信州仕様
撮影:中央自動車道を行く伊那バスの新宿行き高速バス
松電グループだけに存在するかのように言われる変わった仕様のバス。巷で「松電仕様」とか「信州仕様」とか呼ばれるものです。ここではそんな中から代表的なものを選んでみました。
最前部の窓が開く高速バス
松本電鉄が高速バスに初参入した1988年から2004年までの17年間、増備した高速バス車両のほとんどが「最前部の窓が上部引き違い」という仕様でした。結果「松電仕様」と呼ぶ人がいましたが、実はちょっと事情が違うようです。松本電鉄 三菱P-MS725S(1988年)
撮影:松本営業所(1988.12.6)
1988年のみすずハイウェイバスに合わせて松本電鉄、諏訪バス、川中島バスのグループ3社で導入された共通仕様のエアロバス。
これを含めて1988〜89年にかけて松本電鉄と諏訪バスが導入した高速バスは、固定窓ベースで最前部のみ上部開閉式となっています。車種も三菱エアロ、日野グランデッカ、富士重工HD-Ⅱなど複数に渡ります。
川中島バス 三菱U-MS729S(1991年)
撮影:大町営業所(2009.6.27)
Highland Expressカラーになってからの1991年以降、高速バスの車種はグループ3社とも三菱ふそうが主力になり、4列シート、トイレ付車両については、ほぼパーフェクトに最前部のみ上部開閉式という仕様になります。
写真は川中島バスのエアロクイーンM。
松本電鉄 三菱U-MS821P(1994年)
画像:高速バス時刻表(1995)
三菱ニューエアロにモデルチェンジ後もこの仕様は続きます。結果的に、川中島バスが1999年まで、松本電鉄が2002年まで、諏訪バスが2004年まで導入しています。
その後、日野の新型セレガや三菱エアロエースでは、この仕様は見られなくなりました。
信南交通 三菱P-MS725S(1987年)
画像:中央高速バス伊那・飯田線パンフレット(1987)
中央高速バス伊那・飯田線の時刻表にあった信南交通。1987年製のエアロバスで、側面最前部の窓が、上部引き違いになっています。
松電グループがこの仕様を採用したのは1988年のことなので、1年前にすでに信南交通が導入していたことが分かります。
その後、2000年代にかけても、日野セレガや三菱ニューエアロでもこの仕様が見られました。
伊那バス 日野P-RU638C(1989年)
画像:所蔵写真(伊那本社 1990.4.1)
伊那バスも1989年の伊那−大阪線用の日野グランデッカで最前部に上部引き違い窓を採用しています。
これで長野県内の高速バス5社がこの仕様を採り入れたことになります。
信南交通 三菱MS96VP(2014年)
撮影:長野バスターミナル(2026.6.17)
信南交通では引き続き最前部開閉式窓を導入します。エアロエースでは、上部引き違いから下部引き違いに変わりました。
この仕様を最も長く、また多く採用しているのは、信南交通にほかなりません。
伊那バス 日野RU1ASDA(2025年)
撮影:新宿駅(2026.6.17)
伊那バスでは時を経て2023年の新車において、最前部の下部引き違いを採用しました。誕生から35年以上を経て未だに作り続けられる“信州仕様”です。
≪まとめ≫
上記の流れを見ると、最前部窓を開閉式とする仕様は、1987年に信南交通が導入し、1988年に高速バスを初導入する松本電鉄がその仕様を踏襲し、日野の新型セレガ登場まで相当数の高速バスに展開しました。グループ外では、伊那バスが散発的に採用した後に近年復活、信南交通は最新型まで継続的に導入を続けています。
そうするとこれは「松電仕様」と言うより「信南仕様」と言ったほうがいいのではないかと思います。
ところで、この仕様にどういう意味があるかは、導入会社に聞かなければ分からないことですが、エアコントラブル時の通気のためと考えられます。直結冷房になってからは、乗務員の車内待機時の室温調整というメリットもあったと思います。
スポーティ・スケルトン
上高地に向かう最後の難関「釜トンネル」は幅も高さも小さいトンネルで、擦れ違いが出来ないため交互通行であるほか、車高、車長にも制限がありました。1970年代後半から貸切バスにハイデッカーが登場しますが、車高の高いハイデッカーは釜トンネルを通れません。そこで、首都圏から上高地に向かう会員制直行バス「さわやか信州号」を本格運行するに当たり、最新型の平屋根車を投入しました。その名も「スポーティ」。機動性があるということからの命名と想像しますが、言い得て妙、ではあります。
松本電鉄 三菱K-MS615N(1983年)
画像:さわやか信州号パンフレット
1982〜83年に松本電鉄、松電観光バス、諏訪バスに共通仕様で入った「スポーティ」。シャーシにはいすゞと三菱がありますが、ボディは富士重工の同じスタイルで導入。また背が低いことを意識させないカーブドガラスを採用。富士重工のいいところを生かし切った車種選択です。
千曲バス 三菱P-MS715N(1985年)
画像:所蔵写真
画像:所蔵写真
千曲バスが採用した上高地用平ボディは、松電グループと同じカーブドガラスの富士重工。
恐らく、松本電鉄主催の上高地直行バス「さわやか信州号」の軽井沢ルートを千曲バスが担当したことから、専用車として松電仕様で導入したと思われます。
もっとも、導入が遅かったことから、エアロバスシャーシとなり、後ろから見ると松電・諏訪バスのMS6では見られない網のないすっきりした姿です。
松本電鉄 いすゞP-LV219Q(1986年)
撮影:松本営業所(1988.9.13)
1986年の増備車は松本電鉄と諏訪バスの2社で、同じ富士重工ボディながら、いすゞのみになり、側面のカーブドガラスも中止されました。これだと窓の縦寸法が小さく、背が低いのがよく分かります。
同年製の千曲バスは引き続きカーブドガラスの松電仕様でしたが、本家が裏切った形です。
川中島バス 三菱P-MS725N(1985年)
画像:信州観光バスセンターカタログ
1984年に松電グループ入りした川中島バスでも、上高地乗入用の平ボディを導入しますが、初回の車両は三菱純正のエアロバスで、スィングドアなどの独自仕様。
グループ外の千曲バスが仕様を合わせたにもかかわらず、グループ内で独自路線はちょっと不思議でした。
川中島バス いすゞP-LV219Q(1986年)
撮影:長野営業所(1992)
1986年の増備車は折戸になりましたが、やはり同年の松電・諏訪バスとは異なった仕様です。同じ富士重工ボディのいすゞ車ですが、側窓は上下いっぱいの引き違いで、最前部と最後部が固定窓というのは前年のエアロバスを踏襲しています。
この年は日野車も同時に購入しています。
≪まとめ≫
千曲バスが松電仕様の平ボディを入れたのは、「さわやか信州号」軽井沢ルートのためですが、この時期、標準仕様から外れて行く車形を入れるに当たっては、他社の既存仕様に合わせた方が楽という側面もあったと思われます。
また、松電グループが立ち上げた貸切バスの総合予約センターである「信州観光バスセンター」には、東信地区の貸切バス事業者として、千曲バスも名前を連ねており、松電グループとのかかわりが強い時期でもあったようです。
長電仕様
長野電鉄 日野RE100(1975年)廃車体
撮影:ポンコツ屋赤木様(長野県 2025.6.21)
長野電鉄 日野RE101(1979年)廃車体
撮影:ポンコツ屋赤木様(長野県 2025.6.21)
長野電鉄では継続的に導入されていた仕様で、前後ドア車の後ろドア次位の狭い窓が横引き窓になっています。通常であれば、この窓は他の側窓と同様に上下スライド式になるはずです。
川中島バス 日野RE100(1976年)
撮影:長野営業所(1989.3.26)
川中島バスは、通常は前中折り戸という仕様ですが、1976年の導入車両のみ前後ドアとなり、後ろドア次位の窓が横引き窓という仕様です。前面に系統幕がある点を除けば、長野電鉄とほぼ同じです。
この時期、川中島バスと長野電鉄との間に何の関係もなく、共通仕様車を導入した理由は不明です。
≪まとめ≫
川中島バスが前後ドア車を入れていたのは1969年までで、1970年から1990年代に至るまで前中折り戸が標準仕様です。
また、川中島バスと長野電鉄との間に関係が生じるのは、川中島バス再建のために長野電鉄が役員を派遣した1982〜83年の時期のみです。
従って、この仕様のバスを川中島バスが導入した理由はよく分かりません。
長尺・高出力・中ドア引き戸
1970年前後に見られたワンマンバスの仕様で、長尺・高出力・中ドア引き戸の3拍子揃った車両が複数存在しました。長野県では中ドア引き戸を標準仕様とする会社はなく、中ドアも後ドアも折戸が標準でした。にもかかわらず、この時期だけに引き戸を採用したのはなぜでしょう。諏訪バス 三菱B800L(1968年)
撮影:板橋不二男様(白樺湖 1978)
諏訪バスは前後折戸が基本で、かつ前ドア乗降なので中ドアは常時「締切」です。それなのに中ドアに幅広の引き戸を採用したのが、この1968年製の三菱B800Lです。
茅野〜岡谷間を国道20号線を通る「本線」が主な活躍の場所だったようです。
諏訪バス いすゞBU20E(1969年)廃車体
撮影:松本市(1989.3.22)
諏訪バスの1969年製はいすゞBU20E。仕様は同じ長尺・高出力。
この時は廃車になったばかりで、なぜか松本市内に置かれていました。
川中島バス 日野RC320(1970年)
撮影:長野駅(1989.3.26)
似たような仕様の車両が川中島バスにもありました。この時点で川中島バスは松電グループではなく、また日野シャーシと川崎ボディという組み合わせは川中島バスらしい選択。1969〜71年の間に導入されていたようです。
この時期の川中島バスは、前中折り戸が基本でしたが、国道18号線を走る「国道上田線」(長野〜上田間)にはこのタイプが集中投入されていました。
諏訪バスと違うのは、幅広の中ドアがちゃんと乗車口として活用されていた点です。
≪まとめ≫
これらの長尺・高出力・中ドア引き戸の車両は、利用者の多い国道幹線に使用されていたという共通点があります。いずれも国鉄の幹線と並走する路線ですが、当時の国鉄は駅間が長く、本数が少ないため、フリークエンシーに勝るバスのシェアは非常に高かったのです。
恐らく、収容力とパワーを最大級にし、かつ車内にデッドスペースを生まない引き戸を採用したのではないかと想像します。
どちらかの会社が採用した仕様を見て「そのアイデア頂き!」となったのかも知れません。
扇沢線仕様
黒部ダムが完成し、この区間は山岳観光地「立山黒部アルペンルート」として開発が続きます。大糸線信濃大町駅から扇沢に向けての路線バスは、黒部ダムの関西電力系列である北アルプス交通と、地元事業者である松本電鉄、川中島バスの共同運行となりました。
車両の仕様は前ドア車で揃えられ、年代的に最初の車両は路線タイプでした。第2世代もそれを踏襲し、1990年代に入る頃には松本電鉄のみがこのタイプを残存させていました。
松本電鉄 いすゞBU20K(1973年)
撮影:大町営業所(1989.3.6)
松本電鉄の初代車両は三菱×呉羽ボディだったようですが、1973年に北村ボディの長尺、高出力車で代替します。
1989年時点で、この車両がまだ現役でした。ずらりと並んだバス窓に、補助席付2人掛けシートが見えます。
北アルプス交通 くろべ-109(廃車体)
撮影:ポンコツ屋赤木様(本社 1989.8.10)
北アルプス交通は三菱に統一されていますが、この路線の初代車両は三菱ボディ、そしてつい最近まで現役だった1971年製の三菱B800Mは、呉羽ボディでした。
1989年時点では廃車となっていました。
川中島バス 三菱B805M(1968年)
川中島バスは当時愛用していた川崎ボディで、シャーシは三菱の高出力エンジンを選択。他社よりも新しく見えるボディでしたが、この時には既に姿を消していました。
≪まとめ≫
結果的に路線タイプの前ドア車の導入は、各社とも2世代目まででした。松本電鉄はその車両の製造が最も遅かったため、最も遅くまで現役で活躍することになりました。
川中島バスは1988年に観光タイプ(元大富士開発の日野RV)を導入、北アルプス交通は自社の貸切バスを格下げ使用します。松本電鉄も、しばらくすると呉羽ボディのセミデッカーの転用を図ります。