富士急行だった。
今回のお題
| 岩22か916・917・1004・1005・1015 |
岩手県交通 いすゞBU20KP(1971年)
撮影:盛岡市内丸(1984.8.20)
この車両は、川崎ボディの観光型で、当時、雫石営業所に4両があり、中距離路線に使用されていた。もう1両は河南営業所に配置され、やはり雫石スキー場線をはじめ中距離路線に使われていたようだ。
取り立てて特徴があるわけではなく、自社発注車と言っても通じる車両だ。
しかし、登録番号から読み解くと、1977年頃に岩手県交通に来ている。
観光タイプの前歴探求は難しい
岩手県交通 いすゞBU20KP(1971年)
撮影:盛岡駅(1986.5.18)
観光タイプというのは、路線タイプに比べると、前歴の探求は困難だ。それは、ドアや窓の位置、形状にバリエーションが少なく、方向幕もついていないため、事業者による相違点が少ないからである。また、そもそも観光バスの写真を撮る人自体が少なく、探求の材料とすべき写真が入手できない、というのも大きな理由だろう。
一応この一群は、バンパーがオバQバスのつけている大型バンパーなのが特徴といえば特徴だった。
なお、この写真の岩22か1015だけは、前照灯が日野のものに交換されているという特徴がある個体だった。
元デザインは2種類あった
過激派と間違えられたの所でも書いた通り、古い塗り分け線を透視する方法として、陽のあたる側面を斜めから目を凝らして僅かな塗装の段差を発見するという手段がある。実は、これらのバスに対しても、それをやってみたことがある。確か細かいストライプが見えたことがあった。でも、国際興業ではない。そして、別の車両ではまた異なる斜めラインが見えたので、元デザインを特定できなかったのだ。
後になって分かったことだが、登録ナンバーの早い岩22か916・917と登録の遅い岩22か1004以降とでは、前所有者が異なっていた。そのため、前塗装も違っていたわけだが、この時はそれには気づかなかった。
しかしこいつもあっさり解決してしまった
そんなある日、理由は忘れてしまったが、私はこのバスに乗って雫石方面に向かっていた。春が近づいていて、心も温かかった記憶がある。少なくとも、乗っていた女子高生が「さむ!」とか「チョー寒いんですけど」とかは言っていなかった。
私は一番前の席に座って、前面眺望を楽しんでいたのだが、その時ふと上を見上げて、目に入ってきたものがあった。それが「富士急行株式会社」と書かれたプレートだった。恐らく、前所有者が車内に貼っていた会社名表示を、そのままにしていたのだろう。
「そうか。富士急行か」
疑問はあっさり解決してしまった。
塗り分けの異なる2両は大富士開発
古い塗り分けを透視しようとしていた時に見えた細かい線は、富士急行のグリーンラインだったのだ。
ただし、岩22か916・917の2両は、違う塗り分けだった。これについては、クラリオンのバスボディグラフィックスの観光編を持っていたので、そこから見つけることができた。富士急行の関連会社の大富士開発だった。
クラリオン(1982)「バスボディーグラフィックス」
21世紀になって
富士急で長く使われた同僚もいたらしい
富士急行 いすゞBU20KP
撮影:53様(横浜市 1983)
このサイトを始めてからだいぶ経った頃、53様より、同形車の写真を頂いた。車内の座席やオバQと同じ大型バンパーなど、岩手県交通に来た車両と同じ特徴を有している。
ただし、この車両は富士急行で一生を終えたようで、1983年に横浜市の廃車ヤードに置かれている。このスタイルは、新しくても1972年式なので、10年くらい使って妥当な廃車時期だろう。しかし、それでは逆に、岩手に来た車両は、6年くらいしか使わずに廃車になっており、その違いは何なのだろうか。
また、板橋不二男様から頂いた車両一覧表を見ると、私が大富士開発出身だと推察した2両は、岳南鉄道だと書かれている。両方とも富士急グループの会社なので、何らかの車両のやり取りがグループ間であったのかも知れないが、基本となるカラーデザインは両社で全く異なる。その辺は、今になっては解決できない。
岩手県南バスには元富士急行が多かった



富士急行から岩手県南バスへの譲渡車が、実は継続的に入っていたらしいことも、段々分かってきた。
昔の富士急行が発行した「富士山遊覧」とか「富士登山」とかのパンフレットに掲載されていた写真と、岩手県に来てからの板橋不二男さん撮影の画像とを対比的に並べてみた。富士急行で、中央高速バスをはじめ看板車両として使われていた車両を、岩手県南バスは譲受していたようだ。
こいつも大船渡に集中配置された
撮影:板橋不二男様(小友 1978)
これは、まだ譲受したての頃、大船渡から盛岡に向かう急行バスに使用中。途中の遠野市の小友でトイレ休憩の停車をしている。
岩手県南バスが好んで購入していた富士急行だけあって、岩手県交通成立後も、県南バスエリアの大船渡に配置され、急行バスに使われていたらしい。当初はまだ、旧3社の見えないエリアが存在していたのだろう。
