夜明けに見た夢・・・岩手県交通のスペシャルな展開
若気の至り・・・といいますか、実社会を見ていて、「自分だったらこうするのに」と思うことはよくあります。 実際は、色々な大人の事情があったり、もちろん台所事情もあったり、外野が思うようにはいかないのですが。そんな当時、自分なりに夢見ていたのは「前後ドア」でした。個人的に、前後ドアのほうが、前中ドアよりかっこよく見えていました。短距離輸送にも長距離輸送にも使える座席配置が可能だったり、乗車客と降車客が車内で輻輳することがなかったり、いいところがたくさんある、と思っていました。
当時、八戸市交通部やJRバス関東、西日本JRバス、立川バス、さらには同じ国際興業系列の山梨交通など、前後ドアに切り替える事業者が何社も見られたのも事実です。
盛岡市内線の大型路線バス
岩手県交通 いすゞP-LV314L(1985〜88年式)
盛岡市内の各営業所に華々しく登場した前後ドアの新車です。標準尺で一人掛けシート主体の都市型仕様というところは、従来の車両を踏襲していますが、側面の方向幕は大型になり、冷房装置も付きました。
今後、数年計画で、盛岡市内線に順次増備される計画です。
・・・というのはもちろん妄想で、岩手県交通に前後ドアの新車が導入されることはありませんでした。
前ドア車の改造車
岩手県交通 いすゞK-CLA500(1980年式)
1980年に13両が新製されて県交通の各営業所に分散配置されていた前ドア路線車が、後ろドアを増設の上、盛岡市内線に集中的に移動して来ました。
ドア増設のほか、前と横の大型方向幕取り付けが行われ、座席はハイバックシートのまま片側を一人掛けにして車内の流動性を確保、また冷房も増設されました。
側面には、中ドアがある車両では付けられない横長の広告もついています。(この広告は、滝沢営業所の実物の前ドア車から移植しました)
改造前の様子です。
エアサス、ハイバックシートという仕様で、中距離路線を中心に、貸切兼用車としても重宝されていました。もっとも、冷房はついていませんでした。
観光バスタイプの中古が導入される中で、非冷房は見劣りするようになり、ならば改造して市内線用に・・・などと夢見たわけです。
岩手県交通 いすゞBU20KP(1973年式)
1983〜84年にかけて、国際興業から20両ほどを譲受した観光タイプの前ドア車は、特急バスや中距離路線に使用されていましたが、1987年に後ろドアを増設し、盛岡市内線用に転用されました。
ドア増設と同時に、側面に大型方向幕を設置、車内はハイバックシートのまま、一部を1人掛けにしています。
これらは、巣子車庫に集中投入されました。恐らく、並行する岩手県北バスの車両レベルに対抗する意味があったのだと思います。
改造前の様子です。
国際興業では貸切バスとして使用されていましたが、岩手県交通では、特急バス、空港バス、中距離バス、貸切バスなど、様々な用途で、県内全エリアに配置されていました。
中距離用の大型路線バス
岩手県交通 いすゞP-LV218L(1987〜88年式)
県南部や沿岸部には、前ドア車K-CLA500の後継と思われるロマンスシートの前後ドア車が配置されました。高出力、冷房付で、中尊寺や猊鼻渓、釜石大観音、碁石海岸など、県外からの観光客が乗る路線に優先的に投入されました。
夜行高速バス盛岡−東京線スーパーハイデッカー
岩手県交通 いすゞP-LV719R(1988年式)
1988年に運行開始が計画されていた夜行高速バス盛岡−東京線には、最新のいすゞスーパークルーザーが投入され、そのカラーデザインには、一旦姿を消した高速バスの新カラーが奇跡の復活を果たす・・・。
車両そのものはともかく、カラーデザインの夢がかなうことはありませんでした。
