化され、同時に前面窓がHゴム支持になりました。トイレの取付は翌1959年です。
上り向きとなったため、クハ47025となり、1959年12月の番号整理で流電系は150番代にまとめられることになり、151号となりました。
1966年に身延線に転じた際、低断面トンネル対策で前照灯が妻板に埋め込まれました(文献B7101)。

クハ47021・022→153・155
クハ47021
クハ47021

画像:所蔵写真(豊橋機関区 1952〜53)

通称“合いの子”の中間車であるサロハ66018・019の2両は、1951年末に阪和線から飯田線に転じ、1952年に豊川工場でクハ化されました。クハ47の20番代が与えられました。
写真は張り上げ屋根のままの時期。車内は旧2等室と3等室の仕切りが残り、トイレは中央部にあります。021号の旧2等室を除きロングシート化されていました。また021号は当初マルーンとクリーム色の「関西急電色」のままでしたが、1952年中にはぶどう色に塗り替えられました。(文献F9811-2)

クハ47021
クハ47021

画像:所蔵写真(熱海駅 1957.8.12)

1954年に豊川工場で更新修繕Ⅱを受け、普通屋根になり、グローブ型ベンチレーターなど標準化されました。車内の2・3等仕切は撤去され、すべてロングシートとなりました。中央部のトイレも撤去されました。
その後間もなく2両とも伊東線に転出し、スカ色に塗り替えられました。

クハ47153
クハ47153

画像:所蔵写真(豊橋機関区 1977.7)

1958年には伊東線から身延線に転属し、低断面トンネル対策として前照灯を埋め込み、後位の3位側にトイレが設置されました。(注1)
1959年の番号整理で流電系のクハ化車両として150番代の続番となり、上り向きのため奇数番号になりました。

クハ47155
クハ47155

画像:所蔵写真

155号の後位トイレ側。奥行1245mmのトイレを設置するに当たり、隣接する側窓の幅が700mmから500mmに縮小され、外観的にもトイレ新設が分かります。トイレ部分の側窓は曇りガラスになり、上部にヨロイ通風器が付きます。
1971年に再び飯田線に戻りました。

表3-47-2 クハ47(100〜)改番表
表3-47-2
主な参考文献
  • B7101 浅原信彦(1971)「国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(上)」誠文堂新光社
  • P8410-3 高砂擁郎(1984)「関西形20m車−モハ43形」(鉄道ピクトリアルNo.437)
  • B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール
  • F9811-2 神谷静治(1998)「半流43系姉妹の一代記(飯田線時代の思い出話)」(鉄道ファンNo.451)
  • B0302 沢柳健一(2002)「旧型国電50年U」JTB
(注1)
クハ47153・155の身延線転入による前照灯埋め込み時期には諸説ある。
文献F9811-1(手塚1998)によると、1958年に伊東線から身延線に転じ、前照灯が埋め込み式になった。
文献B7101(浅原1971)では1966年に身延線転出、前照灯を埋め込んだとある。ただし同書の諸元表には1958改造とある(改造内容は未記載だが、クハ化とも更新修繕とも一致しない)
文献B8202-2(形式図集1982)では1964年にヘッドライト埋込改造とある。

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