岸辺で見た夢・・・青銀カラー幻想
岩手県交通のカラーデザインは、魔法のようなカラーデザインだな、と思っています。古いバスでもこの色に塗ると格好良くなるし、花巻バスや県南バスなどのカラーの汚れたバスも、この色に塗り替えると、新車の輝きを取り戻します。
できるなら、もっと多くのバスがこのカラーになればいいのに、と常に思っていました。
元国際興業の丸形の県交通カラー
岩手県交通 いすゞBU10(1965年)

国際興業から転入した丸形BU10は、岩手中央バス時代には岩手中央バスカラーで、岩手県交通時代には国際興業カラーのまま就役しており、県交通カラーの車両は存在しませんでした。
でも、直後に譲受した角型スタイルのBU10には塗り替えられた車両もあり、この車両も数両でもこのカラーになっていたら面白かったのに・・・と妄想しました。
あるいは、塗装が劣化したため、後年に塗り替えられたという発想もありだと思います。
なお、ホイールが国際興業カラーのままですが、当時、ホイールを使いまわしていたのか、色違いは日常茶飯事。そんな雰囲気も再現しました。
丸形の呉羽ボディの県交通カラー
岩手県交通 三菱MR490(1966年)

お尻の丸い呉羽ボディには、県交通カラーは存在しません。
長生きしてもよかった若い車両としては、岩手中央バスから岩手観光バスに移籍した1966年式のMR490があり、後ろは丸形ながら、前照灯は4灯でした。花巻観光バスでもあったように、新車の増備により岩手観光バスから岩手中央バスに出戻っていたら。そして、県交通成立後、さすがに岩手観光バスと同じカラーではよくないということで、この色に塗り替えられていたら、という妄想です。

1968年に設立された岩手観光バスには、岩手中央バスで使用されていた貸切バスがそのまま移籍したようです。
移籍時点では最新型だったこの車両も、冷房付のデラックス車両の増備で順次廃車になったと思われます。車両の確保に苦労していたであろう岩手中央バスへの出戻りは、あってもよかったという気がします。

こちらは元花巻電鉄の同形車。1971年に合併により岩手中央バス所属になりましたが、貸切用途だったため、花巻電鉄カラーを維持していました。
最終的には、花巻電鉄カラーのまま網張温泉線や雫石スキー場線に使われたそうですが、県交通カラーに塗り替えるという選択肢もあったと思います。
もう1年長く三菱新車が入っていたら
岩手県交通 三菱MP117K(1978年)


岩手県交通成立後も、県南部には日野や三菱の新車が導入されていました。しかし、三菱は1977年が最後、日野は1978年が最後でした。
三菱があと1年長く、日野車と同じ1978年まで導入されていれば、そして、何らかの事情でボディメーカーが呉羽から三菱ボディに変っていれば、当時の最新ボディの三菱MPの県交通カラーが見られたわけです。
ハイデッカーⅠ型の県交通カラー
岩手県交通 いすゞCRA580(1978年)

国際興業からの観光タイプの譲受車は、そのうちハイデッカーⅠ型が来るだろうと、楽しみにしていました。というのも、県交通の自社発注車には、ハイデッカーⅡ型はあれど、ハイデッカーⅠ型は存在していなかったからです。
もっとも、1988年に私が岩手県を離れた後、転入してきたハイデッカーⅠ型は、残念ながら国際興業貸切カラーのままだったそうです。

国際興業貸切カラーのまま使用されたハイデッカーⅠ型。
これまで、長距離路線バスは県交通カラーだったのですが、このタイミングで、高速バスなど同様にこのカラーに統一されることになったようです。
(後日談)国際興業8000番代の県交通カラー
岩手県交通 いすゞU-LV324L(1993年)

時はだいぶ流れてしまいます。
国際興業では、1993年に次世代車両のベースともなるべき逆T字形窓、4枚折り戸で標準尺の8000番代と言われる車両を導入します。これらは、21世紀になると岩手県交通にも流れてくるわけですが、この時既に岩手県交通は国際興業カラーを標準としていました。
窓周りが黒く、4枚折り戸の都市型仕様の車両が岩手県交通カラーに塗られたらさぞカッコいいだろう。
遠くの地で、そんなことを思いました。