にっぽん奇行


もし「紀行文を書いてよ」と頼まれたら、どんな紀行文を書けばいいんだろうか。実際に頼まれたわけではないのだけれど、ちょっと心配になってしまったので試しに書いてみました。

(第7回)君はこのシステムには合わない人だね

中学を卒業して高校生になる春休み、これまでの同級生と関西を経由して中国地方に行く旅行の計画を立てた。宿泊にお金をかけたくない私の立案は、夜行列車で寝ながら移動するという強行軍だった。
同級生にとっては、それはきつい計画だったのかも知れない。私が別の土地に旅立っている間に、彼の親と私の親が結託し、ユースホステルに泊まるというプランに強引に変えてしまった。ハメられた。夜行列車で連泊するのは体に良くないとか、ユースホステルは安い上に食事もつくので経済的だとか、親からの強い洗脳を受け、夜行列車強行軍は返上せざるを得なくなった。
にっぽん奇行 ところが、その同級生は進学先の高校の都合で、旅行に行けなくなってしまった。やむなく私一人の旅行になり、予約をしていたユースホステルにも一人で泊まることになった。
初めて泊まるユースホステルは、大阪城の近くだったと思う。まだ明るいうちに着いてしまったので、私はその日の一番乗りだった。畳敷きの大広間のような部屋が、その日の宿泊場所だ。私は、大部屋の一番隅に自分の荷物を置き、鞄に詰め込んでいた文庫本などを読みながら時間をつぶしていた。
間もなく二人目の宿泊客がやってきた。簡単なあいさつを交わし、どういう経緯で旅行しているかなどを話し、私は再び文庫本に目を落とし、しばらくの時間が経過した。
彼がポツリと、「君はユースホステルには向いてない人だね」と口にした。
しばらくの間、私は言われた意味がよく理解できなかった。
その雰囲気を察してか、彼は「本なんか読んでないで、いろいろ話をしないと」というような趣旨のことを言った。
初っ端から私はしくじったようだった。一人旅なんだから、自分の時間は自分の持って来た本を読みながら、自分なりに充実した時間を過ごしたい。そういう態度は、ユースホステルに泊まる人(ホステラーというらしい)にはそぐわないのだ。
私は慌てて社交的にふるまった。
その翌日は、広島県の尾道市のユースホステルに泊まった。尾道というのは坂の町で、そのユースホステルも、急な坂道を上がった先にあった。それだけに、瀬戸内海を望む眺めは最高だったし、夜になると美しい夜景となって眼下に広がっていた。
前日の大阪のユースホステルは、和風の旅館のような作りだったが、こちらは洋風の造りだったと記憶している。さらに、夕食後にみんなで集まって、若いオーナーのギターに合わせて歌を歌うという時間があった。ユースホステルではそういう時間があって、それには積極的な参加が必須であるという前知識を得ていたから、特に驚かなかった。それに、前夜に受けた指摘もあるので、可能な限り社交的にふるまった。
にっぽん奇行 オーナー(ペアレントというらしい)が、明日の天気が下り坂だと口にすると、すかさず「マジ?本当に雨降るの?」などと強いリアクションを挟んだりした。鬱陶しいと思うくらいがちょうどいいのだと、自分に言い聞かせた。
朝の目覚めは心地よかった。有線放送なのか何なのか、岸田智史の「君の朝」が流れていた。「モーニングモーニン、君の朝だよ。モーニングモーニン」と岸田智史が廊下の天井の上で歌っていた。ちょうどこの歌が流行っていた頃だ。そんなに好きな歌ではなかったが、旅先の朝に聴くといい歌だった。
朝食もみんなで一斉に食べる。そして一斉に食べ終わり、一斉に食器を片づける。
どうすればいいのかよく分からないから、他の人の後に続いて、同じように食器を片づけてゆく。
「これ、ここに置けばいいんですか?」
隣りにいた女の子が、そう話しかけてきた。
誰に話しかけたのか分からなかったので、特に返事はしなかった。そもそも、私に聞かれたって答えられるわけがない。こっちも人の真似をしてやっているだけなんだから。
すると、彼女はいきなり怒ったような声を出して、「聞いてるんだから答えてください」と言った。
今日もまた怒られてしまった。
(画像はほぼイメージで、本文とは関係ないものがほとんどです)

(つづく)


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80s岩手県のバス“その頃”