過激派と間違えられた・・・
今回のお題
| 岩22か2356〜2358・2360・2435・2436・2440 |
岩手観光バス いすゞCRA650(1978年)
撮影:盛岡営業所(1986.11.9)
岩手観光バスは、コンスタントに新車を導入していたが、1986年になって、中古車の導入が始まった。
この時期、貸切バス市場は急激にハイデッカーが増加しており、新車だけでの代替では間に合わなくなったのだろう。岩手観光バスでは、1978年まで標準床車を購入していたので、まだ相当数の標準床車が残っていたのである。
このハイデッカーⅠ型は、1986年と1987年に数両ずつ入った。
写真は、1986年に入った岩22か2356。後部が簡易サロンになっている。
よく似た自社発注車
岩手観光バス いすゞK-CRA580(1982年)
撮影:盛岡営業所(1985.5.5)
こちらは、岩手観光バスが1979〜83年の間、新車で導入したハイデッカーⅠ型。メトロ窓が斜めになっているところが外観上の相違点。平ボディ時代から斜めメトロだったこともあり、ハイデッカーになってもそれを踏襲したのは、十和田観光や秋北バスとも共通する。
ハイデッカー化が進む岩手観光バス
撮影:安比高原(1988.1.4)
1988年の冬、スキー場の駐車場に並んだ貸切バス。
これを見ても分かる通り、貸切バスの近代化が進み、岩手県北バスとJRバスはスケルトンタイプになっている。しかし、岩手観光バスはモノコックボディでありながら、ハイデッカーなので、ミドルデッカークラスの他社よりも大きく見えるのは事実。この辺が、貸切バスの価値をどう評価するかというポイントになるのだ。
ちなみに、左の岩手観光バスは1987年に入った中古車の岩22か2435。右の岩手観光バスは自社発注の岩22か1488。いずれもハイデッカーⅠ型。
分かりやすい奴もいた
1987年には、富士重工ボディのパノラマデッカーも4両がやってきた。これらが東京ヤサカ観光であることはすぐに分かった。
一つには、前年に岩手県交通にも同形車が1両入っており、そちらには「パノラマジェット」というヤサカ観光で使われていたままのロゴがついていた。そして二つ目は、これがヤサカ観光のカラーのまま滝沢村内を回送されているのを、事前に目撃してしまっていたからだ。
東京ヤサカ観光
撮影:53様(湘南海岸 1984.4)
岩手観光バス いすゞCRA580(1978年)
撮影:盛岡営業所(1987.5.28)
眼力で解決しようとしていたら
過激派と間違えられた
はっきりした記憶はないのだが、多分、初めての中古車が入った1986年のことなのだろう。私は、バイクで滝沢村を走っていた。そして、岩手観光バスの営業所前を通りかかった時だった。見慣れないハイデッカーⅠ型が目にとまった。
この当時、バイクに乗るためにはヘルメットが義務化された直後のこと、私は銀色のヘルメットをかぶっていた。
道端にバイクを止めると、ヘルメットをかぶったまま、営業所に隣接する畦道を歩き、ハイデッカーⅠ型に接近していった。バスは、畔道にはお尻を向けて、(確か)3台並んで置いてあった。
塗り替える前のカラーを確かめる3つ目の方法として、陽の当たる面にほぼ平行に視線を当てて、古い塗り分け線を探し当てるという方法がある。県交通では、よくこの方法で前事業者を探り当てていた。しかし、この車両ではなかなかその線が見えない。旧塗装を剥離して、下地をしっかり塗れば、この方法では何も見えないわけなので、このバスもそういうしっかりした再塗装をしていたのかも知れない。
畑仕事をしていたおばあさんが、何気なくバス営業所のほうに歩いていくのが、目の端に写った。
「畑仕事しながら、岩手観光バスの清掃のアルバイトもしているのかな」などと思いながら、私は畦道から更に顔を近づけて、バスの後から側面を透視し続けた。そんな不自然な姿勢を何分も続けたのに、塗り分け線は見えない。頑張れば見えてくるという問題ではないにもかかわらず、自分の眼力だけを信頼し続けてしまった。
「そこで何をしているの?」
不意に、声を掛けられ、我に返った。そこには、営業所の職員さんが立っていた。
どうやら、怪しげなヘルメットをかぶった男が、バスの後でもぞもぞしているので、畑仕事をしていたおばあさんが、営業所に通報したようだ。
私は、怪しい者ではないこと、新しい中古車が入っているので、どこから買った車両なのだろうかと調べていたこと、敷地に入るわけにはいかないので、隣接する畦道から見ていたこと、などを丁寧に説明した。
さすがに、単なる悪さをする目的なら、この車両が中古車であるなどということが分かるはずはないので、私の疑いはすぐに晴れたが、一応、営業所の事務室に呼ばれることとなってしまった。
もっともそこでは叱られるのではなく、「そういうことなら教えてあげるけど」ということで、「あのバスは丹後海陸交通から買ったんだよ」と教えてもらうことができた。
怪しい素振りで、関係者の方にご迷惑をかけてしまったことは、反省しなければいけない。
それにしても、隣りの畑のおばあさんが、岩手観光バスの防犯に一役買っているのだということは、今回の件でよく分かった。
全容把握は難しい
岩手観光バスについては、新車にしろ中古車にしろ、全容把握が難しいというのが実感だった。というのも、貸切バスは、運行時間も運行ルートも決まっていないし、車庫にいるタイミングも掴めない。乗合車両のように、必ずキャッチできる機会が存在しないのだ。
この写真は、1987年の年末に、盛岡駅で撮った写真の片隅に写っていた車両。それまで岩手観光バスには存在しなかったハイデッカーⅢ型だ。私はこの時、この車両の存在には気づかず、フィルムの片隅に写っているのに気付いたのは、サイトを始めてからしばらく経って、ネガをスキャンしているときだった。
ナンバーはよく読み取れないが、岩22か2507と読める。この番号だと、1987年に登録された譲受車なのだが、当時の私は全く気付いていない車両だ。その後、1994年に発売された「バスジャパンハンドブック」にも記載がないため、どのような経歴の車両なのか、今もって分からない。
21世紀になって
私の記憶も曖昧になってしまったが、営業所の方から「丹後海陸交通」と聞いていたため、ハイデッカーⅠ型はすべて、元丹後海陸交通なのだと思い込んでいた。なので、このサイトにもそのように記述していた。また、1986年には3両、1987年には5両のハイデッカーⅠ型が入ったという当時のメモ書きを頼りに、そう記述した。
そんな中、「廃バス探索隊」というWebサイトを運営していた「あそびにん様」から、これらの車両について、御教示をいただくことができた。それによると、1986年に入った車両は元大阪ヤサカ観光、1987年に入った車両は元丹後海陸交通だということだった。
しかし・・・1986年に丹後海陸交通だと聞いたはずなので、その辺の事実関係はあいまいだ。
