クモハ42形
42系の両運転台車モハ42形は戦時中の4扉化や戦災廃車等により戦後2扉で残ったのは7両でした。これらは全車とも1950年に東京の横須賀線に転じたものの、翌年には伊東線に再転出し、その後は飯田線と宇部線で長く活躍しました。
モハ42001
画像:所蔵写真(品川駅 1956.7.26)
モハ42013
画像:所蔵写真(品川駅 1956.7.26)
更新修繕Ⅱを受けて間もない姿と思われ、グローブ型ベンチレーター、鋼板プレスドア化、尾灯埋め込みなどの標準化改造を受けています。
横須賀線と同様に伊東線でもスカ色に塗られ、両運転台、貫通幌付の利点を生かして機動的に使用されていたようです。
モハ42009
画像:所蔵写真(田町電車区 1957.3.2)
1949年に関西で実施した更新修繕Ⅰの際に、クロスシートの背摺りは板張りからモケット張りに改良されています。もっとも座席自体は元のままなので、肘掛はありません。
写真は更新修繕Ⅱ後の車内です。
クモハ42001
撮影:宇部新川駅(1980.3.31)
宇部・小野田線には1957年に3両(001・005・006)が転入しました。1959年から快速「ときわ」「竜王」に使用されるなど、同線で唯一の2扉クロスシート車として活躍しました。1965年の快速廃止以降は、小野田線雀田支線の単行運転など地味な運用に終始します。
前位側の貫通幌はなく、写真の001号は幌枠も撤去されています。
3両とも1987年の民営化でJR西日本に引き継がれ、001号は保存車となりました。
クモハ42009
撮影:駿河小山駅(1979.1.2)
飯田線には1957年に4両(008・009・011・013)が転入しました。クモハ43が北の伊那松島に配置されたのに対し、クモハ42は南の豊橋に配置され、上下方向の先頭車から中間車までこなすマルチプレイヤーとして重宝されました。従って前後とも貫通幌付で、原形に近い姿で使用されました。
写真は廃車留置の時。4両全車とも1978年に役目を終えました。
クモハ42011
撮影:豊橋駅(1978.7.24)
飯田線に移った4両のうち、011は1976年に運転台前面窓をHゴム支持に改造すると同時に、主電動機を戦後型のMT40に、台車を同じく戦後型のコロ軸受DT13に交換しました。(注1)
表3-42 クモハ42改番表
主な参考文献
- P7205-1 沢柳健一(1972)「ローカル国電のもつ役割と現状」(鉄道ピクトリアルNo.265)
- P8305-1 白井良和(1983)「飯田線を走った車両」(鉄道ピクトリアルNo.416)
- B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール