続にっぽん奇行


「紀行文を書いてよ」と頼まれた気がして、2020年3月から半年ほどかけて連載した「にっぽん奇行」が完結して1年が経ちました。相変わらずこの国では、外出を自粛しながら静かに過ごす日々が続いています。
そこで、1回限りのはずだった「にっぽん奇行」の続編を書きながら、全世界の人々が心配なく暮らせる日々を待ちたいと思います。

(最終回)「旅」のおわり


飛行機が羽田空港に着陸し、到着ゲートまでゴロゴロと走って停止する。シートベルト着用サインが消えるや否や、みんな一斉に立ち上がり、荷物棚から荷物を降ろし、狭い通路にぎっちりと列をつくる。みんな何をそんなに急いでいるんだ?
窓の外では、ボーディングブリッジがノロノロと機体に向けて動き始めたところだ。しばらくして機体に密着し、ドアの中と外から安全を確認し、ドアを開けた後も、中と外の係員が笑顔を交わし、指などを立てたりしてから、乗客はようやく降りることを許される。ここまで約3分。
びっちり並んだ通路の列は、ようやく前の方から動き始めた。私はここでゆっくり立ち上がり、列への合流を試みる。しかし、中年オヤジが精一杯腹を突き出して、列に入れまいとする。そういう時には無理に入らない。空けてくれた人のところで、軽く会釈をして列に入り、ゆるゆると出口に向かう。
出口のところで笑顔で見送る客室乗務員の前を通るのは、列の先頭でドアが開くのを間抜けに待っていた人と、10数秒と違わない。
にっぽん奇行 ボーディングブリッジに最初の一歩を踏み出すと、ここからが本当の勝負の始まりだ。
ブリッジ内には、大きなスーツケースをぎこちなく引っ張る女性や、横に並んで後ろからの客をバリアする親子連れなどが私の進行を邪魔しているが、それにひるむことなく、狭いすき間を縫って先へ進む。
駐機場を望む窓に沿って伸びる通路には、すでに多くの客が歩き始めている。そのうちの何名かは、トイレへと、或いは携帯電話の着信を確認するために、レースから離脱してゆく。私は、断続的に続く「動く歩道」と歩行通路とを適宜に選択しながら先へ進む。動く歩道には、そこだけ歩調を緩める人や、左右に並ぶ癖のある人がいる。私の少し先を同じ速度で進んでいた意識高い系ビジネスマンが、太った女子会の二人連れにブロックされ、先に進めないでいる。逸早くそれを察知した私は、その区間だけは動く歩道を避けて進み、彼より先行するのだ。
前方に出口を示す誘導看板が見えてきて、直角に右折する先は死角になっている。しかし、そこにあるエスカレーターは短く、ここは階段を使ったほうが早い。エスカレーターを選択してしまった出張3人組をここでごぼう抜き、その先の右折はインから攻めて2人を抜き去る。その次は動く歩道の距離が長いから、そちらを選択。通路を選んでしまった間の悪いカッターシャツを1人抜く。
手荷物受取所のサインが見えてきたあたりで、先頭集団に肉薄する。トップを行くのは紫色のリュックを背負った小柄な背広姿だ。運よく、5番手がトイレに離脱、4番手は手荷物受取所に離脱、3番手を抜き去り、2番手の関西系サラリーマンの後ろに迫る。真後ろに付けた直後、左側から抜き去る素振りを見せた途端、その関西系サラリーマンも左に動いた。すかさずこちらは右に動き、右から抜きに入るが、関西系サラリーマンも足を速める。難敵だ。出口の扉を出たのは、鼻の差であちらの方が早かったかも知れない。3位か・・・。
トップはそのまま1位で逃げ切った紫色のリュックだった。
いや、まだ勝負は終わっていない。
そのまま下りエスカレーターで地下に降り、モノレールの改札をSuicaタッチでクリアし、ちょうど発車直前の空港快速にすべり込む。運がいい。空き席に腰を下ろしたあたりでドアが閉まる。私の直後を追っていた連中は、このモノレールには乗れていない。
にっぽん奇行 空港快速は、第一ターミナル、第三ターミナルと停車した後はノンストップで、20分後には浜松町駅に着いている。3号車から降りると、目の前が下り階段。ここは新しくできたJR乗換改札に続いている。
JRホームには、待つほどもなく京浜東北線の快速が到着。新橋にも止まらず、次は東京だ。
結果、羽田空港を出て25分後には東京駅に着いている。同じ飛行機から降りた中では、最も遠くまで逃げ切った。
トップで空港出口をクリアした紫色リュックは、振り向きざま間抜けな顔をしていたから、多分京急のエアポート急行で横浜方面に行ってしまい、今頃途方に暮れている頃だ。機内で私を列に入れなかった腹の出た中年は、木更津行きの空港バスに目の前で発車され、今頃空港内に戻ってセンスのないバッグでも買わされている頃だろう。
最後までゆっくり座席に座っていても、結果的に勝負に勝って、この旅は終わるのだ。
(画像はほぼイメージで、本文とは関係ないものがほとんどです)

(おわり)


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