白昼夢・・・山梨交通 VS 岩手県交通
初めて岩手県交通を見た時に思ったことは、山梨交通と似ている、ということでした。前身の岩手中央バスが国際興業資本であり、今も国際興業から譲受車が大量に入っているので、国際興業グループの山梨交通との車両の共通性があるのは当然ですが。早いうちに、山梨交通の写真を撮りに行き、似たような車両をアルバムに並べて、「山梨交通VS岩手県交通」とタイトルをつけよう、などと、退屈な授業中に考えたものです。
しかし、山梨交通を見に行く時間はなかなかとれず、これは企画倒れに終わりました。そこで、35年の時を経て、この企画をイラストで再現してみます。
(このページに掲載のバスは、すべて実在する車両です)
短尺ワンマンカー対決
山梨交通 いすゞBA20(1968年式)
岩手県交通 いすゞBA30(1970年式)
1960年代中頃から始まったバスのワンマン化。その初期のワンマンカーには、短尺車が導入されるケースが多かったようです。ツーマン時代にはラッシュバスのような長尺車も登場していたのに、ワンマン化で短尺になったのはなぜでしょう。
運転士一人での取り回しの良さ、大量購入が必要なのでコストの抑制、自家用車普及で輸送量が減るとの予測、などが考えられます。
○山梨交通の勝ち(岩手県交通には側面方向幕がないから)●
大型ワンマンカー対決
山梨交通 いすゞBU05(1971年式)
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)
やはりちゃんとした大型の方がよかったのか、山梨交通ではBU05が主体になります。1970年以降では、テールライトが3連になり、観光バスのようなかっこよさがありました。
岩手県交通でも似たような大型バスが多数走っていましたが、こちらはちょっと長いBU10でした。盛岡市内には、山梨交通と同じ3連テールの車両もありました。これは自社発注車ではなく、北海道中央バスからの譲受車です。
○岩手県交通の勝ち(中ドアをちゃんと使っているから)●
低床試作車BU06対決
山梨交通 いすゞBU06(1972年式)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
いすゞBU06というのは、低床試作車で、前面に大型平面ガラスを採用したり、変なドアを採用したりと、変った車両なのですが、国際興業グループでは、かなり標準的な量産仕様で導入しました。
子供の頃、山梨交通で見たときは、「前は新しいけど、後ろは古いままのバス」くらいの認識でしたが、実は特殊な車両だったのです。
そして、盛岡市内ではこれが大量に走っていました。それもそのはず、国際興業から80両近く譲受しています。盛岡市内では、犬を見ない日はあっても、BU06を見ない日はないというくらい、たくさん走っていました。
○岩手県交通の勝ち(圧倒的な台数が勝因)●
初期型BU04対決
山梨交通 いすゞBU04V(1973年式)
岩手県交通 いすゞBU04DV(1973年式)
本格的な量産低床車として、前面の大きな平面ガラスやサイズを揃えた側面窓など、斬新なボディで登場した川崎ボディのいすゞBU04。
山梨交通にこの車両が入った時は、後面の大きな窓ガラスや3連テールライトが、観光バスのようで驚愕したものです。
同時期に東京の西武バスにも同型車が入りました。こちらは後面に方向幕があるため、後ろ姿はちょっと残念な感じでした。
岩手県生活を始める前、盛岡駅に降り立った私を迎えてくれたのは、岩手県交通で第二の生活を送っていた元西武バスのBU04でした。この街で、またこのバスと共に生活できるんだ、という喜びが私の身体を突き抜けました。
○山梨交通の勝ち(後ろ姿がカッコいいから)●
貸切バスタイプ対決
山梨交通 いすゞBU20KP(1973年式)
岩手県交通 いすゞBU20KP(1973年式)
山梨交通の貸切バスは、ハイデッカーT型が入る1977年までは平屋根車を導入していました。
これとよく似た車両が岩手県交通にもありましたが、年式、型式ともに一致するのは、国際興業から譲受した車両。山梨交通と国際興業との共通性は、こういうところにも見られます。
扉の窓が分割窓なので、岩手県交通の方がちょっと古臭く見えます。岩手県交通では、一部を除き、中距離路線バスに使用されていました。
○山梨交通の勝ち(扉の窓がカッコいいから)●
短尺ワンマンカー対決(Vol.2)
山梨交通 いすゞBA20(1975年式)
岩手県交通 いすゞBA20(1974年式)
ワンマンカーの主体が10mサイズに移行した後に、山梨交通では9mサイズのBA20も投入し、塩山、韮崎などに配置しています。
一方、岩手県交通(当時は岩手中央バス)では、10mサイズは譲受車に任せて、新車は9mサイズを増備しています。
この手の車両は、親会社の国際興業にも存在します。
□両社引き分け(路線の特性に合わせた丁寧な車種選択が五分五分)■
量産型大型路線バス対決
山梨交通 いすゞBU04(1977年式)
岩手県交通 いすゞBU10(1978年式)
地方都市でも大型バスが新製投入されていた良き時代、いすゞBUも完成形になっていました。
山梨交通では、前ドアが通しガラスになるなど、外観上の近代化はさらに進み、1977年からは冷房車が登場しています。東日本の地方都市での冷房化は早い方です。
岩手県交通では、標準尺のワンマンカーを大量の増備。盛岡地区だけでなく、県南部や沿岸部にも、1人掛けシートの都市型仕様を投入しました。
○山梨交通の勝ち(岩手県交通に軍配が上がりましたが、冷房付で物言いがつき、軍配差し違い)●
中型路線バス対決
山梨交通 いすゞK-CCM410(1980年式)
岩手県交通 いすゞCCM410(1978年式)
地方都市の路線バスは、ダウンサイジングで中型バスにシフトします。
山梨交通では、1978年に短尺のいすゞCCM370から、岩手県交通では、1977年のいすゞCCM410から、中型バスの投入を開始します。特に山梨交通では、1980年代にかけて新車は完全に中型バスに統一されています。
両社の違いは、BU時代と同様に、側面方向幕の位置くらいです。ワンマンバスの仕様は徐々に統一されてゆきます。
○岩手県交通の勝ち(導入が早かったため)●
新世代車両対決
山梨交通 いすゞP-LR312J(1985年式)
岩手県交通 いすゞP-LR312J(1984年式)
1984年にいすゞがフルモデルチェンジし、大型、中型ともにキュービックスタイルになりました。岩手県交通では、直後に中型バスのLRを購入、山梨交通でも1985年に導入しています。
この時期、山梨交通が中乗り、前降り方式に変更し、側面方向幕を中ドア次位に配置するようなりました。岩手県交通でも、モノコックボディでは中ドア上にあった方向幕を中ドア次位に変更したため、両社はようやく外観的にほぼ同じになりました。
○岩手県交通の勝ち(モデルチェンジ直後に導入したため)●
OB対決(初期ワンマンカー)
山梨交通 いすゞBA741(1965年式)
岩手県交通 いすゞBA741(1964年式)
これは“その頃”にはすでに廃車になっていた車両の番外対決です。特に山梨交通の方は、書籍等にも掲載がなく、21世紀になってから廃車体で見つけて存在を知った車両です。
まず岩手県交通の車両は、国際興業から譲受したもので、国際興業の初期ワンマンカーです。短尺車ですが、その後の国際興業のワンマンカーの基本仕様が既に反映されています。
山梨交通は、1966年にワンマン運行を始めていますので、これも初代ワンマンカーと思われます。後面に方向幕がない以外は、国際興業とほとんど同じ外観です。グループとしての車両の共通性がよく分かる素材です。
○記載した勝敗については、すべて個人の感想です。●
