日本の鉄道

東北本線(上野〜仙台)

特急列車(昼行)

特急「はつかり」
583系
583系
(上野〜青森)

特急「やまびこ」
485系
485系
(上野〜盛岡)

L特急「ひばり」
483系
483系
(上野〜仙台)

特急街道なんて言葉は、だいぶ後に鉄道雑誌が名づけたのだと思いますが、この時の東北本線は、まさに特急街道という名前が相応しく、30分おきに特急列車が発車して行きました。
ここでは、最初から最後まで東北本線を走る列車だけを並べます。常磐線経由はもちろん、磐越西線経由、奥羽本線経由は、それらの路線のところに載せます。
そうなのです。上野駅で青森行といっても、経由は様々で、仙台に行けると思って乗ったら酒田や秋田に着いてしまったということもあったのです。

特急列車(夜行)

特急「はくつる」
583系
583系(寝台)
(上野〜青森)


上野駅列車札

急行列車

急行「いわて」
455系
455系
(上野〜盛岡)

急行「まつしま」
455系
455系
(上野〜仙台)

急行「なすの」
165系
165系
(上野〜黒磯)

東北本線は、黒磯で直流と交流が切り替わるため、黒磯までの列車は直流電車で、黒磯から先に向かう列車は交直両用電車で運転されます。
また、急行「いわて」「まつしま」には夜行列車(座席車のみ)の設定もあり、特に「いわて」の夜行は客車での運転でした。

急行「八甲田」
ナハネフ10
旧型客車(座席・寝台)
(上野〜青森)

急行「北星」
EF58
旧型客車(寝台)
(上野〜盛岡)

急行「新星」
EF57
旧型客車(寝台)
(上野〜仙台)

普通列車

普通列車
115系
115系
(上野〜黒磯)

普通列車
スハフ42
旧型客車
(上野〜仙台〜一ノ関)


禁煙看板

直流と交流の壁は、当然普通列車にもあり、黒磯までの列車は直流電車が担当し、黒磯より先への列車は客車が担当していました。客車の場合は、黒磯で機関車を交換することで、交流区間まで直通運転できるのです。この時期には、最長一ノ関まで直通する列車がありました。

川越線

普通列車
キハ35
一般形気動車
(大宮〜高麗川〜東飯能)

日光線

急行「日光」
165系
165系
(上野〜宇都宮〜日光)

普通列車
115系
115系
(上野〜宇都宮〜日光)

普通列車
クモハ41
戦前型国電
(宇都宮〜日光)

国鉄では、日光への観光輸送に新車157系を投入して挑んだ時期もありました。しかし、この時は既に東武鉄道との競争に結果が出てしまっており、急行「なすの」などと併結運転する165系の急行「日光」が4往復設定されているほかは、普通列車だけでした。
しかし、関東近辺の修学旅行や移動教室のための臨時列車の運転は活発でした。

団体列車
155系
155系
(首都圏各地〜日光)

団体列車
12系
波動用客車など
(首都圏各地〜日光)

磐越西線

特急「あいづ」
483系
485系
(上野〜郡山〜会津若松)

急行「ばんだい」
455系
455系
(上野〜郡山〜喜多方)

急行「あがの」
キハ58
急行形気動車
(仙台〜郡山〜新潟)

磐越西線は、福島県会津地方を経由して新潟県とを結ぶ路線です。郡山から喜多方までは電化区間なので、上野からの電車も直通します。
一方、新潟側は非電化区間で、1974年10月をもって姿を消すC11形蒸気機関車が最後の活躍を見せていました。

普通列車
オハフ33
旧型客車
(郡山〜会津若松〜新潟)

福島機関区

電気機関車
ED71
ED71
(黒磯〜仙台)

電気機関車
ED77
ED77
(郡山〜喜多方)

救援車
スエ7112
スエ71形
(福島機関区)

福島機関区を覗いてみます。
ED71形電気機関車は、東北線仙台以南の交流区間を担当します。この区間の普通列車は、ほとんどが客車列車でした。
ED77は、磐越西線用の電気機関車で、福島機関区の所属ですが、普段は会津若松に常駐していました。

プラ製ベンチ

私鉄線(国鉄と競合)

東武鉄道伊勢崎線・日光線・鬼怒川線

特急「きぬ」
1720系
1720系(デラックスロマンスカー)
(浅草〜鬼怒川温泉・鬼怒川公園)

快速急行「だいや」
6000系
6000系
(浅草〜東武日光)

快速急行「おじか」
5700系
5700系
(浅草〜鬼怒川温泉・鬼怒川公園)

東武鉄道では、ジュークボックス付サロンルームやビュッフェのついたデラックスロマンスカー(DRC)を投入し、特急「けごん」(日光線)「きぬ」(鬼怒川線)と名付けて、浅草から1時間ヘッドで運行していました。
急行(快速急行と名乗っていたようです)も「だいや」(日光線)と「おじか」(鬼怒川線)がありました。
料金不要の列車では快速が2扉クロスシートの6000系により運転されており、これも人気がありました。

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