松電カラー(旧)の詳細
写真:浅間温泉の専用道路を行く散水車(1991.10)
昭和の時代に北アルプスの登山を経験している人にはなじみの深い赤と青の「松電カラー」は、1950年代からの長きにわたって松本平の色として活躍してきました。ここでは、そんな「松電カラー」の生い立ちを辿ってみます。
松本電鉄 松本2あ576(車番56)
撮影:松本営業所(1988.7.5)
松電カラーは1950年に制定されたカラーデザインをベースに修正を重ね、1964年頃には最終デザインが完成したようです。
1983年の諏訪バスの路線バスまで採用されました。
その後、廃車や塗り替えにより数を減らし、松本電鉄で1996年に最後の2両が廃車になって姿を消しました。
ボンネットバスのカラーデザインの推移
初期デザイン(1950年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P14
それまで黄色と緑のツートンカラーだった松本電鉄は、1950年に新しいカラーを制定しました。窓下の水色が見慣れない色ですが、このデザインが後に言われる「松電カラー」の原形になります。屋根上の赤色が、そのうち幅を利かせることになります。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P21
同じデザインでも、窓下帯が赤色のものも既にあったようです。水色帯との違いがよく分かりません。両方とも民生のディーゼルバスで、長さも変わりません。ガソリンとディーゼルの区別とか、市内線、郊外線などの用途の違いなどが考えられます。(注1)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P110
裾のデザインがフェンダ部分で波形を描いた優雅なデザインもありました。
1950〜51年に上高地線用に導入されたガソリンエンジンの日産車とのこと。
4
参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P147
裾が波形でかつ窓下が赤帯。1950年導入の民生のディーゼルバスとのこと。やはり、水色帯がガソリン車、赤帯がディーゼル車でしょうか。
初期デザイン2(1951年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P13
裾の青が前輪のフェンダから斜めに降りてゆくデザインに変更されました。これまでよりスマートさを増し、ボンネットバスでは最後まで踏襲されるデザインとなります。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P23
同じ時の新造車でも、三菱の菱和ボデーの車両は、窓下の3本のリブに赤い色が付きます。
同じデザインは、サワタク(日本交通)や三重交通でも見られ、メーカーの意図も影響したのではないかと勘繰ってしまいます。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P20
窓下赤帯の車両も、裾の青が斜めラインになっても並行して存在します。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P43
窓下の赤帯が細線2本に分かれているというデザイン。ここまでくると、細かい違いに理由などないのではないかと思えてきます。
1951年購入のいすゞBX91(富士ボディ)だそうです。
赤ライン追加(1951年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P27
裾の青色の上に細い赤いラインが入りました。後ろの方で青から離れますが、初期にはこの部分が水平ではなく、微妙にした方向に向かっていました。
屋根ローマ字追加(1951年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P27
屋根肩にあった赤いしずくのような模様がローマ字の「MATSUMOTO BUS」に変わりました。
この部分は、他の部分のデザインに関係なく、修正が行われたようです。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P60
1953年の新車で、下の赤い顔より後に入ったはずですが窓下帯が水色。新三菱ボディなので赤い3本線はありますが、基本デザインは古いまま。赤顔、赤帯、水色帯の使い分けはやはり分かりません。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P88
1953年以降のフロントグリルのバスですが、顔が赤くない事例のもう一つ。金華ボディの車両だそうです。
フロントに赤(1951年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P36
前面の上半分が赤く塗られ、インパクトのあるデザインになりました。「松電カラー」にかなり近づいています。
1951年頃に導入された大型の日野BH10なので、1951年にはめまぐるしくデザインが変わったことになります。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P38
同じく前面が赤くなったデザインで、腰板中央の赤い1本線が水平になって、かなり整ったデザインになりました。
これも1953年には走っていたとのこと。ガソリンエンジンの日産490だそうです。
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P24
赤の面積が増えてからも、新三菱ボディの窓下3本線は健在でした。
1957年導入のいすゞBX341だそうです。
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参考:FHI写真保存会所蔵写真(1952)
窓下の赤帯が2本線になるのは富士重工の得意技のようです。1952年の日野BH11では、側面のスタンディウィンドウ部分にも赤が塗られています。
細線追加(1960年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」表紙
腰板に青の細いラインが入りました。この部分は、箱型バスに先んじて採り入れられたようです。窓周りは、箱型バスのように赤く塗りつぶされることはありませんでした。
箱型バスのカラーデザインの推移
初期デザイン(1951年〜)
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参考:FHI写真保存会所蔵写真(1951)
箱型バスは窓周りに赤のあるデザインから始まったようです。腰板の細線はまだなく、屋根肩のローマ字もありません。かなりシンプルなデザインです。
民生コンドル号(1951年製)です。
屋根ローマ字追加(1952年〜)
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参考:FHI写真保存会所蔵写真(1952)
やはり民生コンドル号ですが、1952年製では屋根肩のローマ字が加わりました。
腰板に細線追加(1958年〜)
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参考:飯沼信義(2012)「思い出のバス120景」P23
箱型バスでは、腰板のクリーム色の部分に、紺色の細線が入りました。細線は3本で、中央が太く、上下は細線です。
細線が増加(1964年〜)
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参考:「50年のあゆみ」(1970)松本電気鉄道 P46
ワンマンカーが本格導入されるタイミングで、腰板の細線が増えたようです。少し前にボンネットバスに加えられたアレンジを採り入れたもの。
この時のデザインが、1983年まで使われることになります。