開運橋とんでも鑑定談

北海道中央バスだった

今回のお題
岩22か1557〜1560・1562
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1985.11.14)

岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1984.5.29)

さて、初回のお題はこちらの車両。
滝沢営業所にほぼ連番で5両が配置されており、盛岡市内線に普通に運用されていた。前側の写真では、同型車が3台寄り添って停車中。後ろ側の写真は、後輩の自社発注車と並んで営業所に到着。
当初は、何の疑問もなく、岩手県交通の自社発注車だろうと思っていた。

なぜオリジナル車だと思ったのか
岩手県交通 いすゞBU10(1978年)
岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1985.11.14)

こちらが、岩手県交通成立後の1977〜79年の間に大量に増備された自社発注のいすゞBU10
車両サイズも、方向幕の位置なども今回のお題の車両と共通している。車内も一人掛けの前向きシートなので、ほとんど同じなのだ。
この仕様をひとつ前の時代のボディスタイルに展開すれば、今回のお題の車両とそっくりになる。

岩手県交通 いすゞBU10P(1972年)
岩手県交通

撮影:滝沢営業所(1984.9.19)

さらにこれ。
岩手県南バス出身の前ドア車だが、3連テール。これに中ドアを付ければ、お題の車両になるではないか。

山梨交通 いすゞBU05(1971年)
山梨交通

撮影:山梨県(2013.2.23)

お題の車両の特徴が、3連テールランプである。これは、県交通の一般車両には見られない特徴だった。
しかし、国際興業グループの山梨交通において、1970年代のはじめにこのような仕様の車両が導入されていた。
岩手県交通の前身の岩手中央バスが国際興業グループであったことから、国際興業グループとの車両の共通性は高く、似たような仕様の車両があることは不思議ではない。

でも、なんかおかしい
ナンバーがおかしい

BU10 しばらくして、周囲の車両を眺めているうちに、いくつかのおかしな点にも気づくようになった。まずは登録番号。
この車両の登録番号は前後の新車から考えて、1980年末〜1981年の間の登録だと思われる。
本来、1971年式であれば、岩22ナンバーが始まった年なので、岩22か100くらいまでの番号に収まるはずなのだ。県交通によくある再登録という可能性もあるが、5両まとめて連番で再登録というのはどうも不自然だ。

シートが朱色だ

BU10 この車両には通学でよく乗る機会もあったのだが、座席が朱色のモケットだった。
県交通の自社発注車は緑色のビニルシートだ。岩手中央バスも、岩手県南バスも緑色のビニルシートだった。この車両だけ、どうしてこんな変わった色をしているんだろう。

元々は赤いバスだった

BU10 塗り替え前の色を推察する手段として、窓枠の中を見るという方法があった。当時のバスは窓枠の下部分に外板が折り込まれるという造りになっていた。色を塗り替えるときは、窓を閉めてマスキングして外部塗装を吹き付けるので、窓より内側は、古い塗装がそのまま残ってしまうのだ。
元国際興業の場合、この部分に薄緑色が残るということになる。
そして今回のこのバスは、赤色が残っていたのだ。「赤なら岩手県南バスか」と安易に考えてしまうのだが。

(参考)岩手県南バス
岩手県交通

撮影:一ノ関駅(1984.6.24)

岩手県南バス出身車両をみてみよう。
赤を使ってはいるのだが、窓周りは白。つまり、窓の下辺が赤かった今回の車両とは、カラーデザインが異なる。
もし元岩手県南バスであれば、大体の仕様も一致するし、再登録も、県南部から盛岡に移動させる際に、何らかの理由で再登録したなどとの説明がつくのだが・・・。

ある日、それはあっさり解決した
窓柱を見ていたら

BU10 そんなある日、私は家に帰るため、バスを待っていた。
ちょうどこの車両がやってきた。車内は、聖子ちゃんカットやチェッカーズカットの若者で混み合っていた。私は吊革につかまって見慣れた風景を見ていた。
その焦点をちょっとずらした時、私の目に、窓柱に貼ってある広告のようなものが目に入った。
「札幌東急百貨店」
・・・札幌で使っていたバスだ!
大きな手掛かりが、目の前に存在していたのだ。

日本路線バス総合カタログ

日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」

同形車が北海道にあるか

私は、自分へのご褒美を買うために焼き立てパン屋さんに寄ることも忘れて、いそいそと家に急いだ。
そして、発行されたばかりの「日本路線バス総合カタログ」のページをめくり、いすゞBU10の所を見てみる。
あった・・・北海道だと北海道中央バスに同じ形をしたBU10Dが存在していたのだ。

バスボディーグラフィックス

クラリオン(1983)「バスボディーグラフィックス」

色はどうだ

当時、バスの雑誌などは存在しなかったので、資料も限られている。持っていた数少ない資料を駆使し、北海道中央バスの色を調べてみる。
クラリオンバス機器ニュース別冊の「バスボディーグラフィックス」という本をなぜか持っていたので、これを開いてみると、北海道中央バスは、窓周りを含めて赤色だった。これで間違いない。

十和田観光電鉄
十和田観光電鉄

撮影:三本木営業所(1986.5.3)

それからしばらく経って、青森県の十和田観光電鉄を訪問した時、同じスタイルの車両に遭遇した。同じ1971年製で、仕様も変わらない。
岩手県交通での事例を調べた後なので、迷いなく、元北海道中央バスであることが分かった。そうでなければ、これこそ、十和田観光電鉄の自社発注車だといわれても、否定できなかったろう。なにせ十和田観光電鉄の自社発注車は、3連テールなのだから。

どうして北海道から

BU10 北海道中央バスといえば、北海道内だけでなく、全国的に見ても規模の大きいバス会社である。そうは言うものの、首都圏や近畿圏ではなく、どうして北海道から車両を譲受したのだろう。
1980年前後の3〜4年間くらい、それまで継続的に入っていた国際興業からの譲渡車が、入らなくなっている。その代わり、この北海道中央バスと、神奈川中央交通、西武バスからの中古車が入っている。国際興業でも1968年式くらいのBU10の廃車は出ていたはずだが、岩手県交通には来ていないのだ。

BU10 ある時期、私は県内のバス事業の推移などを調べてみようと、図書館に行って過去の岩手日報などをめくってみたりしたのだが、その途中で、謎を解く鍵の一つに気づいた。
1977年の株主総会で旧岩手中央バスの国際興業が役員をすべて引き揚げている。
そして、1978年の株主総会で、旧岩手県南バスの社長が退任し、大株主であるその社長が保有していた70%の株式は売却される。その売却先が北海道いすゞであったのだと推察される。北海道とのつながりが、ここで見えてきた。

BU10 北海道から岩手県交通への譲渡車といえば、1982年にも見られる。函館タクシーから3両の三菱車を譲受し、新幹線リレー特急北上〜釜石線に投入している。
この時は、東北新幹線の開業に向け、リレー特急用の車両の確保が課題だったとみられ、5年ぶりくらいの異例の三菱車導入となっている。これももしかすると、北海道いすゞが現地のディーラーとして関わっているのではないかと考えられる。
1982年には、ようやく国際興業からの中古車両が復活し、観光型ではオバQ、路線型ではBU06が入り始めた。

21世紀になって
北海道中央バス いすゞBU10D
北海道中央バス

撮影:旅男K様(石狩市 2005.9.24)

北海道中央バス

撮影:旅男K様(石狩市 2005.9.24)

さて、時は流れて、この出来事があってから20年が経った。
このWebサイトを始めてしばらく経った頃、北海道に、まだこれと同形と思われる車両の廃車体が存在していることを知った。
なるほど、懐かしいリアスタイルだ。
さらにそれからしばらくして、北海道在住のkuri様から、これらのBU10Dに関する新たな情報を頂くことができた。1969〜71年製のBU10Dには、天井に採光窓があったとのこと。この廃車体も、よく見るとベンチレーターがなく、屋根中央部に3ヵ所の採光窓が見て取れる。しかし、1971年後期の空知営業所の10両には、この採光窓がなかったのだという。
上の方に掲載した岩手県交通の写真を見ればわかる通り、屋根上にベンチレーターがあるので、採光窓はついていない。つまり、採光窓のない空知車10両のうちの5両が、岩手県交通に譲渡されてきたのだと想像できるのだ。(そして、残りの5両が十和田観光電鉄に譲渡されたということかも知れない)


その後、鉄道ジャーナルのバスコーナーなどで、この車両が元北海道中央バスであることが記載され、この事実は、万人の知るところとなったのですが、バス情報誌もインターネットもない1980年代、このように右往左往しながら、元所有者を探求したという事実があったのです。
とんでも鑑定談
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80s岩手県のバス“その頃”