「紀行文を書いてよ」と頼まれた気がして、2020年3月から半年ほどかけて連載した「にっぽん奇行」が完結して1年が経ちました。相変わらずこの国では、外出を自粛しながら静かに過ごす日々が続いています。
そこで、1回限りのはずだった「にっぽん奇行」の続編を書きながら、全世界の人々が心配なく暮らせる日々を待ちたいと思います。
(第5回)親分さんの男の結末
2000年代初めの頃、まだ事前決済の仕組みはなかったし、指定券券売機もなかったから、長距離きっぷを買うときは、窓口に並ぶ必要があった。
JR名古屋駅は、東海道新幹線の主要駅だけあって、窓口が10個以上ある大きなきっぷ売場だった。ただ、行列は一つに絞られていて、列を崩さないように、鎖で仕切りがしてあって、とぐろを巻くように列に並んで待っていた。

不意に着信メロディが響き、その親分がポケットから携帯電話を取り出した。
「あーもしもし、俺だ」
親分は、右手で携帯電話を持ち、左手をズボンのポケットに入れ、足は体の幅より少し広いくらいに開くという絵に描いたようなポーズで通話を始めた。
「え? なに? 俺か。俺は今・・・『JR全線きっぷうりば』という所にいる」
親分はあたりを見回しながら、カウンターの上に掲げられた白い大きな看板の文字を読んだ。
「え? なに? オマエもそこにいるのか」
親分はちょっと声のトーンを変えた。どうやら、子分がこのきっぷ売り場のどこかにいるらしい。列に並んでいる一般市民の我々は、目立たないように眼だけを動かしながら、その子分がどこにいるのかを探し始めた。
親分自身も、携帯電話を耳に当てたまま、キョロキョロと周囲を見回し始めた。
本人より少し先に、私は痩せて頼りなさそうな坊主頭の子分を見つけることができた。子分は、一番左端のカウンターに直接並んでいた。
「おお、そこにいるのか」
親分もまもなく子分の姿を見つけることができた。
「こっちに来てください。こっちだと早く終わります」
子分がそう言いながら、手招きのような仕草をした。
我々一般市民は、できるだけ素知らぬふりをしながら、親分の一挙手一投足を見守った。
「男を上げる」という言葉がある。やくざの親分といえども、世の中のルールを守って生きているなら、それは立派なことだ。ここで親分が、「馬鹿野郎! 堅気の皆さんの前で、みっともない真似するんじゃねえ。こっちに来やがれ!」と怒鳴りつけたとしたら、我々一般市民は心の中で大きな拍手喝さいを送るだろう。

「おお、そうか。分かった」
と答えると、携帯をしまい、太い脚で鎖をまたぎまたぎ、子分の並ぶ窓口の方へ行ってしまった。そして、一番左の窓口のところで、貧相な子分とともに、ちょこんと場違いな列を作って並んだ。
我々一般市民は、心の中で大きなため息をついた。
やくざなんだから、世間のルールに従わないのは、それはそれで生きザマかも知れない。しかし親分は、さっきまでちゃんとルールを守って列に並んでいたではないか。あんたの生きザマはどっちなんだ。あんたはこの名古屋の地で、大きく「男を下げた」ことに間違いはない。
一番左の窓口できっぷを買っている女の人は、色々と質問したり迷ったりしているらしく、なかなか終わらない。その間にも他の窓口は次々に人が入れ替わり、行列は順調に進んでゆく。ちょうど私の5人くらい前の人が窓口に到達するころ、親分と子分の並んだ窓口があいたようだった。
(画像はほぼイメージで、本文とは関係ないものがほとんどです)
(つづく)