にっぽん奇行


もし「紀行文を書いてよ」と頼まれたら、どんな紀行文を書けばいいんだろうか。実際に頼まれたわけではないのだけれど、ちょっと心配になってしまったので試しに書いてみました。

(第9回)戸袋窓急行

国鉄には周遊券というのがあって、観光地とか県とか広域圏とか、一定のエリアが乗り放題になるので、10代の頃にはよく活用した。本屋で売っている「交通公社時刻表」の巻末のピンク色のページに、周遊券の数々が地図付で掲載されており、次に行く旅行先にはどれが合うのかなどを、値段と相談しながらいろいろ考えるのも楽しかった。
にっぽん奇行 何回か使った周遊券は、「東北ワイド周遊券」とか「信州ワイド周遊券」とか「山口・秋芳洞ミニ周遊券」。青森県に旅行するときは、「東北ワイド周遊券」にするか「青森・十和田湖ミニ周遊券」にするか、金額と旅行エリアとを考えながら、本気で悩んだものだ。
そんな周遊券の特典が、急行列車の自由席に急行券なしで乗れるということだった。昭和50年代までは、まだ各地で急行列車がたくさん走っていて、移動手段としては充分に有効だった。夜行の急行列車というのも各地に存在した。
急行列車の列車名というのは、なぜか旅情を誘うものが多かった。「津軽」「八甲田」「佐渡」「妙高」「天竜」「紀州」「雲仙」「阿蘇」。もっとも、地名は読み方が難しいからか、平仮名書きの列車名も多い。「かいもん」「あしずり」「つがいけ」「くりこま」。この辺まではいいが、平仮名にするとよく分からない列車名も見られる。「くずりゅう」食べ物かと思った。「くろよん」カエルのキャラクターかと思った。「あぶくま」口から泡が出そう。「ながら」食べながらテレビを見ちゃいけない。
そんな急行列車というのは、車両設備も全国的にほぼ統一されていた。出入台と客室が完全に仕切られていて、客室には固定式の向かい合わせ座席が整然と並んでいた。
その客室の中で、一方の端っこには、向かい合わせにならず2人掛けの座席だけの一角があった。ここは、ドアの戸袋窓の部分で、窓の幅が半個分なので、座席が1脚しか置けないスペースだったのだ。ちょっとしたプライベート空間なので、好んで使った。特に、食事時間には重宝した。
にっぽん奇行 但し、戸袋なので、窓は開かないし、その上、二重窓になっているので、外の景色も見づらかった。戸袋の内部はホコリにまみれていたり、無造作に銀色の塗料で塗り潰されていたりして、物を食いながら眺める景色でもなかった。
大体この場所で食べるのは、菓子パンとか稲荷寿司とかで、組み合わせの飲み物は自動販売機で買った缶コーヒーだった。
ある東北旅行の時は、この席でホットケーキを食べていた。なぜホットケーキなのかというと、この時は出発前に家にある材料で、大量のホットケーキを作り、数日分の「お弁当」として鞄に入れてきたのだ。菓子パン代も稲荷寿司代もこれで浮くという寸法だった。朝昼晩、3食ともホットケーキに缶コーヒーだった。
旅行の二日目か三日目くらいだろうか。いつものように、小分けしたビニル袋を開け、ホットケーキを食べ始めたが、周囲におかしな臭いが漂っているのに気付いた。ホットケーキ自身もちょっと糸を引いているようだった。そういえば味もおかしい。口に入れた分だけは、コーヒーで流し込んでみたが、残りの袋の臭いを嗅いでみると、ちょっと気分が悪くなった。お店で売っている菓子パンは、2〜3日鞄に入れていても腐ることはないけど、卵と牛乳とホットケーキミックスで作った手作り品は、消費期限が短いのだと生まれて初めて知ったのだった。次の駅で、残りのビニル袋も含めて、ゴミ箱に全部捨てた。
それ以来、戸袋窓を見ると、なんだか腐ったホットケーキの臭いがするようで、そこで物を食べることはしなくなった。
そもそも、急行列車自体が、みるみる日本全国から減って行って、戸袋窓の座席も姿を消してしまった。
(画像はほぼイメージで、本文とは関係ないものがほとんどです)

(つづく)


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80s岩手県のバス“その頃”