大阪の国電
東海道線・山陽線(京阪神緩行線)
普通
103系
(京都〜大阪〜西明石)
普通
72系
(京都〜大阪〜西明石)
○
○
○
東海道線と並行してスカイブルーの103系が走っているというのは、東京の京浜東北線と同じです。
東京からの修学旅行生が京都駅に降り立って、「京浜東北線って京都まで来てるんだ」と思い込んだという都市伝説は、事実です。
大阪環状線・桜島線
快速
113系
(天王寺〜大阪〜奈良)
各駅停車
103系
(天王寺〜大阪〜天王寺)
各駅停車
101系
(天王寺〜大阪〜天王寺・西九条〜桜島)
鉄道模型の製品でオレンジ色の非冷房103系を見て、「こんなの実在しないよ」と知ったかぶりしていた小学生がいました。いつの間にか大阪環状線に103系が登場していたことも知らずに。
なお、大阪環状線には、この時すでに、東京の中央線と同じ103系量産冷房車も戦列に加わっていました。
片町線
各駅停車
72系・戦前型国電
(片町〜長尾)
関西線
快速
113系
(大阪・湊町〜奈良)
各駅停車
101系
(湊町〜奈良)
○
○
○
関西線は、1973年9月に大阪〜奈良間の電化が完成し、朱色ラインの快速電車と、ウグイス色の101系が走り始めたばかりでした。田畑の色に溶け込んでしまうため、黄色い警戒色を入れるのが、関西の特徴でした。
快速電車の朱色の帯は、修学旅行電車と同じ朱色3号で、春日大社の色に因んだと言われています。現在の「大和路快速」の前身です。
阪和線
新快速
113系
(和歌山〜天王寺)
快速・普通
113系
(和歌山〜天王寺)
快速・区間快速
70系
(和歌山〜天王寺)
阪和線の新快速は1972年3月に113系冷房車によって運転を開始しました。京阪神間の新快速と同じブルーのラインが入ったスマートなカラーデザインでした。
そして、1973年10月には、関西線快速用の朱色ラインの113系が阪和線でも快速に投入され、ブルーラインの新快速と名コンビを形成していました。
快速・普通
103系
(和歌山〜日根野〜天王寺)
快速・普通
72系・戦前型国電
(和歌山〜天王寺・鳳〜東羽衣)
阪和線は、スカ色とオレンジ色の旧性能電車に加え、スカイブルーの103系が活躍するなど、様々なカラーの電車が走り、そこに新快速色と快速色が加わり、実にカラフルでした。
これらのバラエティに富んだカラーデザインは、国鉄ならではの広域移動の際にも、面白みを発揮します。下記の別ページで触れておきます。
高槻電車区
職員輸送車
クモハ32形
(高槻電車区〜高槻駅)
入換車
クモヤ22形
(高槻電車区)
救援車
クエ9400形
(高槻電車区)
高槻電車区の面々です。
救援車のクエ9400は、生まれは東京の鶴見臨港鉄道。いわゆる買収国電です。同じ鶴見臨港鉄道出身の救援車は、明石電車区や鳳電車区でも見られました。どれもタネ車が異なるため、外観が違いました。
入換車のクモヤ22は、通常は吹田工場におり、高槻電車区には常駐していなかったようです。
私鉄線(国鉄と競合)
南海電鉄本線
特急「四国」
1000系
(難波〜和歌山市〜和歌山港)
特急
7100系
(難波〜和歌山市)
急行
7000系
(難波〜和歌山市)
大阪〜和歌山間で阪和線と並行して走っているのが、南海電鉄本線です。かつては阪和線も私鉄の阪和電鉄で、民間同士で競合したり、戦時統合で同一会社となったりという経緯を辿りながら、官民の競争になっています。
南海電鉄では編成中2両を料金必要な車両にした特急「四国」を運行。和歌山港で四国行きのフェリーに接続するという独自の需要を開拓します。一部有料の特急というのは、現在の特急「サザン」の原形になります。
また、料金不要の特急にも、冷房付の新車7100系を投入するなど、競争相手を意識した布陣となっています。
