モハ43形

42系の片運転台電動車がモハ43形で、京阪神緩行線の主力として基本形37両が投入されました。また、急行用の流電モハ52形に続いて、1937年に半流線形の4両が追加投入されています。
戦時中に4扉化の上、40系の低速台車と交換して通勤用に転用する改造が行われましたが、全車には及びませんでした。また、戦後まで2扉で残った車両も、一部が高出力化されてモハ53形に改称されています。

モハ43(001〜024)
モハ43008
モハ43008

画像:所蔵写真(品川駅 1950)

1933年度のモハ43は24両が製造され、奇数偶数で運転台方向は区別されています。
写真は戦後に横須賀線に転じ、スカ色に塗り替えられた姿。

モハ43(025〜037)
モハ43032
モハ43032

撮影:K.松崎様(東京駅 1950)

須磨−明石間延長に備えた1934年度の新製車は、屋根上のベンチレーターが3列になり、半室運転台の通風のため運転台前面窓上と、側面腰板にヨロイ通風器が取り付けられました。助士席側前面窓は上段下降式の2段窓になるなど各部に改良が加えられました。
写真は戦後に横須賀線に転じた姿。

モハ43037
モハ43037

画像:鉄道史資料保存会発行絵葉書(明石電車区 1938.10)

1934年製の2次車である037号は、同時期の他形式と同様に座席背摺りが布張りに改良されています。
なお、この車両は日本車輌製のため、車体裾のリベットが1列で、乗務員扉上部が水切り状になるなど、特徴があります。

モハ43(038〜041)
モハ43041
モハ43041

画像:鉄道史資料保存会発行絵葉書(宮原電車区 1939.8)

京阪神間の急行用電車は、1935〜36年に流電モハ52が作られたものの、1937年度には見直しが行われ、前面貫通式の半流線形で、スカートもない車両となりました。側面のノーシルノーヘッダー、広窓などは流電を承継しており、“合の子”と通称されました。
歯車比はモハ52と同じ1:2.04を踏襲していますが、車体が一般型になったため、形式はモハ43の追番となりました。

モハ43039
モハ43039

画像:所蔵写真(明石電車区 1947.11)

終戦後に整備される前の状態。
貫通扉の窓が2段で、助士席窓とともに下段は板張りになっています。ガラス不足のため、このような状態で使用されていました。

表2-43 モハ43改番表
表2-43
主な参考文献
  • B5901 新出茂雄ほか(1959)「国鉄電車発達史」電気車研究会
  • B9701 沢柳健一(1997)「旧型国電車両台帳」ジェー・アール・アール
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“ゲタ電”の頃