「紀行文を書いてよ」と頼まれた気がして、2020年3月から半年ほどかけて連載した「にっぽん奇行」が完結して1年が経ちました。相変わらずこの国では、外出を自粛しながら静かに過ごす日々が続いています。
そこで、1回限りのはずだった「にっぽん奇行」の続編を書きながら、全世界の人々が心配なく暮らせる日々を待ちたいと思います。
(第3回)代行バスと結果オーライ
ニュースなどで、災害のために列車が打ち切りになり、駅で呆然としている人を見ることがある。自宅からはるか離れた知らない土地で、足止めを食った時の焦燥感は想像に難くない。
天気が荒れそうなときは、家にいるに限る。
しかし、災害なんていつ起きるか分からない。記憶を辿っていったら、高校時代の旅行中に、列車が部分運休したことを思い出した。山陽本線の下り列車に乗っていて、倉敷駅あたりで打ち切りとなった。

代行バスを運転しているというので、駅前広場に出て行くと、そこには長蛇の列ができていた。
勤め帰りの人たちが集中する時間帯だ。そして、代行バスは既にある程度の台数が出発してしまったようで、次の便がなかなかやってこない。私は列の最後尾に並んだ。
行列の最後尾には、若い係員が立っていた。何とはなしに雑談をしてみたが、バスとの連絡はつかないようで、行列に向けての案内はできないでいる。
「駅の情報も入らないんですよ」
だいぶ時間が経った頃、若い係員が愚痴をこぼすように言った。そこで私は彼に向かって、
「列車の情報を聞いてきましょうか」
と提案してみた。係員は、ちょっと明るい表情になった。
「行ってくれますか?」
そこで、はつらつとした若者(=私)は小走りに駅舎の方に向かって走って行く。人の役に立てるなら有難い。
駅舎への階段を上がり、改札口に向かうと、運がいいことに、ちょうど掲示板に「運行再開予定」の文字が書かれるところだった。
これはいいニュースだ。
私は軽快な足取りで、再びバスロータリーに向かって走って行った。

ちょっと狐につままれた感じで、私はバスのりばに向かう歩調を緩めた。
向こうの信号の先を、何台かのバスが出て行くのが見えた。列の最後尾にいた係員の姿も消えていた。代行バスに乗って行ってしまったのだろうか。
とぼとぼと駅に戻ると、私は運行再開した列車に一人で乗り込んだ。当然ガラガラだった。乗るはずの人々は、代行バスに乗ってしまったのだから。
列車は、西の空に残る明るさを目指し、倉敷駅を発車した。間もなく空は暮れきって、町は暗闇に閉ざされた。
多分、さっきの代行バスは、まだ市街地で渋滞に巻き込まれているに違いない。
その一方で、私は誰もいない列車でそんな町並みを眺めている。
もしあの時、列車が運行再開していなかったら、私は代行バスにも乗れずに取り残されていたことになる。
正義感に満ちて軽快に走って行った青年(=私)のことを、大人たちは、誰一人として気にしていなかったのだ。
この先自分は、そんな大人たちの生きている社会へと飛び込んで行くのだろうと、武者震いなどを感じながら、瀬戸内の夜空を見つめるのだった。
(画像はほぼイメージで、本文とは関係ないものがほとんどです)
(つづく)