あの夏の日、夢に見たこと。

夢現(うつ)つ・・・島原鉄道 VS 岩手県北バス

対決シリーズということになれば、“西の島原鉄道”と“北の岩手県北バス”との対決も避けては通れません。
遠く離れた場所にありながら、両社のカラーデザインはそっくりなのです。カラーデザインだけではありません。前ドアでメトロ窓のデラックスな日野のバスが走っているという点まで共通しているのです。
そんな島鉄バスも、見に行きたいと思いながら、実現しませんでした。
(このページに掲載のバスは、すべて実在する車両です)

金産ボディ対決
島原鉄道 日野RC300P(1968年式)
島原鉄道

参考:日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」P.468

岩手県北自動車 日野RC300P
岩手県北バス

片や雲仙登山の観光路線を持つ島原鉄道、片や八幡平の観光路線を持つ岩手県北バス。ロケーションが似ているため、車両の仕様も高出力のデラックス車両という共通性があります。
それだけでなく、帝国ボディと金産ボディを揃えるところまでそっくり。この2台は、数ある金産ボディの中から、窓配置の似ている2台を並べてみました。島鉄バスの方は、この年式で既にサブエンジン冷房付です。
○島原鉄道の勝ち(冷房がついているから)●

異種ボディメーカー対決
島原鉄道 日野RC300P(1970年式)
島原鉄道

参考:日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」P.477

岩手県北自動車 日野RE100P(1969年式)
岩手県北バス

日野のシャーシとの組み合わせの王道は帝国ボディと金産ボディですが、ほかのバリエーションも存在します。島鉄バスでは、九州ならではの西日本車体で架装した日野車も多く見られました。岩手県北バスでは、一部に川崎ボディや富士重工が見られたようです。
○島原鉄道の勝ち(西工の方が独特)●

汎用路線バス対決
島原鉄道 日野RE100P(1976年式)
島原鉄道

参考:日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」P.890

岩手県北自動車 日野RE100P(1976年式)
岩手県北バス

山に登らない前提の標準出力車両も存在します。そんな車両でも、エアサスでメトロ窓、そしてハイバックシートをつけてしまうというところまで、この両社はそっくりです。
島鉄バスの方が冷房付なのは、九州と東北の気象環境の違いですが、それ以外は全く違いのない車両です。
□引き分け(違いが見つからない)■

路線バス用観光タイプ対決
島原鉄道 日野K-RC301P(1980年式)
島原鉄道

参考:日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」P.559

岩手県北自動車 日野RV731P(1979年式)
岩手県北バス

観光バスタイプのボディスタイルを持ちながら、乗合用途で新造された車両。
島原鉄道では、雲仙方面への観光路線に使用するため、路線バス用の高出力シャーシで、継続的に増備が続きます。
岩手県北バスでは、盛岡と宮古を結ぶ「106急行」用に観光シャーシの車両を投入。幅広ドアや車体下トランク、車内テレビなど、充実した装備を持っています。
○岩手県北バスの勝ち(装備が充実しているから)●

汎用路線バス対決(Vol.2)
島原鉄道 日野K-RE101P(1981年式)
島原鉄道

参考:日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」P.543

岩手県北自動車 日野K-RE101P(1981年式)
岩手県北バス

5年後の汎用路線バスです。同じ仕様で増備を続ける島鉄バスに対し、岩手県北バスは、メトロ窓からサッシ窓に変りました。その代わり、ドアが広幅になり、一般路線での乗降性を向上しています。
引き続きサブエンジン冷房を続ける島鉄バスはこの年、早くも路線バスの冷房化100%を達成しています。
一方の岩手県北バスは、この年から路線バスに直結冷房を採用しています。
○島原鉄道の勝ち(メトロ窓を続けているから)●

スケルトン貸切バス対決
島原鉄道 日野P-RU606AA(1985年式)
島原鉄道

岩手県北自動車 日野P-RU607AA(1985年式)
岩手県北バス

1982年から、新発売のスケルトン構造の貸切バスを両社とも導入します。車格はミドルデッカー。出力は低い方で300PS。長さは両社で異なり、島鉄バスは11m、岩手県北バスは11.5mです。 
なお、島鉄バスは、スケルトンバスの導入と同時に、カラーデザインを日野のカタログカラーに一新し、三本ラインのデザインから離脱しました。
○岩手県北バスの勝ち(ちょっと長いから)●

中型路線バス対決
島原鉄道 日野P-RR172BA(1986年式)
島原鉄道

岩手県北自動車 日野P-RR172BA(1984年式)
岩手県北バス

中型路線バスは1981年からスケルトンバスとなり、岩手県北バスは1983年から、島鉄バスは1985年から導入を開始したもよう。
島鉄バスは、同時に日野レインボーのカタログカラーを採用し、路線バスも3本ラインから離脱してしまいました。
○岩手県北バスの勝ち(側面方向幕があり、3本ラインを堅持している)●

(番外)21世紀対決
島原鉄道 日野PDG-KR234J2(2008年式)
島原鉄道

岩手県北自動車 日野PDG-KR234J2(2011年式)
岩手県北バス

1980年代に早々と三本ラインのデザインから離脱し、岩手県北バスとは異なる道を歩み始めた島原鉄道でしたが、21世紀に入り、なんと再び三本ライン(島原鉄道では「スリーレッドライン」と称する)が復活したのです。
引き続き日野のヘビーユーザーの両社では、今でも、遠く離れた地で、ほぼ同じスタイルのバスを走らせています。


○記載した勝敗については、すべて個人の感想です。●
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80s岩手県のバス“その頃”