なんちゃって中央バスカラー
今回のお題
| 岩22か1593・1594・1598・1600・1601 | 
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
 
撮影:盛岡市内丸(1984.6.7)
この車両は、一目で元神奈川中央交通だと分かる。なので、今回のお題は前歴ではなく、この色の謎なのだ。
これは岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスのカラーだが、上半分は、神奈川中央交通カラーのままで、下半分を塗り替えて岩手中央バスカラーにしている。雨樋部分に細い赤線が見えるのが、元神奈中カラーの痕跡。
なので、最初は、岩手中央バスが神奈川中央交通から譲受した車両だと思っていた。
共演する車両たちを色々見ていると
県交通カラーの車両も存在した
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
 
撮影:滝沢営業所(1986.4.16)
同じ神奈川中央交通からの譲受車で、岩手県交通カラーに塗り替えられている車両も存在した。
こっちは岩手県交通になってから譲受したから、ちゃんと塗り替えたんだろうなあ、ということは誰が見ても分かる。
本当の岩手中央バスカラー
岩手県交通 いすゞBU10(1976年)
 
撮影:雫石営業所(1985.9.23)
一方、オリジナルの岩手中央バスカラーがこちら。
1976年の岩手県交通成立直前まで、このカラーが用いられていた。そのため“その頃”にも1970〜76年製の車両がまだこのカラーで多数活躍していた。
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
 
撮影:盛岡市館坂橋(1985.2.5)
中央バス時代の譲受車としか見えないのだが
しかし、よく考えてみると、お題の車両は1971年製で、岩手中央バスが存在した1976年までに譲渡されたとすると、5年しか使わずに手放したことになる。
資本関係のある国際興業ならまだしも、神奈川中央交通が資本関係のない岩手中央バスに、わざわざ若年式の車両を譲渡する理由は思いつかない。
こんな色のバスもいた
花巻バスにいた元神奈川中央交通
岩手県交通 日野RB10
 
撮影:花巻営業所(1986.5.5)
塗装の流用では、ほかにも気になる車両がある。
岩手県交通の前身会社のもう一つ、花巻バスでも、神奈川中央交通からの譲受車があり、帯の色を塗り替えただけで花巻バスカラーに似せて使用していたらしい。裾の波形が残る分、こちらの方が神奈中っぽい。
神奈川中央交通のカラーというのは、流用しやすいデザインなのだろうか。
元国際興業
岩手県交通 いすゞBU10(1966年)
 
撮影:盛岡駅(1984.5.25)
岩手中央バスでは、1970年に国際興業グループになった後、国際興業からの譲受車を塗り替えずに使用していた時期があった。この流れは岩手県交通成立後も盛岡エリアでは継続している。写真は1978年の登録車両で、国際興業カラーでの就役車としては最終グループの1両。
大きなバスの塗り替え費用は馬鹿にならない。1両数十万円として、10両入れれば数百万円。利の薄い路線バス事業の利益は簡単に吹っ飛んでしまう。
直接旅客サービスとは関係ない外部カラーの流用は、ある意味合理的な判断かも知れない。
社名シールの謎
 岩手中央バスから岩手県交通への社名変更を経験している車両の特徴がこれだ。
岩手中央バスから岩手県交通への社名変更を経験している車両の特徴がこれだ。
まず、岩手中央バスのオリジナル車の社名部分を拡大してみる。
1971年式のBA30の例で、1976年に岩手県交通に社名を変える際、元の社名の上に白地のシールを貼った。最後の1文字が余るので、無地のシールも用意されていた。
 そしてこれが、神奈中からの譲受車岩22か1600の社名表示。
そしてこれが、神奈中からの譲受車岩22か1600の社名表示。
やはり社名は白いシールを貼っている。
岩手県交通になってからの譲受車であれば、このシールを貼る必要はないはずだ。もっとも、最後の1文字分を消した形跡は見当たらない。
 同じく神奈中からの譲受車岩22か1594の社名表示。
同じく神奈中からの譲受車岩22か1594の社名表示。
1文字目の「岩」だけが白地のシールになっている。ただし、続く文字もよく見ると、青のトーンが異なる四角の枠が見える。何らかの修正を加えたような痕跡が見て取れる。
 同じく神奈中からの譲受車岩22か1601の社名表示。
同じく神奈中からの譲受車岩22か1601の社名表示。
最初から岩手県交通なのだったら、このようにきれいに文字だけ書けばいいわけなのだが。
やっぱりすべての基準は登録番号
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年)
 
撮影:53様(滝沢営業所 1984.8.5)
いろいろ悩んでみても、やはり岩手ナンバーで登録した時期が、すべてを語る。
岩手中央バスカラーの車両は岩22か1600前後なので1981年前半の登録、同形車の岩手県交通カラーは岩22か1640以降なので1981年後半の登録。時期的にはそう隔たりはないのだ。当然、岩手県交通になった後のこと。
まだまだ岩手中央バスカラーがたくさんいた時代
 
撮影:板橋不二男様(河南営業所 1981)
この写真は、ちょうどお題の車両が岩手県交通に譲渡されて来たころの河南営業所。まだまだ岩手中央バスカラーがたくさん残っている。
この状態であれば、200両を超える盛岡市内線に、5両くらい岩手中央バスカラーが増えたとしても、誰も気づくまい。
 
撮影:板橋不二男様(河南営業所 1982.12)
その翌年の河南営業所。それでもまだ岩手中央バスカラーは目立つ存在だ。
ちょうど、岩手県交通カラーに塗り替えられて就役した元神奈中が、さりげなく混じっている。
結論
多分、まだ岩手中央バスカラーがたくさん走っている1981年、神奈中カラーを下半分だけ塗りかえれば経済的だと気付いたアイデアマン(あるいは花巻バスでの経験者)が、このような車両を誕生させたのだろう。
社名シールの謎はどうするか・・・。これも、多分
「その色のバスにつけるシールあるから、これ使ってけろ」
の一言が、意図せず担当者を動かしたのに違いない。
 
     

