松本電鉄・諏訪バス
1975(昭和50)年導入車
写真:乗鞍エコーラインから見た乗鞍岳(大雪渓)(1989.8)
恐らくワンマン化の仕上げの時期が1975年だったのではないかと想像します。この年度を最後に、路線車の大型バスの大量増備に終止符が打たれます。松本電鉄でその最後を飾ったのが、山岳観光路線車のサッシ窓車です。写真は、乗鞍山頂に向かう高出力車。乗鞍岳を望める地点で、運転手さんが機転を利かせて小休憩を行ったのかも知れません。
路線車
いすゞBU10K(車番510〜524)
松本電鉄 514(松本22あ440)
撮影:松本営業所(1988.6.8)
松本電鉄 518(松本22あ445)
撮影:沢渡(1988.5.8)
1975年に15両が増備された山岳観光路線用高出力車。北村ボディのモデルチェンジで、側窓がサッシに、前面窓が下方に拡大されました。
前半10両(510〜519)はセパレートのリクライニングシートに変わりました。もっとも補助席は相変わらず2人掛けです。これらは当初松本に配置されたようで、貸切兼用車だったようです。
後半の5両(520〜524)は、前年度製と同じ上高地用で、リクライニングシートではありません。結局その5両を含む後半6両は、1991年に川中島バスに譲渡されます。
川中島バス 41822(長野22あ1822)
撮影:長野バスターミナル(1991.12)
1991年に519〜524の6両が川中島バスに譲渡されました。路線バスのグループ内移籍は初めてで、同時に「Highland Shuttle」カラーへ塗り替えられました。
この時期、長野市地附山の地滑りでバードラインが不通になり、戸隠高原への路線バスが急勾配の七曲を経由する必要が生じたため、高出力車が必要になったもの。
松本電鉄 512(松本22あ438)
撮影:ポンコツ屋赤木様(松本駅 1992.8.7)
6両が川中島バスに譲渡された後、残った車両も車体更生を受け、「Highland Shuttle」カラーに塗り替えられました。前面窓や側面窓の下に補強材が入れられています。
ポンコツ屋赤木様が、バス熱が冷めた時点で撮影していたもの。
松本電鉄 512(松本22あ438)(廃車体)
撮影:大町市(2008.8.31)
私の方も、これらが化粧直しをされて最後の活躍をしていた頃には、バス写真を撮っておらず、廃車体になって落書きまでされてしまった後に再会を果たしました。
三菱MR410(諏訪バス32〜34)
諏訪バス 33(松本22あ434)
画像:所蔵写真(上諏訪営業所 1990.4.1)
諏訪バス 32(松本22あ433)
撮影:上諏訪駅(1989.3.22)
諏訪バスの1975年製は三菱になりました。この年度からリアのエンジン通気孔が少なくなりました。1973年に松本電鉄に入った同型車との違いは、前面方向幕の凸部の枠がない点も挙げられます。
この年は、松本電鉄にはいすゞ車、諏訪バスには三菱車が入るという選択になりましたが、前時代的なボディのままの呉羽ボディは残念です。
三菱B360(諏訪バス28〜31)
諏訪バス 28(松本22か76)(廃車体)
撮影:諏訪市(1989)
三菱の小型バス「ローザ」です。前年の松本電鉄では、前面窓下に方向幕をつけていましたが、こちらはおでこに方向幕が付けられています。
この時ちょうど廃車になったばかりの時で、廃車置き場に留置されていました。(注1)
貸切車
いすゞBU20KP(松本電鉄500・501、松電観光バス501〜506?)
松本電鉄 500(松本22あ409)
撮影:松本営業所(1988.5.21)
路線車も貸切車も、いすゞと三菱をグループでうまく配分しながら購入しているようですが、この年度だけ松本電鉄にいすゞの貸切車が入りました。
このタイプは、松電観光バスには1973年から継続的にいすゞ車が入っていますが、写真はありません。
三菱B906N(諏訪バス35〜36?)
諏訪バス 35(松本22あ430)
撮影:茅野営業所(1989.3.21)
諏訪バスの貸切バスには継続して三菱車が入ります。これは、いすゞが継続的に入った松電観光バスとは対照的です。グループ内でどのような調整が行われていたかは分かりませんが、貸切バスの場合、外観を揃えることが必要だったのは事実です。
この時は乗合に格下げされ、霧ケ峰方面の観光路線に使用されていました。前面の社名表示部分に、方向幕が取り付けられています。