開運橋とんでも鑑定談

島原鉄道なのか・・・

今回のお題
岩22か881・882・913・914・1106・1107
岩手県交通 日野RE100P(1968年)
岩手県交通

撮影:一ノ関駅(1985.1.17)

岩手県交通

撮影:千厩営業所(1986.9.24)

第2回のお題はこちらの車両。
一関営業所や千厩営業所に行くとよく見られた車両で、日野のメトロ窓車だが、中ドアは増設したと思われる。中ドア次位の窓には方向幕も増設している。
金産ボディが4両、帝国ボディが2両の合計6両がいたようだ。エアサスなので、元は貸切バスとして購入したものを、路線バスに格下げする際に、中ドアを増設したのだろう。

最初は岩手県南バスだろうと思っていた

メトロ窓でずんぐりしているせいもあり、最初はこの車両について、あまり興味は湧かなかった。県南バスエリアに多い変な車両だくらいにしか感じなかったのだ。
もともと岩手県南バスには、貸切車両を中ドア車に改造したツーマン車がたくさんあったらしく、廃車体でも、そういったものを見ることができた。なので、この車両も、路線バスに格下げされる際に2ドアのワンマンカーになったのだろう、と思っていたのだ。
活躍場所が旧県南バスエリアなので、なおさらだ。

岩手県交通 日野RB10P(1964年)
岩手県交通

撮影:沢内村(1986.8.7)

岩手県交通 日野RB10P
岩手県交通

撮影:大東営業所(1986.8.7)

そっと透かして見てみたら
赤い3本線が見えた

RE100P 車両の前歴を知る方法のもう一つに、塗装の剥げているところを探すという、下品な方法がある。
塗装を上塗りしてからだいぶ経つと、塗料は段々と薄くなってくる。日に当たったり、洗車ブラシでこすったり、色々な刺激に耐えながら、薄くなった塗料の下には、元々のカラーが見えてくるのだ。
こういった剥げやすい場所というのは、角部分であったり、動きのある部分だったりする。
ある日、一関営業所で、停車中のお題の車両をじっくり見ていたところ、前ドアの脇の部分に赤い3本線が浮き出ているのを発見した。
岩手県交通が岩手県北バスの中古車を買うはずがないから、島原鉄道だろうか。というのがこの時点での想像だった。

(参考)島原鉄道
島原鉄道

撮影:島鉄バスターミナル(2018.10.15)

島原鉄道は長崎県の会社だが、カラーデザインといい、車種といい、岩手県北バスとそっくりだった。
残念ながら当時の写真がないので、最近の写真をお見せしよう。
車両は、日野車が主体で、前ドアでメトロ窓の観光タイプが多いという点も岩手県北バスと同じだった。雲仙などの山岳観光路線を抱えていたための選択だろう。
当時はやはり、金産ボディと帝国ボディの両方が存在していた。

ある日、それはまたまた解決した
昔の新聞に

RE100P 北海道中央バスの所でも書いたように、県内のバス事業の過去を調べる目的で、図書館にある過去の岩手日報を1日1日めくっていくという地道なことをやっていた時のことだった。
確か1970年代中頃の新聞だったと記憶しているが、県内に大雪が降り、盛岡市内でも雪で交通障害が出ているというような記事の、盛岡市中央通りの写真に、県北バスが写り込んでいた。その県北バスが日野の2扉車だったのだ。
県北バスは前ドア車だという先入観を見事に打ち砕く、報道写真という真実を突き付けられてしまった。そして、その車両は、今は岩手県交通で使われているのと同じ、日野のメトロ窓車の前中折り戸という仕様だったのだ。
あの車両は、県北バスから県交通に譲渡された車両なのだ!
私は図書館の地下の書庫から出てくると、冬の日差しをわざと眩しげに左手で遮った。そして、誰も見ていないのに、ニヒルな表情を作ったりしながら、家路についたのだった。

県北バスと県交通の関係

RE100P 盛岡市内などで競合関係にある岩手県北自動車と岩手県交通。その両社の間で、なぜ車両の譲渡という関係が生まれるのか。誰もがそういう疑問を抱くだろう。
これについても、古い岩手日報をめくっているうちに分かってきた。
岩手県交通の前身である3社は、いずれも1970年代前半までに経営に行き詰るのだが、岩手中央バスは国際興業資本で、岩手県南バスは自主再建、そして花巻バスは岩手県北自動車の資本下で再建を図ることになる。
1976年に岩手県交通が成立する際、旧3社の持ち込み資産の比率で株式が配分されたとのことなので、花巻バスの株主だった岩手県北自動車も岩手県交通の株主だったはずだ。つまり、県北バスと県交通は、競合会社という単純な図式ではなく、資本関係もあったということになる。
お題の車両が岩手県交通で登録されたのは1977〜78年のこと。まだ、資本関係が残っており、花巻バス出身の役員もいた頃である。

県北バスのメトロ窓車
岩手県北自動車 日野RC300P
岩手県北バス

撮影:山田町船越(1985.9.25)

岩手県北バスでよく見かけたメトロ窓車の廃車体。長さ、出力、年式、ボディメーカーなど、詳細は多岐に渡るのだが、こんな感じの車両が、過去にはたくさんあったようだ。
県北バスは1974年にワンマン化を開始している。恐らく、それに合わせて2ドア化改造を施した車両があったのだろう。2ドアの新車も入ったらしい。しかし、“その頃”には2ドア車はすでになく、前ドア車のみで運用されていた。
車両更新が喫緊の課題であった岩手県交通と、ワンマン化で2扉改造をしたものの前ドア車へ統一を図りたかった岩手県北バスとの、車両面での需給の一致があったのかも知れない。

21世紀になって

昔の岩手日報に載っていた・・・などと言っても、日にちも分からないものを誰も信じてくれないかもしれない。
しかし、あれから30年近く経って、板橋不二男様から頂いた写真に、似たような車両が写っていた。出入口表示が窓ではなく板なので、県交通に譲渡された車両とは同一ではないけれど、ほとんど同じ2扉車が県北バスに存在したという証拠写真だ。

岩手県北自動車 日野RE100P
岩手県北バス

撮影:板橋不二男様(東八幡平営業所 1977.3.14)

とんでも鑑定談
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80s岩手県のバス“その頃”