続にっぽん奇行


「紀行文を書いてよ」と頼まれた気がして、2020年3月から半年ほどかけて連載した「にっぽん奇行」が完結して1年が経ちました。相変わらずこの国では、外出を自粛しながら静かに過ごす日々が続いています。
そこで、1回限りのはずだった「にっぽん奇行」の続編を書きながら、全世界の人々が心配なく暮らせる日々を待ちたいと思います。

(第10回)車掌車に乗って日本一周


子供の頃、貨物列車の一番後ろに連結されている車掌車に乗って、一人だけで旅が出来たらどんなに楽しいだろうと思った。
かつて貨物列車にも車掌が必要で、そのためだけに車掌車というものが存在した。車掌車には、椅子と机があって、石油ストーブもついていて、新しい車両にはトイレもついていた。短い車両の前後はデッキになっていて、爽やかな風を受けながら、流れゆく景色を眺めることが出来そうだった。
にっぽん奇行 もしそれが実現したら、行き先はどこでもよかった。国鉄の線路がつながっているところならどこでも行ける。だから、貨物列車が行く先に、ただ自然に連れて行ってもらえばいいだけだ。車窓から、すれ違う列車や並走する列車を眺めているだけで楽しい。スケッチブックを持って行って、初めて見た電車の絵を車掌車の机に向かって次々と仕上げて行くのだ。
貨物列車は、大きな駅で長時間停車することがある。隣りのホームには、普通列車が、急行列車が、特急列車が、あるいは反対方向に向かう貨物列車が、次々とやってくる。だから、熊本駅でも熊本城には行かないし、浜松駅でもうなぎなど食べには行かない。ホームに降りることなく、椅子に掛けたまま通り過ぎる列車を眺めているだけで充分楽しい。(小学生の感想です)
紀勢本線で初めての紀伊半島を走るときには、ボンネット型ディーゼル特急の「くろしお」と初めてすれ違う。山陰本線で日本海を眺めながら、箱型ディーゼル機関車のDD54と初めて出会う。関門トンネル目前の下関では、普通列車の主力として行き交う80系電車を堪能する。
当時の貨物列車は、今のようにコンテナ車とタンク車だけで綺麗に編成されているのではなく、様々な有蓋車、無蓋車、ホッパー車などを不規則に連結していた。野菜を運ぶ通風車を連結していたら、小海線の高原の駅で新鮮な高原野菜を積み込むだろう。牛や豚を運ぶ家畜車を連結していたら、牛舎や豚舎が建ち並ぶ東北地方の小駅で、駅前を出入する田舎のバスを眺めたりしながら、小さな商店でおやつを買って、子牛を積み終わるのを待つのだ。(小学生の感想です)
にっぽん奇行 もっとも、後になって聞いた話だと、車掌車の居住性というのは、さんざんなものだったらしい。
二軸の板バネだから、乗り心地はすこぶる悪い。物を運ぶ貨車と同じ構造だから当然だ。車内には机があって事務作業ができるようになっていたが、ここで絵日記や作文を書いたりできたかというと怪しい。
また、冷房はないし、車体が真っ黒なので夏は暑い。冬は石油ストーブがあるが、建付けの悪いドアや窓からは、隙間風が入り放題だ。
まあ思い返せば、当時は学校の教室もそんなものだったし、半ズボンにランニングシャツ1枚の小学生なら、勉強部屋より快適な空間だったかも知れない。
そんな車掌車も、1980年代の国鉄改革の中で姿を消した。人を運ぶわけでもない貨物列車に、一人の車掌を勤務させる無駄に、ようやく気付いたからだろう。
余剰した車掌車は、物置や勉強部屋に使える便利な箱として売り出されたが、そんな時こそ「個室寝台付き放浪列車」に仕立てれば、俺たちは喜んで乗るのになどと、懲りない高校生の私は妄想を続けていた。
(画像はほぼイメージで、本文とは関係ないものがほとんどです)

(つづく)


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80s岩手県のバス“その頃”