あの夏の日、夢に見たこと。

木陰で見た夢・・・岩手県交通の譲受車

譲受車が多かった岩手県交通ですので、新車を夢見るより、譲受車のバリエーションを夢見る方が現実味がありました。もっとも、1982年を最後に色々なところから譲受車が入ることはなくなり、国際興業一辺倒という感じになっていました。
街を歩いていて、向こうから来る綺麗なバスを目にしたとき、国際興業以外の中古車かも、と僅かな期待に胸をときめかせることもありました。


元京浜急行のBU06D
岩手県交通 いすゞBU06D(1972年)
岩手県交通

京浜急行からは、以前にはかなりの数の中古車が入っていましたが、1982年に富士重工ボディの2両が入ったのが最後になりました。
京浜急行には、低床試作タイプのBU06Dもあったようなので、国際興業から同型車が大量に入っている岩手県交通なら、こういう異端車が入っても使いこなせるだろう、と思ったわけです。

京浜急行

参考:日本バス友の会(1985)「日本路線バス総合カタログ」P.157

京浜急行のBU06Dは、国際興業グループの量産型とは異なり、試作型の独特な窓・ドア形状です。
ただし、京浜急行時代に、グライドスライドドアは普通の折り戸に、中ドアの下の窓は埋められるなど、比較的標準的な仕様に改められていたようです。

元神奈川中央交通のBU10D
岩手県交通 いすゞBU10D(1977年)
岩手県交通

神奈川中央交通からの譲受車は、県南バスや花巻バスの時代から続いており、1980年代に入ってからも、いすゞ車がまとまって盛岡市内に入っていました。
神奈川中央交通は、10年以内で廃車になるため、1987年であれば1977年式が来る可能性があり、かなりの若返りが期待できるのです。
結果的に、1989年に冷房車のK-CJM500が入ってきたようですが、この平面ガラスの川崎ボディの時期の譲受車はありませんでした。

神奈川中央交通

神奈川中央交通の車両は、側面の方向幕の位置が中ドア前にあるほか、前ドアの開き方にも特徴があります。

元北海道中央バスのBU10D
岩手県交通 いすゞBU10D(1974年)
岩手県交通

北海道中央バスからは、1980年に5両の1971年式が入っていましたが、その後の増備はありませんでした。北海道中央バスは、標準尺の前中引き戸車で、車内も1人掛けの前向き座席と、岩手県交通の自社発注車とよく似ています。
1973年以降の平面ガラスの車両も、ぜひ岩手県に来て、何気なく自社発注車と混じって走り回ってほしいと思ったものです。利用する立場としても、ロングシートの元国際興業より、前向きシートの車両が増えてほしいとの思いもありました。

岩手県交通
北海道中央バス

北海道中央バス時代のBU10D。同社には長尺のBU20Dもありました。いずれも、中扉上部に側面方向幕を持ち、後面は方向幕のない大型ガラスという仕様で、岩手県交通とはよく似ていました。
この年代の車両も、テールライトは3連式でした。

元国際興業のBA20
岩手県交通 いすゞBA20(1976年)
岩手県交通

国際興業からの譲受車は、1987年にようやく1975年式が入り始めるというペースでしたが、ちょっと早めに短尺のBAが流れてこないかと、秘かに期待していました。岩手県交通にも同型式の車両があり、使い方は分かっているわけですし。
もっとも、当の岩手県交通の同型式車が、1987年に早々と廃車になってしまいましたので、この夢も早々と諦めました。

国際興業 width=

国際興業のBA20は、岩手県交通の同型車とはちょっと異なり、前ドアの後ろの窓2枚が同じ幅でした。これはこれで、先代ボディとも共通するスタイルではありました。
結局、岩手県交通には来ずに、秋北バスに行ったようです。

元小田急バスの富士重工
岩手県交通 いすゞBU04D(1974年)
岩手県交通

平面ガラスの川崎ボディの斬新なスタイルが大好きでしたが、たまには精悍な表情の富士重工3Eボディも来てほしい。“その頃”の富士重工3Eは、京浜急行からの2両だけで、それも早々に廃車になってしまいました。
そう考えたら、お隣り青森県の南部バスでは小田急バスの中古車が入っているのを知りました。ちょっとぐらいこっちにも分けてくれないかな、と期待したのです。

小田急バス width=

小田急バスは富士重工のヘビーユーザー。シャーシ型式、年式関係なく富士重工ボディが主体です。
中ドア後ろの車掌台は早くに廃止され、普通の窓が並んでいます。

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80s岩手県のバス“その頃”