開運橋とんでも鑑定談

最も近くて、最も難題だった奴

今回のお題
岩22か880・884
岩手県交通 いすゞBU10(1969年)
岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1984.6.5)

最後のお題は、この車両。路線バスは前中引き戸が標準の盛岡市内線にあって、この2両だけが、前中折り戸だった。そのせいかどうか分からないが、滝沢雫石線とか下厨川天満宮線などの日陰路線に充当されることが多かったようだ。
目立つ特徴は、前ドアの丈が低く、中ドア車に前ドアを増設したワンマン化改造車であることが明白だった部分だ。

このバスに対して何を想ったか
元々は赤いバスだった(画像再利用)

BU10 北海道中央バスだったと同じ絵を再利用してしまうのだが、このバスも窓周りは赤かったようで、窓枠の中に赤色が残っていた。
ただし、座席は朱色ではなく、オリジナル車と同じ緑色のビニル張りだった。
ここら辺で、やはり「岩手県南バスではないか」と考えてしまうのだ。

これらの車両にヒントを求めるが結果は見えない
定番の岩手県南バス
岩手県南バス いすゞBU05(1971年)
岩手県南バス

撮影:石鳥谷町(2016.7.9)

赤いと言えば岩手県南バスなのだが、何度も同じことを言ってしまうと、窓周りは白なので、窓枠内に赤色が残るはずはない。
これは21世紀になってこのサイトを始めてから知った車両だが、あまりの類似性に、食いついてしまった。増設した前ドア部分がそっくりなのだ。ただし、お題の車両とは、長さが異なるほか、中ドア次位に方向幕がある点が異なっている。

岩手中央バスにも同類が
岩手県交通 いすゞBU10(1969年)
岩手県交通

撮影:板橋不二男様(盛岡駅 1977)

実は長さも年式も同じで、窓配置も近い車両が岩手中央バスに存在した。これは「日本路線バス総合カタログ」にも載っていたので、“その頃”から気になっていた。
ただ、ウィンカーが新しい形状だし、中ドア脇の窓に方向幕もある。前ドアを付ける際にその辺が退化するというのも変だ。でも、これと同類で似たようなものがいた可能性はある。
しかし、これも後に元花巻電鉄だと分かり、元カラーは緑色だということで、泣く泣く候補から外さざるを得なかった。

北海道中央バス
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1986.4.16)

北海道中央バスだったのところで、窓枠内の赤い痕跡のバスを苦労して北海道中央バスだと導き出した経験から、お題の車両も北海道中央バスではないか、と何度も思ってしまう。
これについては、このサイトを始めてから、Kuri様に「北海道中央バスに中ドア折り戸のバスはなかった」と明確な否定を頂いた。

常磐交通
岩手県交通 いすゞBU05(1967年)
BU05

撮影:釜石営業所(1985.8.10)

岩手県交通成立直後の1977年には、色々な会社からの譲受車が入ってきているのだが、茨城県を中心とした北関東エリアからまとまった台数が入っているのも特徴だった。
その中で、北関東に隣接する福島県の常磐交通からのこの車両は、前中折り戸仕様となっている。車体は北村製作所製で、元々2ドアのワンマンカーなので、お題の車両とは異なるが、何か関連性があるのではないか。ただし、赤色を使ったデザインではない。

東野交通
東野交通 いすゞBU05(1971年)
東野交通

撮影:黒磯駅(1977.8.9)

1977年に岩手県交通に転入してきた北関東エリアの会社には、日立電鉄、茨城オート、関東鉄道、常磐交通などがあるが、いずれも赤色ではない。
それでは、北関東エリアで窓周りが赤い会社はあるだろうかと考えてみた。栃木県の東野交通なら窓周りが赤色で、かついすゞ車も多く保有している。ただし、お題の車両と同じ仕様の車両があったかどうかについては、皆目わからない。

秋の気配の中で消えて行ってしまった
岩22か880

撮影:大釜踏切(1984.10.4)

滝沢営業所きってのローカル路線である滝沢雫石線の運用に入り、田沢湖線大釜駅付近を行くBU10の寂しげな姿。
前中折り戸は田舎っぽくて、田舎路線の風景にはよく似合う。この時期、次々と国際興業からBU04がやってくるので、これらの旧年式の車両は、いつなくなってもおかしくない状況だった。そして、この写真を撮った数日後、この車両も廃車になってしまった。
前歴の探求も満足にできないうちに。

21世紀になって
まさかの結末
岩手県北バス
岩手県北バス

撮影:板橋不二男様(宮古主管営業所 1977.3.19)

このサイトを始めてからだいぶ経った頃、板橋不二男様から提供を受けた一覧表に、何と前事業者の名前が書かれていた。そこには、「岩手県北」の文字が・・・。
確かに続き番号で島原鉄道なのかで取り上げた日野車がいる。でも、こちらはいすゞなので完全にノーマークだった。
型式は異なるが、板橋不二男様の撮影した県北バスの写真の中に、いすゞ×川崎の組み合わせの車両も写っている。県北バスにもこういう車両があったのだ。
日野車の方は、エリアの離れた県南地区に配置されたが、いすゞ車は盛岡地区に配置され、かつての仲間と競い合いながら走っていたのだ。もしそれが分かっていたら、盛岡市内で県北バスとの離合風景とか撮りたかったな・・・30年以上たって、ふとそんなことを想ったりした。

とんでも鑑定談
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80s岩手県のバス“その頃”