クモハ43形
42系モハ43形は、戦時改造や戦災廃車、そして戦後には強力化によるモハ53形への形式変更により、1953年の称号改正時点では13両が残されていました。戦後に全車が関西から関東に移り、横須賀線で使用されました。飯田線など静岡地区に転属した車両はクモハ43形として最後まで残りました。
一方、半流線形の急行タイプのモハ43は1両のみが残り、阪和線を経てやはり飯田線に転属しました。
クモハ43(基本番代)
モハ43032
画像:所蔵写真(逗子 1955)
関西にいた基本形モハ43は、吹田工場で更新修繕Ⅰを受けた後、1950年に全車とも横須賀線に転属しました。
写真は更新修繕Ⅱで標準化される前の姿で、ガーランド型ベンチレーター、木製扉などの原形を残しています。
モハ43032
画像:所蔵写真(田町電車区 1956.5.26)
豊川工場で施工された更新修繕Ⅱで標準化され、グローブ型ベンチレーター化やプレスドア化が行われています。これにより、製造年による差がほとんどなくなりました。
横須賀線では、関東では珍しく前面に幌を付けて使用されました。
クモハ43007
撮影:伊那松島機関区(1977.8.16)
1958年と1963年に、計7両が静岡地区に転じ、飯田線北部の伊那松島機関区に配置されました。貫通幌は外されましたが、幌枠は残されています。晩年は、幌枠内をクリーム色にした115系風の塗り分けになりました。
モハ43039(半流線形)
モハ43039
画像:所蔵写真(鳳電車区)
“流電”の増備車として半流線形で製造されたモハ43は4両ありましたが、戦災で1両が廃車となり、戦後の強力化で2両がモハ53になり、1両のみモハ43で残りました。
写真は阪和線での使用時で、更新修繕Ⅱにより普通屋根化されているものの、木製扉、取付式尾灯のままになっています。このあと1958年には飯田線に転属します(文献P8305-1)。
モハ43800〜(低屋根改造車)
クモハ43804
撮影:安曇追分駅(1981.8.9)
身延線に転じたクモハ43(基本番代)3両は、1965年にパンタグラフ部分を低屋根に改造され、800番代になりました。
身延線では半室運転台を生かして中間車として使用されることが多く、前面には幌が取り付けられていました。
1975年に篠ノ井線ローカルに使用するため北松本支所に転属し、大糸線と同じスカイブルーに塗り替えられました。最終的には大糸線で使用され、1981年までに廃車となりました。
クモハ43810
撮影:信濃大町駅(1981.7.16)
半流線形で唯一残ったクモハ43039も1965年に身延線に移り、低屋根化されました。基本番代の改造車とは番代が分けられ、810号となりました。
使用方法は同じで、主に中間車として使用され、1975年に篠ノ井線に転属しました。
写真は最末期の大糸線で先頭車として使用されている姿。
表3-43 クモハ43改番表
主な参考文献
- P8305-1 白井良和(1983)「飯田線を走った車両」(鉄道ピクトリアルNo.416)
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール