絵葉書でめぐる日本バス紀行(石川県)

石川県は、金沢市を県庁所在地とする北陸地方の中心県です。旧国名でいう加賀国と能登国の全域に当たり、県南部が金沢市、小松市などを含む加賀地方、県北部が七尾市、輪島市などを含む能登地方に分けられます。
北部の日本海に張り出した能登半島は、美しい海岸線の景観で知られます。羽咋から輪島を経て狼煙に至る外浦は断崖や奇岩怪石の豪快な景色、一方飯田町から七尾までの内浦は砂浜が続く穏やかな景色に変わります。また、七尾湾に望む和倉温泉は、能登最大の憩いの場所で、能登観光のよき基地となっています。
加賀地方(県南部)
粟津温泉市街
撮影時期:1920年代
後部座席には人が乗っていますので、乗合自動車だと思われます。
前側のバスはオープン式で、ボンネットにフォードのロゴが見えます。
フロントのグリルの所に数字が書いてあり、うしろのバスには27と書いてあるのが分かります。
湯湧温泉行バス待合所
撮影時期:1939〜41年
バス待合所の建物には「湯湧温泉行バス待合所」と書かれ、その下に「金沢大型貸切自動車株式会社」とあります。北陸鉄道の前身のひとつで、1939〜41年に存在した会社だそうです。
バスは戦前の日産90型のようです。
車庫に入ってお尻を向けているバスは、後部に何かケースをつけています。薪バスか何かでしょうか。
新装の金沢駅
撮影時期:1954年
駅から出てくる人がたくさんいますが、合成写真のようです。
駅に横付けのバスは国鉄バス。
手前左の後ろ姿は、石2-2043のナンバーをつけています。
金沢 商機の中枢武蔵ヶ辻
撮影時期:1957年
金沢市商店街の中心であり近代的な商店街が多い時代に他では見られない古い伝統とゆかしさを持っている。この特色はいかにもしっとりした街であることを印象づけている。
国鉄バスは、いすゞBX95(帝国ボディ)のようです。
金沢・繁華街 片町より香林坊
撮影時期:1966年
北陸鉄道のバスは、左端が三菱MR470(呉羽ボディ)、右端が三菱MR(三菱ボディ、1963〜64年)。中央に見えるのは日野「ブルーリボン」(金産ボディ)に見えます。
加賀温泉郷の玄関口・加賀温泉駅
撮影時期:1970年代前半
この周辺に散在する温泉へのアクセス駅として、駅名変更を機に駅舎も新築、特急停車駅になったそうです。
北陸鉄道のバスは、三菱MR470(金産ボディ)。地元の金産自工でボディを架装した北陸鉄道ならではの車両です。
発行:TOKOSHA加賀山代温泉・山代温泉通り
撮影時期:1970年代前半
山中温泉ロープウェイ
撮影時期:1950年代(1958〜1961年)
大聖寺川の渓畔に位する山中温泉は、1300年前僧行恭が発見し、一時荒廃したが、鎌倉時代に長谷部信連がここに浴槽を設け、爾後山中の名は年とともに著われ、今にみる一大温泉郷となった。ロープウェイは温泉街の西、水無山に昭和33年末に完成した。ケースに1961年の日付がメモ書きされていますので、それ以前の物。
能登地方(県北部)
柴垣海水浴場
撮影時期:1930年代
1930(昭和5)年に乗合自動車を開業しています。
海水浴場に停車中のバスは、「金澤大型貸切自動車株式会社」と読めます。北陸鉄道の前身の一つです。
高州山登山自動車道路
撮影時期:1960年代
バスは北陸鉄道で、いすゞBA351(川崎車体)。
千里浜海岸
「千里浜」能登
撮影時期:1960年代前半(1962年以前)
千里浜より今浜まで8Kの海岸線は砂の粒子が細かいため天然のドライブコースとして活用されており、波のしぶきを浴びて走る渚ドライブの爽快さは日本唯一のもの。
暑苦しい色に色づけされていますが、前面の塗り分け線から北陸鉄道のバスだと想像できます。三菱のエンブレムがついていますが、スタイルは地元石川県の金沢ボディ。三菱AR470(1960年くらい、金産ボディ)のようです。
黄色いナンバープレートなので、1962年までの撮影。
千里浜渚ドライブウェイ
撮影時期:1960年代後半(1964年以降)
北陸鉄道のバスは日野RB10P(1964〜67年、金産ボディ)のようです。
ナンバーは1269。
千里浜渚ドライブウエー
撮影時期:1960年代後半(1964年以降)
北陸鉄道のバスは三菱MR470(1964〜67年、三菱ボディ)と日野RB10(1964〜67年、三菱ボディ)です。
能登半島 渚ドライブウエー
撮影時期:1960年代後半(1964年以降)
千里浜より今浜まで8粁の海岸線は砂の粒子が細かいため、あたかも舗装した如く天然のドライブウエーとして活用されており、波しぶきを浴びて走る壮快さは日本唯一のものである。
北日本観光自動車のバスは日野RB10P(1964年、金産ボディ)で、この時期ではデラックスな冷房車。
ナンバーは1191。
隣りを走る赤い乗用車はトヨタパブリカ。
千里浜渚ドライブウエー
撮影時期:1960年代後半(1967年以降)
バスは日野RC(金産ボディ)のようです。
中央を行くのがホンダN360(1967年〜)なので、これの撮影も1967年以降です。
能登半島 千里浜なぎさドライブウェイ
撮影時期:1970年代(1975〜79年)
おもて側に「毎月23日はふみの日です」と書いてあるので、郵政省によりふみの日が制定された1975年から、それが7月23日になった1979年までの発行。
京福電気鉄道のグループ会社、大野交通の観光バスで、三菱B905N(1971年、呉羽ボディ)だと思われます(注1)。ナンバーは184、側面の愛称は「くぬぎ」と読めます。
千里浜 渚ドライブウェー
撮影時期:1970年代(1973年以降)
羽咋市、千里浜と押水町今浜を結ぶ約8kmの海岸ドライブウェーで、波打ち際すれすれにつっ走るスリルは浮世の苦悩をふっ飛ばすだろう。
加越能鉄道の観光バスは日産デイーゼルRA50P(1973〜75年、富士重工ボディ)のようです。
千里浜渚ドライブウェイ
撮影時期:1970年代(1976年以降)
北陸鉄道の観光バスは先頭2両が三菱MS5系列(1976年〜、三菱ボディ)、その後ろは三菱B9系列です。
作成:HYOGENSHA CO., LTD. KYOTO千里浜レストハウス
撮影時期:1980年代(1982年以降)
後ろ姿が見えるのは、名古屋近鉄バスの日野RS(1978〜82年、日野ボディ)です。その隣に三菱エアロバス(1982年〜)が写っていますので1982年以降の撮影だと分かります。
作成:HYOGENSHA CO., LTD. KYOTO