クモハユニ44形
42系モハユニ44形を出自とする車両を基本に、51系モハユニ61形を100番代として編入して構成される形式。終戦後に横須賀線から大糸線、身延線に転じ、各路線に応じた仕様に改造されました。
クモハユニ44000
クモハユニ44000
画像:松本駅(1962.5)(文献B6301)
モハユニ44のうち003は1950年に大糸線に移り、原形を保持したまま使用されます。長野工場での更新修繕Ⅱでは運行灯2桁のまま残り、前面窓2枚も2段窓のままです。
運転台前面窓の上のヒサシは大糸線の仕様です。
1959年12月の番号整理で、身延線用の800番代とともに改番され、000が与えられました。
結果的に1968年に身延線に転じ、低屋根化の上803になります。
クモハユニ44800〜803
クモハユニ44800
撮影:富士電車区(1980.8.31)
1951年に2両が身延線に転入し、後に加わった1両とともに、豊川工場での更新修繕Ⅱで屋根全体を低くする低屋根化改造を受けました。切妻スタイルになり、42系の面影はかなり薄れました。
1959年12月の番号整理で、800〜802に改番されました。
クモハユニ44801
撮影:芝川駅(1978.7.23)
801は郵便室の扉の窓が小さくなっています。これは恐らく戦時中に木造車の扉と交換したものと思われます。
この日は真夏で、開閉可能な荷物室、郵便室の扉の窓が全開されており、落とし窓なのが分かります。一方で、荷物室、郵便室の側面窓は固定窓なので開いていません。
クモハユニ44802
撮影:富士宮電留線(1981.12.30)
800とほぼ同じ外観の802。
1950年に大糸線に転じたものの、1956年にモハユニ44100と入れ替わりに身延線に転じ、低屋根化されました。(文献P9409-2)
クモハユニ44803
撮影:富士宮電留線(1981.12.30)
撮影:富士電車区(1978.7.23)
大糸線の000は、1968年に身延線に転じ、低屋根改造されますが、この時期の改造はパンタグラフを後位に移して、その部分だけ低屋根化する方式だったため、外観は大きく異なります。もっとも、同時期の他形式の改造車と異なり、旧パンタグラフ部分にベンチレーターの移設はありません。この部分が荷物室のためかも知れません。
乗務員扉次位の窓には、大糸線時代のタブレット保護棒が残されています。
800番代の追番803になりました。
クモハユニ44803(車内)
撮影:甲府駅(1981.5.5)
客室から郵便室仕切を見たところです。
クロスシートに木製の肘掛があり、座席背摺りはモケットが張られていません。
クモハユニ44100
クモハユニ44100
画像:所蔵写真(北松本電車区 1960.4.29)
画像:所蔵写真(甲府駅 1953頃)
51系モハユニ61は、戦時中の1943年に新造されたものの未電装で、1944年に001のみが電装されました。
終戦後の1950年に001号は大糸線に転出、1951年にクロスシート化され、更に身延線に転じ、1953年にモハユニ44に編入されました。郵便荷物合造車のクロスシート車という点は合致しますが、客用扉は基本形の1か所に対し、こちらは2か所となっています。
1953年の更新修繕Ⅱの際に、パンタグラフを前位に移設しました。その後1956年に大糸線に再転出しています。(文献P9409-2)
クモハユニ44100
画像:所蔵写真(北松本電車区 1960.4.29)
客室側から郵便室、荷物室を見たところです。
クロスシートは、肘掛付き、背摺り2段のモケット張りになっています。
表3-44 クモハユニ44改番表
主な参考文献
- B7101 浅原信彦(1972)「国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(下)」誠文堂新光社
- R8201-1 大那庸之助(1982)「横須賀線のスターたち」(レイル1982-秋)
- P9409-2 沢柳健一(1994)「旧形国電活躍時代の大糸線」(鉄道ピクトリアルNo.595)
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール